「家族の肖像、その"本音と建前"」歩いても 歩いても 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
家族の肖像、その"本音と建前"
日本人は産まれながらにして《家》とは深い関わりを持つ。結婚する時には比較的に“個人”とでは無く《家》と結婚すると言える。
冠婚葬祭の集まりに顔を出すのは必要ならざる儀礼で、その時には否応なく親・兄弟・親戚縁者と顔を合わせては、厭でも在る事無い事を色々と詮索される事になる。
その煩わしささは人それぞれ千差万別であり、勿論「家族が大好き!」な人にはこの作品の底辺に潜む怖さを“嫌な奴ら”と一蹴して構わないと思う。
しかし、この作品の中の一人でも自分の身に置き換えて観て、セリフの一つ一つ・出演者の表情・感情の起伏が、自分の心とシンクロして心を抉られる様な感覚を覚えたならば、最後までしっかりと観て欲しい。
ひょっとしたらあなたの理想とする“家族の姿”が見つかるかも知れません。
本当の家族でも知らない・知られたく無い事は多い。
本当に心を許せる存在こそが“家族”と言える。
作品全体に於いて一応主人公にあたるのは、今現在仕事先が決まっていない次男役の阿部寛なのだが、作品中の真の主役は母親役の樹木希林であり、後半からは少しずつその母親がこれまで生きてきた中で、なかなか人に向けては吐かなった《毒》を浴びながらも、それらを吸収して受け止める次男坊の後妻役の夏川結衣への比重が増して来る。
映画が始まって暫くは、料理を作るシーンや食卓を囲んでのお喋りを中心として展開される。その間のセリフで一人一人の性格、及びお互いの関係が浮かび上がって来るのだが、余り意味が無いと思えるそれらが後半に向けて意味を持って来る。この辺りの脚本の書き込みに於ける性格付けの周到さが圧巻である。
この家の父親と息子は上手くいっていない。期待していた長男が事故死してしまい。否応無しに次男に掛けた期待は重圧となって彼の心を押し潰してしまったのだ。結果、彼は“笑わぬ王子”となってしまった。
一方で、この家の母親と長女の間柄は上手くいっている。しかし、それはあくまでも表向きでしか無いのが暫くすると見えて来る。
長女夫婦はやがて引っ越して来るのだが、実は母親は歓迎していない。
一見すると仲の良い母娘だが、母親は自分の本音を娘の前では絶対に口にしないのだ。
この家の人達は自分の本音を言おうとはしない。本当に言うのは自分にとっての“家族”の前だけだ。たとえ親子関係ではあっても、次男坊と後妻の連れ子の間柄には一線を引いた関係が存在している。
それらの気持ちの重苦しさを一人一人が持ち合わせているだけに、言葉の端々には隠しきれない毒が充満している。作品の中盤辺りからはそれらの感情が少しずつだが、ガス抜きの如く吹き出して来るのだ。
それが頂点に達するのが長男の死のきっかけとなった男の子に対する家族の態度に表れる。
父親はあからさまに気分を害し、長女はちゃかすだけだ。次男坊にはそんな態度を取る父親の姿が許せない。
しかし本当に許せなく、憎しみを消せなかったのは母親に他なら無かった。
この場面に於ける樹木希林が、それまでとは一変するだけに観客には衝撃的です。
この母親が本音を言うのは次男坊の阿部寛だけである。彼女にとっての“真の家族”は、自分のお腹を痛めて産んだ彼だけなのだ。自分の生活を脅かす長女はおろか、長年連れ添った旦那にさえもその感情は押さえ込んでいる。
この母親にとっては《毒》を吐ける相手こそが“真の家族”と認められているかの様に見える。
後妻役の夏川結衣に対して子供を産む・産まないと強烈なる《毒》を吐きまくる場面こそは、一見すると“嫌なババア”ではあるが、よく考えると“家族”として認められた証しでも在るのかも知れない。いや、本当は単なる嫌みなババアなのかも知れないのだが、題名の元になったある曲に纏わるエピソードを、それとなく旦那に告げる時と同じ《棘》の在る口ぶりになるのは偶然とは思えない気がするのだ。
♪歩いても、歩いても♪
長年連れ添って来たが、いつの日が言いたかった想い。次男坊の後妻として、静かな佇まいで“場の空気”に徹しようとする。その気持ちをあの手この手で詮索する自分と、次男に向けて昔と変わらぬ態度で神経を逆撫でする父親。その一部始終を見ていて、言葉の端々につい本音を口にしてしまった様に見てとれた。
或いは昔の自分に重ねてしまったのか…。
それを夏川結衣は相手の気分を害しない様に気を遣いながら、《家族》となるべく絶妙に受け流して行く。
それでも夫役の阿部寛の前ではついつい本音を漏らしてしまう。この時の彼女の「ちょっと休憩!」と言う、その一言の中に集約されている様々な感情の表現力は素晴らしいの一言でした。
この作品の中での男達は単純な感情の起伏に簡単に左右されてしまう。対して女性達は絶対に本音を言おうとはしない。
《毒》は、お爺ちゃん役の原田芳雄でさえも、「俺の建てた家だ!」と吐く。自分を脅かす血の繋がった孫よりも、血の繋がっていない孫に今は亡き長男の幻影を見ている。
幼くして父親を亡くしたこの義理の孫にとっては、この偏屈なお爺ちゃんと義理の父親との関係が不思議でしょうがない。彼は知らない顔を伺わせながらも父親の存在こそ一番に欲している。もしかしたら、父親の期待に添えず家業を継ぐ事が出来無かった義理の父親に、若くして自分の姿を重ね合わせているのかも知れない。父親の姿を追おうとする気持ちと、期待に応えられなかった新しい父親の真実。
今彼の心の中に新しい父親が“ジワジワ”と浸透して来ているのを感じている。
終盤での、この新しい家族が《真の家族》に成長して行く“ジワジワ”シーンから、生け花の花のアップになる場面こそは、日本映画の伝統を受け継ぐ美しさに充ちた場面です。少しあからさまに感じる人も中には居るかも知れませんが…。
海の見える丘の上から、この家族の有り様を絶えず見つめている黄色い蝶の存在。そんな一つ一つが親から子へ、また親から子へと受け継がれて行く。
(2008年7月2日シネカノン有楽町1丁目)