ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂのレビュー・感想・評価
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【”私が悲しくなればなる程、アイツは強くなるんだよ。”深い悲しみと喪失感を抱える高校生男女が、夜な夜な謎のチェーンソーマンと戦う物語。チェーンソーマンが何を象徴しているかは、観れば分かります。】
■目的もなく平凡な日々を送る高校生の陽介(市原隼人)は、別の高校の美少女、雪崎絵理
(関めぐみ)と夜に出会う。
彼女はチェーンソーを振り回す鎧に身を包んだ男と毎晩戦っているが、その理由は分からない。同じバンドメンバーで親友だった能登(三浦春馬)をバイク事故で亡くした後、死んだように生きて居るつまらない日々を埋めるように、陽介もその戦いに没頭していく。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤は、何が何だか分からないが、私は市原隼人さんが好きなので、観賞続行。
・だが、徐々に陽介は同じバンドメンバーで、妥協をせずに生きて居た親友の能登をバイク事故で失っていた事が描かれて行く。
・一方、雪崎絵理も酔っ払い運転の車に巻き込まれ、両親と弟を理不尽に失い、独りで大きな家に住んでいる事が明らかになって来るのである。
■劇中、陽介たちのバンドの曲”根性なし”が、格好良きリフと共に大音量で流れる。ここからは、私が映画を観て感じた事だが、
”妥協するんじゃねえ”
”直ぐ謝るんじゃねえ”
”諦めるんじゃねえ”
”死ぬんじゃねえ” という劇中に登場人物達の台詞として出て来るフレーズが曲に重なっている気がしたのである。
・陽介は、父が営むラーメン屋が北海道に行くことになり、彼自身も納得出来ないが転校する事になった時に、絵理の言葉を思い出すのである。
”私が悲しくなればなる程、アイツは強くなるんだよ。大切な人も、友人も皆いなくなっちゃうんだよ。”
そして、陽介は絵理の学校に行くが彼女は登校していない。絵理の家に行くと陽介宛ての手紙が残されているのである。
陽介は学校の先生(板尾創路)のバイクを借り、猛スピードで事故死した能登と並行しながら走り、”俺は生きるぜ。”と言い、絵理の元に駆け付けるのである。
<そして、いつもの時代劇のセットに到着すると、絵理はチェーンソーマンと戦っているが、怪我を負い苦戦している。
そこに、陽介が参戦するが彼も殺されそうになる。そして”もう駄目だ“と諦めかけた瞬間に、チェーンソーマンは”お前の望み通りにはならない。”と呟き、自爆するのである。
そして、陽介と絵理は少しだけ未来への希望を感じて、歩き出すのである。
今作は、深い悲しみと喪失感を抱える高校生男女が、夜な夜な謎のチェーンソーマンと戦う物語である。チェーンソーマンが何を象徴しているかは、観れば分かると思うなあ。
けれども、鑑賞後に哀しい気持ちになってしまったのだなあ。何故かは記さない。>
ホラー映画の皮をかぶったバカ映画ではなく、ホラー映画の皮をかぶった青春映画だった?
オープニングはいきなり不自然な時代劇風となっていて度肝を抜く。なにしろお江戸セットに高校生、それにチェーンソーを振り回す黒頭巾の大男。これはオバカ映画に違いない!と早くもウキウキ態勢に突入となるのです。
主人公の高校生・山本陽介には市川隼人。成績も最悪なら、何かを成し遂げなければと気が焦るばかりで、ついつい堂々と万引きしてしまう始末。これがオーストラリア産牛肉だったら単なる精神的病によるものと片づけられそうなのに、盗んだのは高級和牛8400円分なのだ。本当にバカ・・・バカを演じたら天才的な市川隼人だ。そんなバカが目撃したのはチェーンソー男と戦う女子高生・雪崎絵里(関めぐみ)。助けようとするものの、逆に助けられ、おまけに化け物にも逃げられてしまうのだ。
毎夜同じように戦う絵里の手伝いをした後は、学生寮に戻って渡辺(浅利陽介)と一緒にくつろぐ時間だ。カメラ、絵画、小説、バンド、と開花しない芸術家気取り。ネガティブな山本とは異なり、何かを追い求めてる姿は対照的でもあるが、人生の目標を探すべくもがいている点では同じなのです。「根性がない」と自己弁護するのが口癖の山本。学校の先生(板尾創路)も言うように「今の若者は反抗しようとしない。反抗したって変わらないことを知っている」と、引きこもり傾向にある若者気質を言い当てている。
オバカ映画だと思っていたのに、実は青春映画だった・・・。市川、関の2人が自転車2人乗りなどという構図が象徴するように、ちょっぴり淡い恋心、そして悩める高校生像がメインとなっていました。それでもチェーンソー男との戦いは何度も登場し、バカっぷりも発揮しています。市川がカメラの一脚を武器にし、関は木刀、窓ふき棒、ゴルフクラブと次々武器を変えていくところが面白いのです。手裏剣しか相手に当たらなかったですけど・・・
で、そんな青春映画なのにチェーンソー男登場ってのはいったい何だったのだ?ファンタジー映画のように夢や妄想ととらえてもいいのかもしれないし、大切な人の死(ちなみに市川の友人・三浦春馬は最初から死んでいる)がもたらした、解き放たなければならない呪縛のようなものだったのか。彼ら心に巣食う闇のメタファーとしての存在が最初は大きく感じられるものの、次第にそれが越えるべき壁としか思えなくなってくるのです。
どちらかというと小説向きの精神的世界だったのに、CGやアクションなど、映像も頑張っていました。なぜだか彼らの寮や部室(?)が好き・・・というより、自分の趣味にも当てはまるような小物ばかり。パソコンの画面にあったDAWソフトは何だ?と凝視してしまいました・・・
【2008年1月映画館にて】
思いのほかよくできていた
あらすじだけ聞いて突拍子もない内容かなと思っていたけど、すごくきちんと作られていた。ちょっとびっくりしてしまいました。(失礼)
鮮やかに駆け抜けて華々しく散ってしまう人生にあこがれる気持ちは誰にでもあるけど、実際にやるのは結構しんどくて。なにより「派手なこともなく変わり映えしない日常の中でグダグダ過ごすこと」こそが人生の本質だったりするのかもしれないとか思ったりもする。
2020/12月になってからこの映画を見たので「だらだらと幸せになってやる。生きてる俺がうらやましいだろ」のセリフがが胸にささる。
ただ、沼から出てきた能登が何と言ったのか?セリフが聞き取れなかった。分かった人がいたら教えてください。
「根性無し」の曲が最高にインパクトがあって良いです。
だらだら幸せに生きてやる
長いこと役者さんやってると、こういう役柄ってあるんだと思うけど、
死んでしまってるノトに山本が言う言葉。
ずしんと胸に来る。
そういうのって映画の本筋とは関係ないけど、意識せずにはいられない。
そもそもチェーンソー男はなんなのか?
エリちゃんの寂しさや怒り、理不尽さの具現化したものなのか。
それに打ち勝つ事がエリちゃんの気持ちの消化だということなのだろう。
そしてそれが山本の気持ちの消化にも重なる。
それを乗り越えることが二人の成長になるという象徴なのだろう。
なんかでもノトの死にも関わってそうな描写もあるが、そっちはあまり意味ないのだろう。
最後、夕日の中で山本が思う言葉は、忘れないようにしようと思う。
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