ハリー・ポッターと謎のプリンス : 映画評論・批評
2009年7月14日更新
2009年7月15日より丸の内ピカデリー1ほかにてロードショー
全編を通してかなり大胆な省略と脚色が施された第6作
それぞれの監督が同じ世界をどう自分流に料理するのかが楽しみだったこのシリーズだが、前作第5作以降は最終作までデビッド・イェーツが監督することが発表され、この楽しみは失われた——と思ったら、それは間違いだった。同じ監督なのに今回は前作とはタッチが違う。冒頭の、原作にはない現代ロンドンの大災害は、これまでのシリーズにはない新鮮な光景。全編を通してかなり大胆な省略と脚色で、サーガの進行に沿った、シリーズ初の不穏な黄昏の気配に満ちた世界を作り上げている。これなら続く2作でもまた別の世界像を描いてくれるかもしれない。
が、今回の抽出部分が適切かというと、それはまた別の話。もちろん、原作のすべてを映画化できないのは大前提として、今回はタイトルにもある「謎のプリンス」を描くべきだったのではないか。原作は巻を追うごとに対象年齢を上げ、最終話第7作の直前に位置するこの第6作は、ハリーではなく、“謎のプリンス”の正体ではないかと推測される人物2人の隠された側面を描いて、このサーガ全体に、単純な善悪の闘争ではない奥行きを与えている。映画版はこの奥行きを省略しすぎているのではないだろうか。その一方で、ロンのホレ薬事件やハーマイオニーの「襲え!」はちゃんと登場。キャラクターを描く部分を省略しない、という判断は的確なのだが。
(平沢薫)