ナンバー23のレビュー・感想・評価
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ジム・キャリー、シリアスもいける
とある小説を読んでから「23」という数字に執着するようになった主人公が最後にたどり着いた真実とは…
ちょっとホラー風味の効いたどんでん返しありのミステリー。
上手くまとまっているように思えるが、何か誤魔化されているような気がして要所を繰り返し見直すくらいには気になる作品だった。
お笑い抜きのジム・キャリーは結構な二枚目俳優だと思う。
変なお色気に拘らずもっとちゃんとした作品に仕上げてれば、良いミステリーサスペンスになったと思うのですが…
“23”という数字に隠された秘密にまつわる、ジム・キャリーが一切の笑い無しにシリアスな演技で挑むミステリー作品。
ある日偶然手にした一冊の本で、他人事とは思えない内容を目にしてしまう。
そして同時に信じられないような説を知る事となる。
「世の中の全ては23に支配されている」
ラストには衝撃の事実が待ち受けるなど、ミステリーとしてはなかなか面白い内容だと思ったのですが…
それ以上に要所要所に出てくる男女の絡み合いのシーンに「これは必要なのか…?」と疑問の目を向けてしまうところがありました。
しかしジム・キャリーの演技力は素晴らしく、彼のこういった作品自体が珍しいので見る価値はあるのかと。
犬とは相性のいいはずのジム・キャリーが噛まれてしまった。
主人公のウォルター・スパロウという名前や、本編前の予告編や、最終的なプロットによってジョニー・デップを思い出した人は多いはず・・・などとこじつける作業よりも、誕生日とか名前の画数等の自分に絡む数字を足し算してしまう人は映画の魔術にしっかりとハマってしまうことでしょう。
主演するほとんどの映画で犬と仲の良いジム・キャリー。それが今回は動物管理局に勤めていて、野良犬なんかを捕獲する仕事なのです。誕生日に古本屋で手に入れた“ナンバー23”という本によって日常とかけ離れた妄想の世界に入り込み、自分の境遇と似ている主人公と不吉な数字にとり憑かれるようになっていく・・・
本や犬など、すべてが偶然の産物。だけど、数字だけは必然性があるものとして、見つめる方向が一点に絞られてゆくのです。ところが、プロットそのものを考えてみると、中盤以降までは事件らしい事件も起こらず、全く盛り上がらないという珍しいサスペンス(人は死ぬけど、小説の中だし・・・)。その緊張感の欠如が単なる妄想癖の男の物語だということを臭わせてくるのです。
ヒントは多すぎるほどあったし、この手の映画は多すぎるほどだし、想像できれば面白くもなんともない映画だったかと思います。ジム・キャリーは好きだし、バージニア・マドセンは奇麗だったし、俳優の演技を中心に見ていたら結構楽しめました。『バタフライ・エフェクト』の時と年齢が変わってないような子役ローガン・ラーマンによってタイムスリップした気分にもさせてくれたし・・・
息子の存在がブレーキ
前半は凝った感じのポルノみたい。ここは、かなりうんざりする。流れが変るのは、嫁がくさいと思わせてくるあたりから。私書箱のおっさんが死ぬころには、嫁で決まりか、となる。
そこからは、まあ。
あまりシュールにはならず、どちらかというと感情論でまとめている。息子の存在がブレーキになって振り切れてない、という。
トータル、イマイチ、でしょうか。
“23”が本作品で一番被害者だった気が・・・
観客への需要どころか、映画ファンが求め欲する要素イチイチ空振りだった。数字の持つ”魔性性”とかジム・キャリーの”シリアス演技”、”罪”と”贖罪”がテーマのドラマ…それをいかにミステリーで紡いでくかが見所なのに、ぜんぶ見事に台無しだったし、あまりにこじつけすぎてたなぁ…
そもそも主役ジム・キャリーのセクシー場面は一体誰得?一番本領発揮するのコメディ(例上げるならやっぱ『マスク』)かドラマ(『マン・オン・ザ・ムーン』)だし、この手のサイコ・スリラーにはあんまし向いてない気がする。タトゥーやらセックスとか求めてないの延々見せられ、結局ラストも消化不良な落とし方でどうもイマイチ。やっぱ主役の”俺は正しい”主張って当てにならんねこりゃ(どうせだったら自分自身も疑いながら謎を追うとか、レオの『シャッターアイランド』ばりの深い展開欲しかった)。
あとさ時々SMプレイ的場面挿入されるけど、これって数字が絡む話だよねと幾度確認したか(苦笑)ファブリッツアとフィンガリングに、ウォルターと生前のローラ。二組分のプレイ模様を見せられてもねぇ、何かさぁ…。”それほんとに必要なの?”って感じちゃうからついていけない。ダークサイドを描くために仮に必要だとしても、なんでそれがSMプレイに行き着くんだ?と思うしかない。だってほんと申し訳ないが、要らないもん。この一連。
一応テーマに沿ったラストは用意してるしそれは良いけど、だとしても削れる要素があまりにゴロゴロ転がり過ぎ。暗く依存性の強いミステリーが見たかったのに(あと人間ドラマね)、いらんセクシュアルパートとかがとにかく邪魔で見にくかった。監督嫌いじゃないんだけどさ、これはダメだね。失敗作!『ヒストリー・オブ・バイオレンス』事前に見とけば良かったかもよ!
最後:数字の関連性、ああいう流れは無理あるよ!!
彼は自力で入る事が出来ない
最初のシーン。動物保護局のバンのドアは開いている。別に開いている必要は無い。
ウォルターは、それを「閉めて」いる。
中華料理屋のシーン。カットの始まりから犬がいる外に出るまで、不自然なほどドアというドアは開け放たれ、ウォルターは一度もドアに触れない。
開け放たれているのは、真実を知るきっかけとなる「犬」に出会うのを「導かれた」ように演出するためだ。
その後、犬に噛まれ車に行き、後ろのドアを開けるが、ただ麻酔銃を取るためであり、すぐに閉められる。
本屋のシーン。アガサは「開け放たれたドア」に目をやり、やはり導かれるように、本を見つけている。
当然、本屋は開け放たれているため、ウォルターはドアを開けない。
風邪のアガサのシーン。ウォルターは自分でドアを開けず、アガサが開けている。
女性に誘惑されるシーン。ウォルターはトイレのドアを開けようとはしない。
家に着き、ウォルターは玄関のドアを一度は開けるが、息子が彼女を連れ込んでいるのを見て、すぐにドアを閉める。その後、息子の手によりドアは開けられ、最後に入ったウォルターはドアを「閉める」のみ。
パーティーを抜け出し、本を読むシーン。ウォルターがドアを閉めるシーンから始まり、決して「自分で開ける瞬間」は撮られていない。
アガサにペンキを渡すシーンなどで、見事にドアは開け放たれている。
ケーキ屋は鍵が掛けられ、ウォルターはドアを開けて中に入れない。
アガサの靴の数を数えるシーン。自分でドアは開けているように見えるものの、少なくとも「入る」ためではなく、ただクローゼットの中の靴を覗くためだけに開けているし、まず「開け始め」というものは撮られていない。
刑務所を出る際、ウォルターは車のドアを開けるが「車の中に入らない」まま、次のシーンへと行く。
物語の核心である23号室があるホテルに夜中、家を抜け出して何気なく辿り着いたシーン。
ここでははっきりと、ウォルターが「自分でドアを開け、中に入る」という瞬間の行動を、わざわざカットを割って撮っている。
骨を発見し車を降りる時、フィンガリング=ウォルターがベランダに続くドアを開ける時、そして真実を知り、23号室のドアを開け、ホテルの玄関のドアを開ける時、「ドアを開けて出る」という行動に関しては、潔く、勢いよく開けている。
だが、この映画において真実が隠されている「ホテル」を除いて、ウォルターの「自分でドアを開けて入る」という行動は撮られていない。
これは偶然では無いだろう。
意図的に排除されている。
つまり、視点の問題であり、例えば「廊下」から「寝室」に入るシーンがあるとする。
そうすると監督は廊下側の視点からドアを開けて入るシーンは撮らない。
寝室側にカメラを置き、主人公がドアを閉める瞬間から撮るか、もう部屋に入っているシーンから始めるはずだ。
この映画は物語的に言うと「数字に取り憑かれた男」の話だが、画面的に言えば「ドアを自分で開ける事が出来ない男」の話だ。
もちろんそれはウォルターの生活の話ではなく、ドアなんて開けているに決まっているのだから、ドアは画面上での「真実へ辿り着くもの」の隠喩というだけだ。
話は変わるが、ウォルターとアガサの性生活は全く描かれていない。
あれだけラブラブぶりを見せておきながら、営みを行なった形跡もない。
ベッドで眠るシーンがあれだけありながら、撮っていない。
フィンガリングの話であれだけ性行為を見せているにもかかわらず、ウォルターの生活には、少なくとも画面上には性的な物が感じられない。
性行為=破滅だと言わんばかりに、あえて省いているとしか思えない。
またまた話は変わるが、この映画は照明が凄い。
ジム・キャリーの顔のちょうど半分が影に覆われていたり、本屋のシーンの街灯を使った照明や、ウォルターの家の、階段を取り込んだ構図の照明、ローラの葬儀を行う場面の、木々の隙間から一瞬差し込む光の筋など、全編を通して素晴らしい。
監督はおそらく、小説の持つ物語の力と映画の持つ画面の力を衝突させたかったのではないだろうか。
そのため終盤、回想によって画面が動機を説明するためだけの物に成り下がってしまっているという部分が残念だが、個人的にはその短所を補うだけの画面の豊かさは出せていると思う。
なかなかの秀作。
面白くないわけではないのだが…
すべてが”こじつけ”である。
それは劇中でも認めているので、良しとしよう。
ストーリーも悪くない。
後半、「あっ」と驚かされる展開は意外性があった。
しかし、何なのだろう。
すべてがよそよそしく、作り物っぽく感じられた。
もっと真に迫ってもよさそうな内容なのに、緊迫感が薄かった。この手の役柄をうまく演じ上げるはずのジム・キャリーの演技に迫力がなかった。
うむむむ。。。
何が足りないのだろう。
決して面白くないわけではないのだが…
23にとりつかれた男の話
映画館の割引券があったので、ジム・キャリー主演のサスペンス映画『ナンバー23』を観て来ました。
数字の【23】に取り憑かれる男の話です。
動物管理局に勤めるウォルターは、自分の誕生日に1匹の犬の捕獲に失敗して腕を咬まれてしまいます。
その夜、成り行きで妻に『ナンバー23』という題の本をプレゼントされ読み始めるのですが、読み進めるうちに【23】という数字に取り憑かれていきます・・・。
ジム・キャリーが現実世界の主人公と本の中の主人公の1人2役を演じていて相変わらずの芸達者ぶりを発揮しています。
本の主人公との奇妙な共通点や【23】の謎を追っていくうちに、主人公の意外な事実が明らかになるんですが、全体として何だか中途半端な感じで、決して面白くなかった訳じゃないんですけど、ちょっと残念な作品でした。
ジム・キャリーのキャラクターを活かしきれてなかった気がするし。
登場人物の内面の掘り下げが浅い感じがしたし。最後のオチも何処かで見たようなオチで、しかも綺麗にまとまり過ぎていて、後味が残らない・・・。
全てにおいて【あと一歩】って感じの作品でした。
まあ、割引料金で観れたから良しとします。
残念、駄作
これまでジム・キャリーの映画はすべて見てきているのでとっても期待して見に行きました。このころ面白そうな映画がなかったのもあって公開時、会場は超満員。立ち見寸前。ジム・キャリーも一念発起して、前作エターナルサンシャインとこの映画を機に本格俳優へステップアップをはかりたいところ。でも・・・
おもしろくなかった・・・。アイデアはいいんですが。2時間が永遠に感じてしまう瞬間が何度か訪れました・・・。途中から映画のテンポが変わるんですが、これが悪い感じなんです。しかも最後の種明かしクライマックスが冗長なこと・・・。23の意味も薄い・・・。すっきりまとめられないのかよ・・・。残念!駄作でした~。
都市伝説と思いきや…
なかなか見られないジム·キャリーのシリアスな演技も楽しみのひとつ。
ただ今回は作品全体の雰囲気同様ジム·キャリー演じるウォルターもなんだか不気味。
それもそのはず!!
だってウォルターは………!!!!!!
オープニングはなにが起こるのかドキドキ、途中ダラけてうっかり寝てしまい、最後、ゾゾッとしたあとひく作品。この作品はフィクション、とはいえ現実に起こりうる内容。映画館、帰りの電車内など行く先々にこのての人間がいるかも!?急に自分の周囲に恐怖を感じた。学生時代を終え、社会にでてから出会ったあの人この人の素性を私はどれだけ知っている?あなたはどれだけ知っている?
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