「今、笑っていますか」1978年、冬。 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
今、笑っていますか
視界を真っ白に覆い尽くす工場の煙、朝霧、そして雪。音も温度も伝わらないほど鬱屈とした地方都市の風景。山間の村落出身の自分にとっては痛いほどに見慣れた光景だ。そういう抑圧的で密閉された場所に長い間いると、次第に自分には何もできないんじゃないかという漠然とした諦念のようなものが生まれる。
スーピンとファントゥの兄弟もシュエンという都会から来た美しい少女の闖入がなければ、あるいは他の大多数の村人たちと同じように農村の日々を淡々と送っていたのかもしれない。しかしそれは結果論でしかない。出会いを恣意的に選別できる人生ならド田舎のせせこましいコミュニティで一生を過ごしたほうがよっぽどマシだ。
シュエンにあの手この手で近寄ろうとするスーピンの不器用さには思わず失笑してしまった。そこまでやるならもう直接声かけろよ!と思わなくもない。ファントゥが自分より先に彼女と仲良くなったことに嫉妬してファントゥの布団におねしょに見せかけた水を垂らすシーンもかなり小賢しかった。いやでも田舎にはこういう手合い多いのよ、自分もそうだけど。
唯一の精神的拠り所である父親に旅立たれてしまったシュエンがスーピンに身体を許すシーンには異様な緊張感があった。シュエンはスーピンの前で一枚一枚服を脱いでいく。さながら脱衣ショーを見ているときのような高揚感が否が応でも喚起されてしまう。しかしその最後に映し出される彼女の下着姿はいかにも幼く貧相な印象を我々に与える。まるで見てはいけないものを見てしまったかのような。
このあたりの撮り方は本当に紙一重で、撮りようによっては無意味なエロシーンに落ちぶれてしまう。だからこうやってちゃんと受け手を性欲から遠ざけてくれるのは本当に優しいと思う。
そして受け手の性欲から切り離された彼女の身体は、目の前にいるスーピンだけに開かれる。そしてスーピンもそれに応じる。ただ、身体を重ねたところでどこへ行けるでもなく、むしろそれによって村中から「不良」の烙印を押されるようになってしまった。
にしても2人の行為を見かけてしまったファントゥが廃墟から飛び出てくるシーンはあんまりにも勢いがよくてビビった。絶対頭ぶつけただろ今。というかこのガキの耐久値の高さはマジですごい。頭を板で思い切り叩いても10メートルくらい下の地面に全裸で落っこちてもピンピンしている。
しかし全体を通じて陰鬱な空気を漂わせる本作にあって、彼はまさに一縷の光芒であったと思う。そればかりか、終盤では自分をからかってくる相手に対して立ち向かえるだけの胆力をも身につけた。スーピンとシュエンの2人だけではどう転んでも過度に感傷めいた悲劇にしかならないだろうからファントゥの存在は必要不可欠だ。
映画の最後にスーピン亡き後もシュエンが西干道に居残って音楽教師を続けているという字幕が挿入されるが、これにはかなり切ないものを感じた。
北京育ちのシュエンにとって、スーピンの帰ってくる見込みが完全に絶たれ、なおかつ自分の悪評が流布されている西干道の街に居残り続けるというのはとても心苦しいことだと思う。それでも居残り続けたということは、やはり彼女もまた田舎という場が発する漠然たる諦念に飲み込まれてしまったということなのかもしれない。
彼女はそのとき笑っていたのだろうか。そう問いかける暇もなく映画は幕を閉じてしまった。お元気で。