「家族だからこそのいたわりと反目が、ユーモラスに温かく、ときにほろ苦いせつなさをもって描き出されます。」歩いても 歩いても 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
家族だからこそのいたわりと反目が、ユーモラスに温かく、ときにほろ苦いせつなさをもって描き出されます。
5年前是枝監督の実母を失った悲しみから、この企画はスタートしました。
小地蔵もそうですが、実際に母と死別してみると、「何もしてやれなかったなぁ」という後悔は隠しようもありません。
だから監督は、逆に明るい映画にしたいと強く思ったそうです。母が死へ向っていくプロセスではなく、生の一瞬を切り取ろうと。その一瞬の中に家族の記憶の陰影を織りたたんでみようと。そうして出来たのがこの作品だそうです。
物語はフィクションではあるけれど、確かに映画が始まった時に監督の心の中で「あぁ、あそこに母が生きている」と思える、ドキュメンタリーみたいな作品に仕上がっています。
そういう背景から生まれた作品なので、監督の少年時代からの想い出が実はシーンの中にぎっしり詰まっています。
まずタイトルからして、「歩いても 歩いても」は、監督の少年時代に家でよく聞かされていた「ブルーライトヨコハマ」の歌詞からとってきたようです。
そして冒頭から描かれるのは、家族が集まる日の昼食の献立作り。ここにも監督のお袋の味の数々が紹介されていました。大嫌いだったミョウガを切り刻むところ、きんぴら、五目寿司、そして傑作なのはトウモロコシの天ぷら。(撮影では温度を上げすぎトウモロコシが爆発したとか)
それと年老いた母親がまるで子供扱いして、虫歯を治せとかしつこく注意するところなんぞ、ああどこでもあるねと微笑んでしまうシーンばかりです。
おまえが車を運転して、私を連れて行ってくれるのが夢なのよと劇中の母は語り、息子は今度ねと言って、別れましたが、ついにその約束は果たされませんでした。
是枝監督のレクイエムのような作品だけに、この作品を見終わるとき、もしご両親が健在なら、何か親孝行したくなる気持ちになってしまうことは請け合いです。
作品自体は、監督はあまり家族というテーマを考えず本作りに入ったようです。
最初に浮かんだのは、ラストの高台の墓地から遠く鉄道や海岸を見渡すシーン。そこに暮らす家族とはどんな人たちかイメージを膨らませてて、本を作っていったそうです。
何十年も同じ屋根の下で暮らし続ける老夫婦の元に、15年前に亡くなった長男の命日ということてで、ひさしぶりに家族を連れて実家にやって来た息子と娘やってきて、過ごす24時間のホームドラマなのです。わずか24時間の平凡な家族の会話に、長男が死んで以来の15年間のエピソードを再現するばかりでなく、家族だからこそのいたわりと反目が、ユーモラスに温かく、ときにほろ苦いせつなさをもって描き出されところは、是枝監督の職人技が光ります。
何せ出演しているのが阿部寛、樹木希林、夏川結衣、YOUの役達者な面々なので、撮影の合間でも阿部寛をボケ役にいじって、スタッフを仕事に集中させないくらい爆笑させていたとか。
希林さんが、劇中でも人生経験に裏打ちされた辛辣な言葉をぽんぽん口にするので、爆笑に次ぐ爆笑でした。この作品で監督はあえて家族の傍観者に徹して、感情を入れずに演出しています。その分家族というものの愛しさ、厄介さ、人の心の奥底に横たわる残酷さが、浮かび上っていくのです。けれども出演者の軽妙な台詞回しで、嫌みなところも笑い飛ばして、気軽に見れるところがこの作品のいいところと思います。
また連れ子で再婚したばかりなのに、夫の実家に引っ張り出されてぎこちなさを夏川結衣もうまく演じていましたね。
同じような作品と言える『ぐるりのこと。』との比較では、夫役は余りにいい人過ぎました。こちらの家族関係の方がよりリアルティを感じることでしょう。
あと『ぐるりのこと。』では音の取り方がライブな取り方をしていて、台詞が聞き取りにくいところが多々ありました。この作品では、監督は録音にもこだわりを見せて、画面で出ていない登場人物も、音で何を今やっているか想像させたり、野菜を切る音まで演出しているいるそうです。実際劇中の音の臨場感がとてもリアルに感じ、台詞も聞きやすかったです。
あとバックで流れるゴンチチのギターはとてもよくあっていました。家族が外に出るとまるで穏やかな風のように、画面を吹き抜けていくのです。その心地よさもぜひ味わっていただきたいですね。
淡々としたホームドラマですが、よく見ていくと、台詞の合間に家族の関係や歴史が刻みこまれ、思わず自分の家族のことを考えててしまう、そんな記憶にずっと残る1本となる作品となることでしょう。なかなかの秀作です。