劇場公開日 2005年12月23日

「やっぱり家族の崩壊と再生の物語だった。」綴り字のシーズン talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0やっぱり家族の崩壊と再生の物語だった。

2023年9月25日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
「文字は人間の根源的なエネルギーの表現」とされている。文字を組み合わせた「言葉」には、宇宙の神秘が宿っている。
「APPLE」というスペルには、「りんご」のすべての歴史が秘められている。

スペリングを思い出すときのイライザの空想(瞑想?妄想?)も、言葉にまっわる彼女なりの「神秘」の表現だったのかも知れないと思いました。評論子は。

考えてみると、表意文字である漢字を使っている我々からみれば、文字それ自体には固有の意味はなく、その組合わせが初めて意味を持つという言語にとってみれば、正確なスペリングは、一画多いとか少ないとか、アタマが出るとか出ないとかを超えた意味があるのかも知れません。
本作で題材とされているようなスペリングのコンテストは実在すると聞きますが、そんな意味合いもあって、盛んに行われているのかとも思いました。

そして、イライザがこのコンテストに打ち込んで、卓抜な成績を残すことができたのは、実は、同じく言葉(概念)の世界で学究を重ねている父親ソール(リチャード・ギア)への畏敬・尊敬の念があってこそのことだった…といったら、それは評論子の深読みのし過ぎというものだったでしょうか。

同じ志向(価値観?)を持つが故に父親から別格の愛情を注がれーそれ故に父親の愛情(期待?)に応えようといっそうスペリング・コンテストに打ち込む娘と、そういう父親を見ていればこそ(?)、父親とはまた違った志向(価値観?)を持つが故に父親とは何かと反目しがちで、そしてその反目から知り合った彼女を通じて他の価値観いっそうを追い求めようとする息子、そして、そういう現実の軋轢ににいたたまれす、家族関係の現実から眼をそらすためにか、メンタルを病んでしまい、思いもよらない非行に走ってしまう妻…。

予告編によれば、ストーリー的には、家族の崩壊と再生の物語ということですけれども。
イライザが全国大会で犯した「謎の誤り」は、実は母親に向けた「間違っても、やり直せばいいじゃん」という彼女なりのメッセージだったと思えてなりません。
きっと、ナウマン一家は、イライザのそういう家族愛に支えられて、きっと家族の絆を取り戻したことと、評論子は信じて疑いません。

秀作であったと思います。

映画作品としての本作という観点に切り替えると、父親役としてのリチャード・ギアは、大物俳優として堂に入った演技で申し分ないことは別格として、娘・イライザ役を演じたフローラ・クロスが醸し出す一種独特な雰囲気(特にスペリングをアタマの中で構想するとき)が、本作を盛り立てていたことは、疑いがありません。
その点て、彼女の演技あっての一本だったと思いますが、本作のあとには、彼女には女優としての活動歴はなさそうです。
本作を観る限りでは、活動を続けるうちに、さぞや素敵な女優さんになったことと思うので、残念にも思います。

実は、本作は、レンタル落ちのDVDを、買ってはいたものの、久しく「お蔵入り」となっていたものでした。(汗)
こうして改めて観てみると、素晴らしい作品だったのではないかと思います。
あまり多くの作品を世に問うている監督さんではなさそうですが、他の作品も観てみたいと思える監督さんになりました。
世上「馬には乗ってみよ。人には添うてみよ。」と言われますが、そういう言い方をするならば、やっぱり「映画は観てみよ。」だろうなぁと、改めて実感した一本にもでもありました。評論子には。

talkie