クランスマンのレビュー・感想・評価
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社会派ドラマとアクションが混ざった露骨なKKKモノだが、ビミョーなテイストに....
スタッフとキャストは可成りの豪華版。
冒頭から、主な登場人物のこの南部の街を構成する顔ぶれ、その人間関係を明らかにしていく過程において、きな臭さを孕んだ緊張感が漂っているのがわかる。
予備知識的に説明しておくと、題名の『クランスマン』(クランズマンが正しい呼び方のようだが)の意味するところは、KKKの構成メンバーであるという事。
KKKとは、「クー・クラックス・クラン」の頭文字と言われており、語源には諸説あるようだが、個人的には、拳銃(リボルバー)のハンマーを後ろに下げる音〜下げ切ってコッキングされる音〜引き金を引いてハンマーが落ちる音、の一連の描写のようにイメージしている。(発射音は無い)
参考までに、オートマチック・ピストルの場合には、初動では上部のスライドを後方に引く動作で最初の2動作が一連に完了するのと、音的にスライド動作と被るので、このようなハッキリと段階的な音的描写とは違ってくるので。
(ハンマー・ストロークも短く、初めからクラックス的)
ハッキリとKKKを呼称して、街を白人優位主義の人種差別主義で支配的に牛耳っておくことに執念を燃やす、町長、白人のみの教会など、基本的に黒人を排除して白人のみの街へと化すべく、活動を日常化させている連中(街の一部勢力)と、そうした連中とは人里な離れた場所で距離を置きつつその思想に異を唱える男性と、両者の間で自体のエスカレートの沈静化に努めて板挟みになる保安官、それぞれの立場による社会派ドラマ的にストーリーの大半は進む。
しかし、テレンス・ヤング監督とリー・マーヴィン氏が主演では、そんな事で最後までおわってしまうハズがない。
案の定、ホントに終盤になって、いよいよKKKの連中の我慢(不満)が限界に達し、例の象徴的な白頭巾装束での集団襲撃を画策し、武力を持ってしても阻止しようとする保安官も巻き込んでの銃撃戦へと発展してしまう。
結末を言ってしまうと、”黒人側暗殺者”と化したO・J・シンプソン以外の主要男性陣はほぼ命を落とすという、なんとも後味の悪い「共倒れ」状態です。
結果的に、幾多の苦難を超えて生き残るのは「最後はやっぱり逞しいのは女性」ということですかね....
雑駁ながら以下に関連事項と、本作公開当時の映画業界観など、
監督は『007』の最初期2作で基盤を築き、『アマゾネス』でも話題をさらったアクション系のベテラン、テレンス・ヤング監督
脚本が社会派ドラマ系のミラード・カウフマン氏と映画監督としても有名なサミュエル・フラー氏
(因みに、製作のウィリアム・D・アレクサンダー氏は黒人男性である。)
俳優陣が主演の男性二人が、
主に無骨な男性アクション系を得意とする『プロフェッショナル』『特攻大作戦』『アバランチエクスプレス』『最前線物語』のリー・マーヴィン氏と、
請われた仕事は断らずの何でも派、二番煎じ(続編映画)御用達な『荒鷲の要塞』『ロンメル軍団を叩け』『エクソシスト2』『戦争のはらわた2』『ワイルド・ギース』のリチャード・バートン氏
女優陣も、
『0011 /罠を張れ』、『007サンダーボール作戦』『ガンマー第3号 宇宙大作戦』のルチアナ・パルッツィに、
『アバランチエクスプレス』『トム・ホーン』のリンダ・エヴァンス
といった、いずれも我が国もそれなりの知名度を有した面々にくわえて、
脇役陣も話題に事欠かない面子で、
NFLのスター選手から映画界入りしたO・J・シンプソンの長編劇映画デビュー作であったり、
ビートルズや、ジョン・レノンによるカヴァー曲「スロウ・ダウン」、「ディジー・ミス・リジー」、「バッド・ボーイ」、「ボニー・モロニー」などで有名な歌手のラリー・ウィリアムズ 、
キャリアの長い『ミネソタ無頼』『太陽の中の対決』等のキャメロン・ミッチェル氏
など、
中々の布陣で、これらを見る限りには大手スタジオの大型アクション作品かと考えるところだが、そういう訳でもない.....
日本劇場公開年が東宝東和による1975年2月辺りだったと思ったが、東宝のフラッグシップ館などでの公開ではなく、中規模劇場での公開にとどまった。
時期的には、カンフー映画とオカルト(ホラー)系映画の余韻が残るものの、ブームは落ち着いてきた頃か。
同年の前半に劇場で観た映画には『ゴールド 』『ドラゴンへの道 』『サブウェイ・パニック 』『ジャガーノート 』『ブルース・リーのグリーン・ホーネット 』『新 おしゃれ泥棒』『コンラック先生』 『ロンゲスト・ヤード 』『タワーリング・インフェルノ 』『ローラーボール 』『フレンチ・コネクション2 』などといった映画が有ったが、残念ながら本作品は劇場での鑑賞候補からは漏れてしまった一本だった。
因みにこの映画、現在パブリックドメインだそうです。
製作者のウィリアム・D・アレクサンダー氏にとっては、ウィリアム・ブラッドフォード・ヒューイ の小説を基にした 『クランズマン』を自身のキャリア最大の450万ドルという巨額の予算を投じたオールスターキャストにより制作されたにもかかわらず、キャリアの上で最も成功が得られなかった作品となってしまったらしく、パブリックドメインもその辺りが関係しているのだかどうだか....
黒人スナイパー
最終的にKKKの狙いが相反する白人への憎しみに、争いの火種になるのは黒人であれどKKK対白人の戦いが繰り広げられ、閉鎖された田舎町と言って良いのだろうか、どっち付かずに見えるトラックの保安官としての辛い家業、人種差別の卑劣さがありながら正しき道を通すフレッグではあるが時代的にも無理がある、白人である低所得者層の気持も理解は出来る反面、白人至上主義や集団心理の怖さが浮き彫りに。
スパイク・リーの『ブラック・クランズマン』は勿論のこと『逃亡地帯』でマーロン・ブランドが演じた保安官と本作でのリー・マーヴィンの役柄が似たような境遇に思われ、大雑把に住人による集団ヒステリーを引き起こす様はどんな環境でも起こり得る問題であろう。
少し気掛かりなのは出演している黒人女性二人がレイプされる場面で潔く裸になるが、白人の女優二人は裸になっても良さそうな場面でも見せないし脱がない、ヌードになれば良い訳ではないにしても、本作自体に黒人女性、女優の差別的な扱いに思われ何か腑に落ちない。
脚本に参加したサミュエル・フラーが監督もしていたら残酷度が増していたようにも!?
人種差別の胸糞悪さ
映画の舞台はアラバマ州ウォレス郡と映画の冒頭に看板が映るが劇中ではアトカ郡と言っている
実際にはアラバマ州にはどちらもその郡は見当たらず、架空の田舎町という設定だろう
しかし実際に起こった事件に基づくという
時代設定は1960年代半ば
アラバマ州バーミンガムでは実際に1963年に黒人の公民権デモが警官隊に暴力的に蹴散らされる事件が起きている
胸糞の悪い人種差別
言葉だけではない暴力的な差別
白人に対しても黒人に融和的であれば敵となる
黒人と寝た白人女性もまた迫害されるのだ
町長自身がKKK団の支部長なのだ
最後にKKK団との決戦となるがカタルシスはない
ひたすら重い気持ちで映画は終る
暴力に対して暴力で応じ制圧した
ならば劇中登場するブラックパンサー党の先駆けのような若者の主張と結局変わらない
保安官がKKK団の生き残りを射殺した彼を撃ち殺さなかったのは何故か?
果たして保安官は何の為に戦ったのか?
人種差別に反対だからか?
違うと思う
彼は町の秩序を守る為だけに戦ったのだ
憲法を守る為にとは言うが、それは黒人の側に立ったものではない
しかし彼を撃たなかった
それだけが救いだ
KKK団の事は学校で習ったりして知っているだろうが、前世紀のことと思っていないだろうか
今の若者にとっては半世紀昔の話だ
しかしこの時代を生きている人間はまだまだ多くいる、記憶の中にあり、痛みが残っているのだ
このような話は決して遠い昔のことではないのた
名作映画アラバマ物語と同じ州の一世代後のこと
あの子供達が大人になってこの町にいたとしたらどうしただろう
チープなテレビドラマ風劇伴奏
セットもロケもチープ
撮影もテレビ的
しかし見応えはある
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