「宇宙アバルン滞在記。 現実と虚構、貴方ならどちらを選ぶ?」アバター(2009) たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
宇宙アバルン滞在記。 現実と虚構、貴方ならどちらを選ぶ?
未開の惑星パンドラを舞台に、星に眠る鉱物資源を狙う地球人と原住民族ナヴィの衝突、そしてその二つの勢力の狭間に立たされた海兵隊員ジェイクの決断を描くSFアクション。
監督/脚本/製作/編集は『ターミネーター』シリーズや『タイタニック』の、オスカー監督ジェームズ・キャメロン。
ナヴィの女戦士、ネイティリを演じるのは『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』『ターミナル』のゾーイ・サルダナ。
地球人の軍用ヘリパイロット、トゥルーディ・チャコンを演じるのは『ワイルド・スピード』シリーズや『バイオハザード』のミシェル・ロドリゲス。
第82回 アカデミー賞において、美術賞/撮影賞/視覚効果賞を受賞!✨✨
第67回 ゴールデングローブ賞において、作品賞(ドラマ部門)/監督賞を受賞!✨
第34回 日本アカデミー賞において、最優秀外国作品賞を受賞!
全世界歴代興行収入ランキング堂々の第1位ッ!!👑
史上最もヒットした超大作を、今回初めて鑑賞してみました。
ハイクオリティな3D映像が話題を呼んだ本作だが、お家に3D対応のスクリーンがないため泣く泣く2Dバージョンで鑑賞。
「映像はすごいけど物語はカス」とか「3Dじゃないと観る価値なし」とか、そういう評価を散々聞いていたので正直気乗りしなかったのだが、いざ鑑賞してみるとこれがなかなかイケる。
ちょっと長すぎるとは思ったけど普通に面白いじゃん!
日常的には使わない「アバター」という言葉だが、実はテレビゲームをプレイする人間にとってはとっても聴き馴染みのあるワードである。
「アバター」とはプレイヤーの代わりにゲーム世界で冒険したり戦ったりしてくれる分身のこと。自分で外見や声をセットアップする事が出来るため、ただゲームが用意したキャラクターを操作する場合に比べると、その世界への没入度は大幅にアップします。身代わりとなるキャラクターを自らの手で作り出す事で、まるで本当にその世界に入り込んだかのような感覚を味わう事が出来るのです。
ここまで言えばお分かりでしょう。
この作品、何を隠そう「テレビゲームという概念の実写化」なのです!
もう少し具体的に言うと、「オープンワールドRPG」というジャンルの実写化。「The Elder Scrolls」シリーズ(1994-)に代表されるこのジャンルは、とにかく冒険できるフィールドが広大であり、それがシームレスに繋がっているのが特徴。アクション性やストーリーよりも、ビジュアルや世界観に主軸を置いているものが多い。
このアバターもまさにこれで、惑星パンドラの生態系、地質、大気、民族、文化、言語などを徹底的に描き込むことにより、フィクションの世界に確固たるリアリティを生み出しています。
世界観の構築が完璧に行なわれているため、後はここに観客の目となり耳となる主人公を投入するだけでOK。奇を衒ったストーリーやあっと驚く展開がなくとも、主人公が惑星パンドラをウロウロと彷徨いそこに住む原住民ナヴィと交流をする、これを描くだけで充分に映画として成立している。
この「ウロウロするだけで楽しい」という感覚こそがオープンワールドゲームの持つ最大の快楽。世界観の構築が上手いゲーム、例えば「The Elder Scrolls V: Skyrim」(2011)や「ウィッチャー3 ワイルドハント」(2015)、「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」(2017)などであれば、ただ街やフィールドをウロウロするだけで平気で1〜2時間は過ぎてしまいます。
この「何もしなくても楽しい〜♪」という感覚を映画で見事に再現したことこそ本作最大の魅力だと思うし、それを2009年に制作したというのはとにかく早い。この頃からゲーム業界はオープンワールドというジャンルが主流になるが、それはこの映画による影響が大きいのかも知れない。
プログレバンド「イエス」のジャケット絵で知られるアーティスト、ロジャー・ディーンは本作のアートデザインが自分の作品に酷似しているとして訴訟を起こしている。
確かにロジャー・ディーンの作風にも似ているが、自分としては天野喜孝のイラストに似てんなと思いながら観ていた。
天野さんの代表作といえば「タイムボカン」シリーズ(1975-)や「グイン・サーガ」シリーズ(1979-)など枚挙にいとまがないが、その中でも特筆すべきはやはり「ファイナルファンタジー」シリーズ(1987-)でしょう。
この映画、ナヴィの衣装や体型、クリーチャーのデザイン、植物の形態、人間側が操るパワードスーツの感じなど、なんかめっちゃFFっぽさを感じる。あとはチョコボと魔法さえ出てくれば、FFの実写化と言われても信じられるレベル。
この半端ない既視感こそ、本作が「テレビゲームの実写化」を目指した作品である動かぬ証拠。かなりFFから影響を受けていることは間違いないんじゃないでしょうか?
天野喜孝さんの仕事で忘れてはいけないのは、押井守監督作品である『天使のたまご』(1985)のキャラデザ。
宮崎駿のファンであることを公言しているキャメロン、本作が宮崎作品に類似していることはよく指摘されている。
確かに、『風の谷のナウシカ』(1984)や『もののけ姫』(1997)を思い起こさせるシーンや展開はいくつもあるが、宮崎駿をなぞっているのは表面だけという感じがするし、そこまで似ているとは思わない。
この作品、宮崎駿というよりはむしろ押井守との類似性を指摘すべきだと思う。
パワードスーツと搭乗員の手の動きをリンクさせるグローブは『機動警察パトレイバーⅡ』(1993)、首筋から出るケーブルで他者と接続出来るというのは『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)と、押井作品から頂戴しているディテールは多々あるが、それ以上に作品の根本的な構造がめちゃくちゃ押井守っぽい。
ソフトウェアとしての精神/ハードウェアとしての肉体や現実/虚構といった対比、そして星そのものが一つの脳であり生物は情報を伝達するニューロンでしかないという説の提起など、とにかく一から十まで押井っぽい。予算が100倍になった押井映画って感じがする。
もちろん、押井守作品ほど理屈っぽくはないのだが、それでも押井イズムみたいなものは間違いなく流れている。
押井とキャメロンに交流がある、ということはファンの間ではよく知られているが、世界No.1ヒット映画の裏側に押井守の影があるというのはなんとも興味深いというか皮肉というか…。押井作品は全然ヒットしないのにね😅
ストーリーは大味というかありがちというか、確かに特筆すべきことはないのかも知れない。
ただ、クライマックスに主人公が採る選択は、実はかなり攻めたものであるように思う。
本作で対比的に描かれるのは身体障害者として生きる過酷な「現実」と、夢のような世界で英雄として生きる「虚構」。
「ゲームは1日1時間」という条例が香川県で成立したりしていたが、本作でのメッセージはそれと真逆。「嫌な現実からは目を背けてゲームにのめり込め」と言っているように受け取る事も出来る。
例えば、『マトリックス』(1999)で描かれていたのは仮想空間から現実世界への帰還だったわけだし、近年でも『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)では「エヴァばっか観てないで彼女作って真面目に働け」という痛烈なメッセージが庵野秀明から飛んできた。
このように、「虚構よりも現実を重視せよ」というメッセージを観客に送るのが娯楽映画としては一般的だと思うのだが、その逆を行くキャメロンの姿勢はなかなかに興味深い。
ここで考えたいのは果たして「現実」は「虚構」よりも重要なものなのか、という事。
ちょっと話はズレるけど、第169回芥川龍之介賞を受賞した市川沙央女史が指摘した「読書文化のマチズモ」にハッとした人は多かったのでないだろうか。
自分はまさにそうで、「読書するなら絶対紙の本!電子書籍なんて読んでられっか!」なんて思っており、市川女史の言葉を聞くまで紙の本を読む事が出来ない重度身体障害者がいることなんて全く考えてもいなかった。
本作の提示するクライマックスの選択もこれに通ずるところがあるように思う。
「虚構」から目を覚まして「現実」を生きろ!という言葉は聞こえはいいが、それは勝者の理論に他ならない。現実世界を生きるのが辛い者、それは社会的な息苦しさだったり、身体障害や精神障害を負っていたりと色々あるだろうが、そう言った者の立場に考えを巡らせず、ただ「虚構」を否定し「現実」を突き付ける事が正しい事だとはどうしても思えない。そういう"正論"の押し付けこそ、悪きマチズモの片棒を担ぐことになりやしないだろうか。
もっといえば、果たして「現実」と「虚構」の境界とは一体どこにあるのだろうか。「現実」も宗教や政治、国家、民族、イデオロギーと言った「虚構」の上に成り立っているのであり、「虚構」と「現実」を完全に切り離すことなど出来やしないのでないか…。
とまぁ、こういう映画を観るとどうしても押井守みたいな事を言いたくなってしまうのです。
脱線しまくってしまったが、こういう「虚構」を優先するエンディングを持ってきた作品が世界中で大ヒットしたというのは、閉塞感や絶望感が社会全体に満ちているという事なのかも知れない。
大味なSFアクション映画だが、その背景について色々と考えてみるのもいいのではないだろうか。
単純にキャメロン映画として観てみても、集大成感があっていい感じ。
シガニー・ウィーバーが出てるし、『エイリアン2』の海兵隊みたいな人たちがいっぱい出てくるし。
今回のラスボスであるクオリッチ大佐がめっちゃ良い!
もうあのクライマックスの焼き討ちでの、人生が楽しくってしょうがない感じが良いですね😊
こういう人を観るとホッコリしますね。最後はちゃんと死んでくれるしね。
ザ・キャメロンヒロインなミシェル・ロドリゲスも良かったですね。サラ・コナーの再来って感じ。
相変わらずのタンクトップ&ティアドロップサングラス。キャメロンがあと30歳若かったら絶対ロドリゲスを口説いていた事だろう。
それだけにあの死に方はちょっとないだろう、とは思ったけど。そこはもう少し丁寧に殺してあげてよ〜…😢
流石世界興行収入第1位。見どころの多い映画でした。
デザイン面でのオリジナリティの低さは気になると言えば気になるけど、そこは徹底的な世界観の構築で見事にカバーしていたと思います。
話によると、キャメロンは『アバター5』まで構想しているらしい。今回のエンディングから考えると、今後も惑星パンドラでのすったもんだが描かれるんだろうが、それよりも作品ごとにアバターを送り込む惑星を変えて、それぞれの部族の伝統や文化に主人公が適合していく様を描く「世界ウルルン滞在記」ならぬ「宇宙アバルン滞在記」を見せて欲しいような気がする。
今後もずっとナヴィでいくのかしら?流石にそれは飽きてこない?