容疑者Xの献身のレビュー・感想・評価
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ハラハラと崩れるように鳴き落ちる堤真一の演技に鳥肌がたちました。
本作は、テレビドラマ『ガリレオ』の劇場版です。小地蔵は、テレビ版は全然見ていません。それでも楽しめましたからこれから見る人もご安心を。
本作は、推理ドラマとしては異色の犯人と犯行を冒頭で明示してから進行します。しかし犯人には、完璧なアリバイがあり、捜査は行き詰まりますが、見ている方もアリバイに捕らわれすぎました。
本編を支配する数学的ギミック。簡単に言うとある面ばかりしか考えない思い込む人間の習性にギャフンとさせられるのは捜査陣ばかりではありません。
容疑者の数学教師・石神は、観客にも数学的思考を要請しているように思えました。そしてストーリーテーラーとなる物理学者の湯川学の解説を通じて、本作の事件を別な視点で推理する必要を痛感しましたね。
頭脳派二人がぶつかるとき、無言に近い以心伝心の対決が見物でした。そして数学=最初に真相回避の命題を開示して、それを実現する公式を次々編み出していく発想法に対して、物理学はひたすら実証と推論を繰り返して、真相に近づいていくという二人の立場の違いが鮮明になったと思います。
さて、犯人の花岡母子は、別れた夫にアパートを突き止められ、二人ははずみで前夫を殺してしまいます。隣の住人だった石神は犯行を察知して、花岡宅に乗り込みます。てっきり脅迫するのかと思ったら、共犯のリスクがあるのに石神は、事件の隠蔽とアリバイ作り、そして警察への対応を完璧に母子に指示し、捜査を攪乱してしまうのです。
観客にとって大きな謎は、冒頭に元夫殺しを見せつけているのに、警察の特定した死亡推定時間には、親子で映画を見ていたという完璧なアリバイが出来ていたことです。石神はどんなトリックで、アリバイを作り上げたか。
この謎はラストまで引っ張り、犯人母子も知らなかった容疑者Xの常識を越える献身ぶりが、明らかになって行きます。
真相がわかったとき、思わずそんな手があったのか!と思われるでしょう。
そしてホームレス街にポツンとベンチに取り残された荷物が意味なくアップされる、中盤のワンシーンに隠された重大な意味に気づかれて、あっと驚かれるのに違いありません。
もう一つの謎は、なぜ容疑者Xは見返りを求めず犯人母子に献身しようとしたかです。これもドラマとともに次第に明らかになります。単なる恋心でなく、母子に出会ってもたらされた生きるための意味が、彼にとってどれほど大きなものであったのかしれなかったのです。
そのために決定的なのは、石神という人物のキャラクターです。堤真一はこれまでのネアカで活動的なキャラを覆し、陰の深い数学オタクの教師役をリアルに演じていました。クライマーズ・ハイとの余りの違いに、当初は別人だと思ったくらいです。
そして圧巻は、東野圭吾作品のヤマ場。仕込んだトリックが崩壊して、犯人が号泣するお約束のシーンで、ハラハラと崩れるように鳴き落ちる堤真一の演技に鳥肌がたちました。犯行が張れただけでなく、全知全能を尽くして仕立てた自分の献身が音立てて脆くも崩れてしまった刹那だったのです。
反面福山雅治は、湯川という役柄を作り込みすぎている感じがしました。石神と心を通わせる後半は、ずいぶん馴染んできたような落ち着いた演技になっていました。
それにしても、伝わってくる思いメッセージは、真実を暴くことが正しかったかということです。それでは誰も幸福になれないではないかという石神の言葉が、湯川を追い込んでいきました。
物理学者は、立証してなんぼの商売。聡明な湯川でも、論理を超えた情という不確定因子の前には、自分の信念が揺らいで、後味の悪さばかりが残ったことでしょう。
映画『ビック・フィッシュ』のテーマでもありますが、事実よりも作られた記憶の方が重要な意味を持つことも考えなくてはいけませんね。
トリックに絶賛♪キャストに魅了^^
ドラマとは別物かな(いい意味で)
【95.8】容疑者Xの献身 映画レビュー
東野圭吾の傑作ミステリを映画化した『容疑者Xの献身』は、原作が持つ重厚なテーマ性と緻密なプロットを高いレベルで映像化し、日本映画史に残るサスペンス作品としてその名を刻む。本作は単なる犯人探しに終わらない、人間ドラマとしての深みと、献身という名の歪んだ愛の形を描き出すことに成功している。
『容疑者Xの献身』は、作品全体の完成度が極めて高い。原作小説が持つロジックの堅固さ、登場人物の心理描写の繊細さ、そして何よりもラストに明かされる衝撃的な真実を、映画という媒体で余すところなく再現している。物語の冒頭から漂う静かで陰鬱な空気は、登場人物たちの抱える絶望や苦悩を観客に追体験させる。堤真一演じる石神の孤独な日常、松雪泰子演じる靖子の追い詰められた心理、そして福山雅治演じる湯川の知的な探求心が、それぞれ独立したプロットラインとして進行しながらも、最終的には一点に収束する様は圧巻だ。
物語のペース配分も絶妙である。序盤は事件の発生から石神と湯川の再会、そして湯川の捜査開始へと、着実にサスペンスを構築していく。中盤では、石神の巧妙なアリバイ工作と湯川のそれを解き明かそうとする知的な攻防が繰り広げられ、観客は二人の天才の頭脳戦に引き込まれる。そして終盤、全ての謎が解き明かされる瞬間のカタルシスは、原作の持つ破壊力を見事に表現している。特に、石神が涙ながらに真実を語るシーンは、観る者の心を強く揺さぶり、献身という行為の持つ光と闇を鮮烈に提示する。
映像と音楽、そして役者の演技が一体となり、作品全体のトーンと世界観を統一している点も特筆すべき完成度の高さを示す。陰影の深い映像美は登場人物の心情を代弁し、静かで抑制の効いた音楽はサスペンスと哀愁を同時に表現する。そして、役者陣の渾身の演技は、キャラクターの内面を深く掘り下げ、観客に強い感情移入を促す。これらの要素が複雑に絡み合い、最終的に一つの調和の取れた作品として結実している。単なるエンターテイメントとしてだけでなく、人間のエゴと献身、愛情と憎悪といった普遍的なテーマを深く掘り下げた作品として、その完成度は非常に高いと言える。
西谷弘監督の手腕は、原作の持つ重厚な雰囲気を損なうことなく、映画的な表現へと昇華させている。特に評価すべきは、静寂と緊張感のコントラストを巧みに操る演出だろう。石神の日常、靖子と美里の生活、そして事件現場といった、それぞれのシーンに合わせた光の加減や色彩の選択は、登場人物の心理状態を視覚的に表現し、物語の深みを増している。
また、監督は物語の進行を急がず、登場人物たちの内面をじっくりと描くことに時間を割いている。石神の過去や湯川との友情といった背景描写を丁寧に挿入することで、彼らの行動原理に説得力を持たせている。これにより、ただ事件を追うだけでなく、登場人物一人ひとりの人生に感情移入できるような構成になっている。特に、ラストシーンにおける石神の慟哭は、演出の勝利と言えるだろう。彼の絶望と献身が最大限に表現され、観客に強烈な印象を残す。
堤真一は、孤独な数学教師・石神哲哉の内面に潜む狂気と純粋さを、驚くほど繊細かつ圧倒的な迫力で演じ切っている。彼の演技は、表向きは地味で冴えない男でありながら、その内に秘めた感情の深さと、論理的思考力に裏打ちされた恐ろしさを見事に表現している。石神の日常における無気力さや諦念に満ちた表情、靖子に対する密やかな愛情、そして湯川との再会によって揺れ動く複雑な感情の機微を、わずかな表情の変化や目の動きだけで表現する。特に印象的なのは、彼が靖子を救うために完璧なアリバイ工作を企てる際の冷徹な知性、そしてそれが露呈した際の絶望と後悔、そして全てを投げ打った献身を表現する際の壮絶なまでの慟哭だ。その涙は、単なる悲しみではなく、愛する者を守り抜こうとした男の純粋さと、それがもたらした破滅への痛ましい献身が混在しており、観る者の心に深く突き刺さる。堤の演技は、石神というキャラクターを単なる犯人としてではなく、複雑な感情を持つ一人の人間として、深く観客の心に刻み込んだ。
松雪泰子は、事件に巻き込まれ、石神の献身によって守られる花岡靖子の葛藤と苦悩をリアルに演じている。彼女の演技は、恐怖に怯える女性としての弱さ、そして石神の献身に対する申し訳なさや複雑な感情を繊細に表現する。特に、石神の真意を知った時の彼女の動揺と衝撃は、観客に彼女の心情を強く訴えかける。追い詰められながらも、娘を守ろうとする母親としての強さも垣間見せ、キャラクターに奥行きを与えている。
福山雅治が演じる湯川学は、理知的で冷静沈着な物理学者としての魅力を存分に発揮している。彼の演技は、単に事件を解決する探偵役としてだけでなく、石神の天才性を理解し、その行動原理に深く踏み込んでいく姿を描き出す。石神との対峙シーンでは、彼の知的な探究心と、友人を救いたいという葛藤が入り混じった複雑な感情を、表情や声のトーンで巧みに表現している。
北村一輝演じる草薙俊平は、刑事としての冷静さと、事件の真相を追い求める熱意をバランスよく表現している。湯川とのやり取りを通じて、彼の人間性や捜査に対する真摯な姿勢が垣間見える。彼の存在は、湯川の冷静な分析と石神の天才的な計画の間に、現実的な捜査の視点をもたらし、物語にリアリティを与えている。
柴咲コウが演じる内海薫は、湯川学のパートナーとして、冷静な湯川とは対照的に人間らしい感情を露わにする刑事としての役割を担う。彼女の演技は、湯川の超然とした態度に時に戸惑いながらも、自身の正義感と刑事としての職務を全うしようとする姿勢を力強く表現している。事件の真相に迫る湯川をサポートしつつも、自身の視点から疑問を投げかけ、物語に多様な視点をもたらしている。彼女の存在は、湯川のキャラクターをより深く掘り下げるとともに、観客が感情移入しやすい人間的な側面を物語に加えている。
金澤美穂が演じる花岡美里は、事件の当事者として、母親・靖子と共に極限状態に置かれる少女の姿を繊細に演じている。彼女の演技は、自身の父親を殺めてしまったという罪悪感、そしてその事実を隠し通そうとする母親の苦悩を間近で感じる少女の心の動揺をリアルに表現している。特に、石神の献身によって守られていることを漠然と感じ取りながらも、その真実を知らないゆえの無垢さや、時折見せる恐怖に怯える表情は、観客の感情を揺さぶる。彼女の存在は、石神の献身の理由とその犠牲の大きさを、より強く印象づける役割を果たしている。
長塚圭史が演じる被害者・富樫慎一は、登場シーンこそ少ないものの、その存在感は物語の起点として非常に大きい。彼の演じる富樫のいかがわしさや暴力性は、靖子を追い詰める元凶として説得力を持って描かれ、その死が事件の引き金となったことを明確に観客に印象付ける。
本作の脚本は、原作の持つ緻密な構成と伏線の回収を、映像作品として見事に再構築している。特に評価すべきは、原作の核となる「献身」というテーマを、物語全体を通して深く掘り下げている点だ。石神の献身は、単なる自己犠牲ではなく、彼自身の絶望と、愛する者を守りたいという純粋な願いから生まれる。その献身が、予想もしない形で周囲を巻き込み、悲劇的な結末へと向かう過程が、非常に説得力を持って描かれている。
ストーリーテリングにおいても、観客を飽きさせない工夫が随所に見られる。物語は、靖子が元夫を殺害するところから始まり、その現場に偶然居合わせた石神が彼女を救うために完璧なアリバイ工作を計画するという、衝撃的な展開で幕を開ける。そこからは、湯川による科学的な視点からの捜査と、石神による巧妙な欺瞞が交互に描かれ、観客は常に緊張感を強いられる。
最大の魅力は、やはりクライマックスでの石神の告白だろう。彼が涙ながらに真実を語るシーンは、それまでの全ての伏線を回収し、観客に強烈なカタルシスと同時に深い悲しみを与える。このシーンは、単なる事件の解決に留まらず、人間が抱えうる感情の複雑さ、そして愛と献身の究極の形を問いかける。原作が持つ読後感の衝撃を、映像として最大限に引き出すことに成功している。
また、脚本は主要登場人物の心情の変化を丁寧に追っている。靖子の恐怖から安堵、そして後悔へと至る感情の揺れ動き、湯川が友人の計画の巧妙さに気づきながらも、その悲しい真実に辿り着くまでの葛藤など、それぞれのキャラクターの感情が観客に共感をもたらす。原作のセリフを効果的に取り入れつつも、映画独自の映像表現によって、物語の世界観をより豊かにしている。緻密に練られたプロットと、深い人間ドラマが融合した、傑作脚本である。
映画全体のトーンは、陰影の深いグレーやブラウンを基調とし、登場人物たちの心象風景を反映している。石神の住むアパートの殺風景さ、靖子が働く弁当屋の庶民的な雰囲気、そして事件現場の薄暗さなど、それぞれのロケーションが物語のリアリティを高め、キャラクターの生活感を際立たせている。特に、石神が数学の問題を解くシーンや、湯川が実験を行うシーンでは、光の使い方が巧みで、二人の知的な雰囲気を強調する。
美術面では、石神の部屋に置かれた数学書や、数式が書かれた黒板など、彼のキャラクターを象徴する小道具が効果的に配置されている。衣装もまた、登場人物の個性を際立たせている。石神の常に地味で着古された服装は彼の孤独な生活を、湯川のスマートで洗練された服装は彼の知性と職業をそれぞれ示唆している。全体的に過度な装飾を排し、物語と登場人物に焦点を当てた控えめな美学が貫かれている。
編集は、物語のテンポを巧みにコントロールし、サスペンスと人間ドラマの両面を際立たせている。石神の計画と湯川の捜査が同時進行する中で、それぞれのシーンを交互に配置することで、観客の緊張感を維持する。また、回想シーンの挿入も効果的であり、石神と湯川の過去の友情や、事件の背景を自然に観客に提示する。
特に、クライマックスにおける石神の告白シーンは、編集の力が最大限に発揮されている。彼の言葉、表情、そして過去の出来事のフラッシュバックが、テンポよく切り替わることで、感情の起伏を最大限に高め、観客に深い感動を与える。無駄なカットが少なく、必要な情報を的確に伝える編集は、物語の完成度をさらに高めている。
音楽は、福山雅治が担当し、作品の世界観を深く理解した上で制作されている。静かで抑制の効いたサウンドトラックは、物語の陰鬱な雰囲気とサスペンスを効果的に盛り上げる。ピアノやストリングスを中心とした旋律は、石神の孤独や悲哀、そして湯川の知的な探究心を表している。過剰な演出を避け、感情の機微に寄り添うような音楽は、観客の感情移入を促し、物語に深みを与えている。
音響面でも、生活音や足音、沈黙などが効果的に使われ、登場人物たちの心理状態や、物語の緊迫感を強調している。特に、石神が事件後に自宅に戻るシーンでの静寂や、ラストシーンでの石神の慟哭が響く音響は、観客の心に強く残る。
主題歌は福山雅治の楽曲「最愛」であり、映画のエンドロールで流れるのはKOH+(コープラス)バージョンである。KOH+は、福山雅治が作曲・プロデュースを手がけ、柴咲コウがボーカルを務めるユニットである。切なくも美しいメロディと歌詞、そして柴咲コウの透明感のある歌声は、石神の献身と靖子の苦悩、そして彼らの間の複雑な感情を表現し、映画の余韻をさらに深くする。エンドロールで流れるこの曲は、観客に物語を振り返らせ、深い感動と考察の機会を与える。音楽と音響が一体となって、本作の芸術性を高めている。
作品
監督 (作品の完成度) 西谷弘 134×0.715 95.8
①脚本、脚色 原作 東野圭吾 脚本 福田靖 S10×7
②主演 堤真一 A9×3
③助演 松雪泰子A9×1
④撮影、視覚効果 山本英夫 A9×1
⑤ 美術、衣装デザイン 部谷京子 A9×1
⑥編集 山本正明
⑦作曲、歌曲 音楽 福山雅治 菅野祐悟
主題歌 KOH+ S10×1
純愛が故の結末…
とても悲しかった。
『容疑者Xの献身』鑑賞。
*主演*
福山雅治
*感想*
だいぶ前に見たことありますが、TVで放送されていたので、再鑑賞。
湯川教授と同期の数学者・石神が愛する人の為に罪を犯す話で、オチが分かっていても、とても悲しかったですし、切なかったです。
最初の花岡靖子が元夫から暴行を受けるシーンが生々しかったですし、めちゃめちゃ怖かったです。元夫は本当にクソ野郎です。(←口悪くてすいません。)
事件の不自然さから、湯川は石神のことを徐々に疑い始めたり、ストーリーの中盤からホラーがあったり、堤真一さんと松雪泰子さんの演技力が凄くて、見入ってしまいました。
とても悲しかったですし、可哀想なストーリーでしたが、非常に良かったです。
ガリレオシリーズの最高傑作
【孤独な天才数学者の法的には許されない”無償の献身・・”但し、彼の母娘を持っての行為は、心に沁みるのである。】
ー ガリレオシリーズは全て読破していて、映画も三作とも、鑑賞している。だが、今作の鑑賞履歴がこのレビューサイトに無い事と、一昨晩鑑賞した、私がとても面白いと思った最新作のレビューが比較的芳しくなった、というか”今作と比較して・・”という感想が多かったからである。
非常にツマラナイ理由であるが、本心は、今作の細部が思い出せなかったからである・・。-
■花岡靖子(松雪泰子)は過去を振り払い、娘の美里とふたりで質素なアパートに暮らしていた。
その隣人である高校の数学教師・石神(堤真一)は孤独な日々を送る中年であったが、この母娘とだけは交流があった。
そんなある日、靖子の元夫(長塚圭司)が死体で発見され、事件解明に湯川学(福山雅治)が乗り出すが…。
◆感想<概要は巷間に流布しているので簡潔に。>
・久方振りに鑑賞したが、矢張り面白い作品である。
・原作では”地味な男”として描かれた石上を堤真一さんが、抑制した演技で魅せている。
■今作が沁みるのは、天才数学者でありながら、諸事情で高校教師になった石上の屈託した想いを堤真一が絶妙に演じる姿である。
アパートの臨家に越して来た花岡靖子と娘の笑顔に命を救われたシーンからの展開。首を括る瞬間に引っ越しの挨拶に来た二人の笑顔に石上は救われ、それ以降彼は花岡母娘の幸せを願う事で、生きる意味を見出して行くのである。
・そして、現れた靖子の元夫が現れ、花岡靖子と娘が行った事を、総て引き受ける石上の姿。
ー ここは、チャップリンの”街灯”を想起させる。
但し、石上は花岡靖子と娘が行った行為を抹消するために、罪もない路上生活者を殺害する事で、処理しようとする。私は、今作の倫理上の瑕疵はココに尽きると思う。-
<今作は、邦画のサスペンスミステリー作品の中でも、可なり上位に入る事は間違いないであろう。但し、如何に恩ある母娘を助けるためとはいえ、路上生活者を生贄にした石上の行為は受け入れ難いと思った作品である。
第二作、そして最新作ではそのような描写はない。
私が、刑法及び刑事訴訟法を学んだ故かもしれないが、路上生活者の命を軽んじる描き方に違和感を持った上での感想である。>
■超一級の役者の凄さ
・福山雅治さんも、北村一輝さんも、全く老けていない。
柴咲コウさんに至っては一昨晩に観た最新作のほうが、顎がシャープだし、若返っている。
人前に立つ仕事をする方々の、プロフェッショナルな姿勢には、敬服するしかない・・。
もった早く見ればよかった
謎解きが見応えあり。
原作未読、ドラマシリーズも一切見たことない状態で鑑賞しました。 す...
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