ランボー 最後の戦場 : 映画評論・批評
2008年5月13日更新
2008年5月24日より日比谷スカラ座ほかにてロードショー
見事な正統派アクションとして成立しているが……
ベトナム戦争を経たアメリカの表と裏の顔ーーそれがロッキーとランボーだった。アメリカン・ドリームをもう一度愚直なまでに信じることで、6度目のロッキーを再生させたスタローンは、4度目のランボーもまた、原点に立ち返ることから物語を始める。不死身のヒーローの代名詞になってしまったランボーだが、そもそもは殺戮マシーンに仕立て上げられ、戦場の英雄となったものの、平時に戻った国家から裏切られた男だ。社会も人も信じられず、心を閉ざしてタイの奥地で暮らすランボーが、隣国ミャンマーの軍事政権の極悪非道な兵士たちに対し、怒りの鉄槌を振り下ろすまでの心理の変遷とストーリー展開には説得力がある。「プライベート・ライアン」を凌ぐスプラッタ描写で見せる民族虐殺の陰惨な光景は、生粋の戦士の復活を待ち望む上で効果的に機能し、近頃すっかり分が悪い勧善懲悪を甦らせる正統派アクションとして見事に成立している。
しかしイラク戦争を経て、制圧後のバグダットの現実を知る僕らは、さすがにこれを単なるエンタメと捉え、溜飲を下ろすわけにもいくまい。個人的な義憤から起ち上がるランボーだが、敵がただの組織ではなくリアルな政治的存在であるため、結局のところアメリカン・ジャスティスの再生に思えてくる。しかも彼は野獣に戻ることで正常な心を取り戻し、祖国へと帰還していく。今回のバトルは、自らの定めを受け入れるために不可欠な旅だったのか。戦い続ける人生を決意すれば、アメリカと折り合いがつくのか。正義を振るう正当な場所を求め、彼はまた、悪の枢軸国へ行脚していくのだろうか。
(清水節)