劇場公開日 2008年7月26日

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「滑落の面白さ」カンフー・パンダ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5滑落の面白さ

2023年7月5日
iPhoneアプリから投稿

ジャッキー以降のピタゴラ装置のようなカンフー・アクションを、実写以上に自由の利くアニメーションでリブートした快作。細やかな所作の一つ一つにまでカートゥーンの伸縮自在の想像力とハリウッドの雄大なカメラワークが活きており、文化国家としてのアメリカの力強さを否が応にも思い知らされる。なおかつカンフー・アクションの精髄も見事に捉えており、一例を挙げるなら四肢を持たないマスター・ヘビでさえ一目でカンフー戦士だとわかること。アニメーターたちがどれだけカンフー映画をつぶさに研究していたかが窺える。

明らかに少林寺を模したであろう山上の寺院へと至る長い長い階段を主人公のポーが昇るところから始まった物語が、麓の村で終結を迎えるというのもいい。『少林寺三十六房』なんかがいい例だが、少林寺は俗世を超越した神聖なる修行場であり、一度門戸を叩いたならば二度と外の世界に出てはいけない。つまりその禁則を破って山を下りることは師との決別を意味する。シーフー老師のもとで厳しい修業に励んだポーがラスボスのタイ・ランと揉み合いになりながら寺院から麓へと転がり落ち、彼を倒し、麓の村人たちの喝采を浴びるまでの一連のシーンは、彼の修行の成果の発現のみならず「師匠越え」の成就をも意味していると言えるだろう。

山の斜面を勢いよく転がっていくアクションの面白さはバスター・キートン『セブン・チャンス』の頃から映像史に記憶されている。個人的には『映画クレヨンしんちゃん 栄光のヤキニクロード』の自転車滑走シーンや『香港国際警察』(図らずもカンフー映画の傑作!)の村落破壊シーンが気に入っている。垂直落下よりは自由が利き、水平移動よりは自由が利かない「滑落」という現象の不安定さ。片時も目を離さずにはいられない。

脚本自体は陳腐も陳腐な成長譚でしかないが、描写の巧みさゆえに「陳腐さ」が「普遍性」の領域にまで錬磨されている。ただまあベタな成長譚を貫徹するならもう少しポーの修行シーンを長くしてもよかったんじゃないかと思う。彼がマスター5の一人一人と手合わせし、彼らの技のエッセンスを吸収していく、みたいな描写が書き足されていたらなおよかった。本作は1時間半ほどの短尺だが、このスピード感なら2時間尺でも全然耐えられる。

続編が『2』、『3』と続いているようなので引き続き見ていきたいと思う。『ヒックとドラゴン』は三部作とも稀代の傑作だったが、果たして本作はどうだろうか。

因果