「自分たちの命と同胞の命の間で苦悩するサリーがよく描けていました。」ヒトラーの贋札 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
自分たちの命と同胞の命の間で苦悩するサリーがよく描けていました。
早稲田松竹で6月6日(金)まで上映中だったので、
見てきました。
物語は、いきなりネタバレから始まります。
第二次大戦直後のヨーロッパ。
ある男は鞄から大金を取り出し、高級な服などを買いそろえ、ぱりっとした身のこなしで、颯爽とカジノに向かいます。しかしその表情は物憂げでうつろ。
カードゲームで役を揃えながらついこの間のような昔の出来事に思いをふせるのでした。
場面は変わり、第二次世界大戦のさなか。
ニセ札作りのプロ、サロモン・ソロヴィッチ(通称サリー)は極悪犯罪人として指名手配され、当時一介の捜査官だったヘルツォークに捕まってしまいます。
重罪を覚悟したサリーでありましたが、その贋札作りの腕を買われて、ナチスの極秘プロジェクトのリーダーとしてユダヤ人強制収容所の一画に連れて行かれます。
そこでは、敵国イギリス国内経済に打撃を与えるため、大規模なニセポンド札の製造に着手しようとしていたのです。奇しくも責任者は、自分を捕まえたヘルツォークが親衛隊少佐として現場を仕切っていました。そして、各地の収容所から印刷技術の専門家のユダヤ人をかきあつめていたのです。
塀の一枚超えて、外ではサリーの同胞たるユダヤ人が毎日当たり前のように惨殺されていました。けれども贋札作りに関わるユダヤ人たちは、柔らかなベッドやまともな食事が提供される"破格"の待遇を受けました。
その対比のなかで、のちにサリーに過酷な決断がのしかかります。
贋札作りは英ポンドで実績を出して、このまま贋札を作り続ける限りは、彼らの命も生活も保障されていたのでした。
しかし戦況が悪化して外貨不足になっていたナチスのもとで大量の贋札を作り続けるのは、それだけ家族や同胞の生命の危機を長引かせ、犠牲者を増やすことを意味していたのです。
それゆえ、同胞を守りたい正義感から意図的にサボタージュして、贋札の発行を妨害しようとする者も出てくるのです。けれどもそれは、命の危険を伴うものでした。
贋札の大量発行を迫るヘルツォークは期限までに作製しないと、チームのユダヤ人を5名も殺すと通告したのです。
方や同胞を守る大義を説くものと、命の危険にさらされたものとの間に板ばさみになったサリーの苦悩は見ていているほうも痛々しかったです。
結局サリーたちは、抵抗はしたものの、ナチスに協力した事実はぬぐえ切れません。む 冒頭の散財するある男の刹那ない表情は、どうもこのところと関係あるようです。その男の虚ろさにあるのは、あぶく銭をどんなに使っても満たされないのか、はたまた悔悟の思いが募るのか、大金持ちにしては哀愁たっぷりでした。
ルツォヴィツキー監督は、早めのカット割りでテンポ良く筋を進めて、重くなりがちな収容所の話を、サクサク見られる話にまとめています。
そしてサリーたちが自分たちの命と引き替えにナチスに協力したことの是非に一切主観を入れていないところが押しつけがましくなく良かったです。
サリーたち囚人の群像もひとりひとりの立場、演技上の役割を明確化して、すごく解りやすいドラマになっていました。アカデミー賞を取るだけに、なかなかの傑作です。
贋札作戦は、ドイツのスパイの視点から語られる著作が多い中で、この作品は初めて贋札作りに関わったユダヤ人の視点から描かれたことに意義があると思います。
なお、この贋札作りは、「ルンハルト作戦」と呼ばれる実在の事件がモデルになっています。実際にオーストリアの湖岸から贋札が発見されていて、贋札作りにかかわったユダヤ人が書いた原作を元に映像化しています。
エンドロールの最後でも、その経緯が触れられるので最後まで見てください。