ツリー・オブ・ライフのレビュー・感想・評価
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悪いけど、ここ数年で見た映画で一番最悪。星のつけようもない。 半分...
悪いけど、ここ数年で見た映画で一番最悪。星のつけようもない。 半分もいかないところで席を立つ人が数人いた。 何が言いたいのかさっぱり見えてこない。 次男が亡くなった理由は? それを回顧する長男の心境は? 途中でジ・アース的な地球の映像は何の象徴? 次男がアタマに傷あったけど、あの意味は? 恐竜の意味は? キリスト教の素地がないと分かりにくいのか。 ピットくんの出るのは面白い、という定説が自分の中で崩れ去った作品だった。
フィーリング映画
主人公の思考や葛藤の根深いところまでが映像によく表されていたと思います。 そして思想は違えど、父と母の紛れもない深い愛が主人公の人格を形成し、優しく包み込んでいるかのような映画でした。 何か考えさせられ、感じさせられる映画だと思います。 予告が素晴らしかった記憶
なんなんだ?????????
訳がわからない。理解不能。0という評価を付けられないので0.5としました。 この監督とトリアー監督は凡人には理解できない。そういえば、なんとなくメランコリアの冒頭に似ているかな。
ブラピ今まで見た中で一番いい役
自分でコントロールできない悲しい父親萌。 最後まで観てから冒頭見返すと内容が入りやすい。言葉は必要だけど抽象的な映像をもっと短くすれば見やすい気がする。 デビッド・リンチみたいなトラウマになるような映像がちょこちょこ入るのがいい感じ。
映画?
流れる様なフィルムは、良く言えば「詩的」なのかもしれませんが、映画かと言われたら映像と答える作品です。 抽象的すぎる作品なので、恐竜が登場した時点で、理解を超えました。「生命」に対する監督の解釈が難しすぎて、私には合いませんでした。 この時のカンヌ映画祭の審査員長がデ・ニーロだったからパルムドールに選ばれたのでしょうか。いや、本当に不思議です。
長い。映像が美しい。
ずいぶん前に映画館でみましたけど ほんっとに長くて映像が綺麗。以上。 宇宙の映像とかはうそだろーなに観てるんだっけ?笑って思った記憶があります。 親子の話かと思えばそれほど会話がなくて。 お母さんが庭で洗濯物を干すシーンが美しすぎたのが今も忘れられません。子供には世界はこんなに美しく写っているのかなあ。
家族をめぐる魂の巡礼
神に問いかける形で、ストーリーは展開する。 宗教に興味のない私もそうだ。 自分の中で常に何者かに話している。 私という人間は醜いでしょうか? 常に繰り返される、記憶を紐解いて、問いの答えを探し求める行為。 その最も内なる私的な行為を、1つの家族をとおして表現している。 美しい母の愛、子供を厳しく育てる父の愛、兄弟への愛それらは この世界が悲しみだけではないと示している。 この世界は生きるに値すると・・・暖かい視点で映画は描かれる。 私たちが実際に生きる世の中は、うまく生きるのは難しい。 人は生きて行くなかで、どうしても耐えられない苦しみに出会う。 身を引きちぎられる様な、痛み、怒り、混乱。 自然を主とした映像は、美しさと、厳しさで人を圧倒しひれ伏すが 自分の無力さを許容し、海を漂う水の一滴に過ぎないと気づかされる。 誰かをなくした苦しみの印も 少しづつでも確実に薄らいでいくに違いない
映像面や音楽面に重きを置いた叙情的散文詩みたいな難解作品
見てきました、ツリーオブライフ。 もっと人間的に重い話を想像してたのだけど 映像面や音楽面に重きを置いた叙情的散文詩みたいな作品で。 出演シーン、エピソード部分の少なさに想像が膨らむ部分も多いけど ほとんど感情移入ができなかったのは 私がむしろブラピ演じる「横暴で矛盾だらけの未熟な人間」だからかも。 上映中、ずっとGraceとNatureについて考えてたけど ヨブ記に代表されるGrace的な生き方は人生かけても理解できない気がします。 物語は「ツリー・オブ・ライフ」のタイトル通り、宗教の色が濃く、 旧約聖書…取り分け「ヨブ記」を意識した作品に思えました。 そして、ギリシャ神話の「オイディプス王」から派生する フロイトの「エディプス・コンプレックス」も この話の根底に根付いてい(るように思い)ます。 「善良な人間は利用される」と言い切る父は 冒頭で言う所の「Nature(神の恩寵に浴していない未開の精神状態.)」 威圧的で人を支配することで自己のコンプレックスを隠すタイプの人間。 一方で、あらゆる不条理も屈辱も、すべてを受け入れようとする母は 冒頭で言う所の「Grace(神の恩寵を受けいれんとする精神状態)」 そんな二人のもとに生まれた3人の息子たちは 父を罵りながら、畏れながら、母を愛しながら、軽んじながら…育っていきます。 しかし一家の次男が19歳の若さで突然世の中を去ることで、 Nature寄りであった父と、Grace寄りであった母の価値観が崩れていく… すみません、私の解釈としてはこんな感じなんですが。 次男は何故死んだのかというような具体的な説明のない また話の流れも全然時系列でないコラージュ的なこの作品。 所々に犯罪者が出てくるのでひょっとしたら犯罪に巻き込まれたのかもしれません。 少なくとも私は話の筋的に「奪われた」「殺された」的な意図を汲み取りましたが それが正しいかは定かではありません。 時系列は後半に進むにつれ、更に複雑化し、 ついには何十才も隔たりがあろうはずの父親のブラピと息子のショーンペンが 飾り気なく同じ場所に立ってしまいます 「いかにも」な宗教色色濃いシーンだけど印象強く美しい。 映像美としては鮮烈でこの後も何かにつけ思い返すことはあるとは思いますが、 作品としての明確さは…私には高等すぎたかも?? 見方としてはCM等でばんばん流れているような 「親子の絆とは?」等の内容としての濃さ・重さを期待して観ると かなりがっかりすると思います。 全編を通し物語の背景や人物の説明等は殆どなく、 それらは見る人の憶測や見解に委ねられるのでかなり難解。 …見ていてスタンリー・キューブリック作品的な色味が強い気がしました。 (実際、配給会社の方も【21世紀の「2001年宇宙の旅」】と仰っていました) 一方で映像やカメラワークはとても印象強かったです。 世界中から撮り集めたナショナルジオグラフィック的美しくも力強い映像は 地球規模の壮大なものから昆虫へのマクロ的なものまで種種集められ 時にCG加工を施され、固執に近い愛情を持って映し出されています。 当初8時間にものぼるフィルムを集約するのにかなり時間を要したとか。 話の合間合間にちりばめられたそれらのV、 例えば幼子と母が、兄弟が遊ぶ中に昆虫を始めとする小生物が息づいていたり… 或いは海、或いは火山、あるいは地球、あるいは太古の恐竜… それらひとつひとつの丁寧な描き方は目を見張るものがあります。 美しい自然美の映像が流れる中において、 ストーリーの核は、もはやブラピでもショーン・ペンでも父子の話でもなく 「脈々と繋がる命の系譜」の抽象表現自体が 主人公なのでは…と途中から思えてきたほどです。 丁寧に演じている彼らを横っちょに置くことで スケールの大きさを語りたいのかな?っていう。 この手のものは賛否両論だと思いますが 実際、カンヌでもスタンディングオベーションとともにブーイングもあったとか。 またアメリカの劇場では 「ブラッド・ピットとショーン・ペン 期待で見て内容に不満があっても返金しないよ」 …って掲示もあったそうで、それだけクセのある作品です。 睡眠不足の時だと確実に見ながら落ちそうな気もしますが 涼しい中で、迫力ある「命の樹」に抱かれて眠る…ってのは ある意味、最も贅沢な時間である様な気もします。 ご覧になって「退屈な作品」と思ったら、そのまま寝てしまうのもアリかと。 スメタナのモルダウが流れてきたあたりでは、 あまりの心地よさに落ちそうになりましたもの、ワタシ(爆) あのまま眠ったらさぞかし気持ちよかったろうなぁ…って! 以上、Tree of Lifeのなんちってレビューでした♪ これ、ディズニーから配給って結構異色、 間違っても小学生連れで行っては行けない気がします^^; それにしても、なんだろうブラピ。 役により口元とか目つきとか骨格とか変わる気がする。 音楽家を目指しつつ、成り切れない、 おそらく平凡な家庭に育ったコンプレックスだらけの 弱い人間性とか丁寧に表現してる。 カッコイイ「ブラピ様」を脱ぎ捨ててのおっさん臭さ。 わざと腹周りに肉でも付けたのでは?とか思わせる佇まい。 いい役者さんになってる気がするのに、 ここの所あまり良い役に恵まれてない気がする。 <追記> 最後に。私の強い妄想としては 根幹の肉付けをスティーブン・キングに解説してもらいたいなぁとかちょっと。 きちんとした筋は自分で作らなければいけないのがちょっとしんどい作業。
お母さん、お父さん
宇宙の映像やら出てきた時は、「なんだこれー、こういう系のはちょっと(^^;)」なんて思ってたのにいつの間にか入り込んじゃってた。 お父さんの言葉にいちいち共感したり、、お母さんの言葉に感動させられたり。 時間を置いてまたいつか観たいと思った。
親が子を、子を親が愛するのは当然なのか
人が自然な状態であるべきだと言うのなら、愛がどのようなものかを問うのと同じように自然がどのようなものであるかを問う必要がある。 子が親を愛する事、親が子を愛する事は自然なのだろうか。 愛の中に広義での従う事が含まれるのならば、従うところに愛があるのかというと必ずしもそうではなく、愛あるからこそ従うのかというとそうでもない。 ただ自然に生じたその関係を愛ある関係に変えるのかまたそうではないのかは全く当事者たちの人間性にかかっているのではないかと思う。 ただ親は先を行き、子はその後を追う。 親はそれまでの自分の経験から正しさと間違いを子に伝える、ただ自然と意思の間に揺れる親を見て子供はその正しさや間違いの間で揺れ動くのだろう。
命の実態を映像化
ミルトンの失楽園にそった西洋思想の根本的概念を 映像化した力作。 映像の美しさは表現力は見ものです。 映画自体は全体としてしんどくなりますが 目に見えない心の中で創造する 神 や 命 を 表現した映像はなかなか面白い。 概念への賛否はここでは置いといて 忍耐を持って見るのも一興です。
21世紀最初の傑作
あの20世紀の傑作「2001年宇宙の旅」とも比較されるこの作品ですが、形としては宇宙の誕生から一気に現代までを4次元的に表現するところが似ているのでしょうけれども、決定的に違うのは、この作品は「神との対話」の映画であり、あくまで人間からの問いかけであるのに対し、キューブリックの「2001」は「神の視点」で創られた映画であり、そのスペクタルは全く異なります。むしろこの映画は、「ノスタルジア」や「サクリファイス」のアドレイ・タルコフスキーと比較検討されるべき作品であり、タルコフスキーの一クリスチャンとしての厳しい信仰心に対して、もっと全宗教に共通するような大らかな慈悲に溢れる作品であり、謙虚な人間の美しさの映画である、といえるのでは? ともかく、このようなレベルの作品がハリウッドに存在する、ということが驚異であり、映画人としてのプロデューサーを兼ねるブラッド・ピットにはエールを送りたいものであります。 「シン・レッドライン」も実は戦争アクションの形をとった「神との対話」の映画でした。神と対話している人間はその時何をしていたか?というと、最悪の罪である戦争の途中であるというコントラストのキツイ映画でしたが、今回は普通の人々の映画、これは明らかに「シン・レッドライン/ビギニングス」ともいえると思います。 「地獄の逃避行」も連続殺人犯人に菩薩のような優しい眼差しを向ける映画でしたが、この奇跡のような監督の価値に、もっと理解をよろしく。
神の恩寵に生きる者に、不幸は訪れない
映画「ツリー・オブ・ライフ」(テレンス・マリック監督)から。
この作品、きっと賛否両論に違いない。
映画というものをどう捉えるか、によって感じ方が違うのだから。
さて私の場合、数少ない台詞から、気になるフレーズをメモしてみた。
特に、作品冒頭、こんな台詞が続く。
「『生き方には、2通りある』と修道女に教わった。
世俗に生きるか、神の恩寵(おんちょう)に生きるか、どちらか選ばなくては。
神を選ぶ人は、利己心を持たない。軽んじられ、忘れられ、
疎(うと)まれることを受け入れる。侮辱され、傷つくことも。
世俗に生きる人は、利己的。他人に自分を従わせ、威圧的に振る舞う、
自分の意のままに。常に不満の種を見いだす。周りが幸せに輝いていても、
愛情が満ちあふれていても。」
そして「こうも教わった。『神の恩寵に生きる者に、不幸は訪れない』と。」
この辺りに、監督の伝えたいことが詰まっている気がしてならない。
台詞が少なければ少ないほど、気になって仕方がないし。
この映画を観た人の、ヒントになればいいのだが。(汗)
キリスト教的観点
映画とは大勢が楽しむ大衆娯楽であると同時に作り手の考えや思いを反映した私物でもある。 商業であり芸術である。 そして、この作品は間違いなく芸術作品だろう。 しかし、その洗礼されたキリスト教的観点は、私も含めて無宗教者にとっては本質や精神性を非常に理解しにくいものであった。 また、映画として観るならこの作品にきちんとした脚本は存在するのか。 冒頭の10分間が余りにも下手だ。 さらにそこに続く自然を使った"生"の描写を挿入したことで多くの人を混乱させただろう。 同じように挿入した後半の"生"の描写は多くが映し出された後であったので説得力があったのだが…。 映像が語ると言う点では非凡であるが、彼自体が謎に充ちている存在故に作品に対する過大評価が先走っているように思う。 事実、キューブリックはコンスタントに作品を発表しながら同じテイストの、しかも後世まで評価される作品を生み出している。
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