死ぬまでにしたい10のことのレビュー・感想・評価
全47件中、21~40件目を表示
五感をフル回転させて、行間を読まないと、味わえない。
原題直訳『私が存在しない私の人生』
私がいないのは死後のことだけ?
私という主体抜きの人生を歩んできたアン。その最後の時を紡いだ映画。
雨に打たれるアン。雨だれに混ざって涙が頬をつたう。けれど字幕には涙に関する、もしくは涙を流すような感情を表現した言葉はない。
字幕には「私」。でも語られている言葉は「you」。誤訳ではない。アンが今やっていることについての心の中でのつぶやき。
Wikiでは「所々出てくるナレーションの部分では、主人公を指す代名詞に you (あなた)が使われ、あたかも、映画を見ているあなたが、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるようになっている。(日本語字幕では 私 と表示される) 」と説明されているが、私には、アンが心の中で本当に感じていることと、頭で考えていることの、無意識の乖離のように思える。雨の中でしか泣けないアン。でも、アンは泣いていることを否認して、ポジティヴにと変換する。
昨今流行りのわかりやすい脚本ではない。
アンがリストアップした10のことへのレビュー上での賛否。
字面だけをとったら非難したくなる。
でも、アンを取り巻く状況を丁寧にみていったら、理解できたら、もう少しアンの気持ちに共感できるのではないだろうか。
自分の人生をベースにした己の正義を押し付けるだけでなく、アンの生きざまにちょっとでも寄り添ってみてほしい。
じっくりと、何度も繰り返し鑑賞して味わう度に、気づきがある。
「死ぬまでにしたいこと」の6番目にリストアップされている「思っていることを話す」。
アンは決して無口な女性ではない。食事に招くような友人と、家族に恵まれて、常に何かをしゃべっている女性。でも、その会話をよく聞けば、アンが語ることは、相手が言ってほしいこと。決してアンが言いたいことではない。
職場で交わされる多くの会話と同じ。場を乱さないために本音を隠したトーク。人は皆、自分の言葉を真剣に受け取ろうとして、受け取ってもらえた経験がないと、本音(思っていること)を話せなくなる。
優しい言葉と思いやりを示してくれる夫。でもアンは”思っていることを話したことがない”。アンが欲しい優しさ・思いやりと、夫が示す優しさ・思いやりが違う。アンのわがまま。そんな言葉で片付けられないことは、真剣に人と向き合う(恋した)ことがある方ならわかるのではないか。
かえって、リーの前で”(わがままにも通じる)思っていることを話せている”アン。そんな求めていた恋人の前でさえ、家族のことを考えてしまうアン。
そういう言葉と映像と、登場人物の行動・表情のギャップに、感性を響かせながら味わっていかないと、この映画が表現したいことを受け止められないんじゃないだろうか。
手ごわい映画です。
邦題の方が、多くの人の目につきやすい、そんな販促の方針なのだろうけれど、映画を誤解させ、評価を間違ったものにさせる。勿体ない。
<以下ネタばれ>
ほとんどその日暮らしのアンの家族。仕事が長続きしない夫。17歳で出産したというからおそらく低学歴、実父のこともあってか?彼女自身の仕事も低収入。母親のトレーラーに住まわさせてもらって家賃を浮かし、洗濯機も買えずにコインランドリー通い。極めつけが、23歳の女性が「髪型を変えること≒美容院に行くこと」が「死ぬまでにしたい10のこと」にランクインするほど。そんななかでも、日々自分にできること、自分がしなくてはいけないことをしてきた。子ども達の為にできるだけ明るく。彼女の夫は優しく心触りのよいことを口にするけど、実行力はない。ほとんど彼女が一人できりまわしている。
そんな中での、突然の死の宣告。自分が死んだら、家族は・子ども達はどうなってしまうのか?最悪夫は泣き暮らすだけで子どもの面倒は誰がみるのか?施設暮らし…なんて自分の死後のことを考える。そして子ども達の為に、生活が成り立つようにあれこれ考える。
23歳の女子だったら、自分のことだけ考えていたっていい年齢なのに。アンのリストには家族の為の項目が幾つも並ぶ。残された時間はないんだ、そんな決意が痛々しい。
末期癌なら、一緒に暮らしている夫が気がつきそうなものだ。母だって。でも気がつかないんだな。夫はお子ちゃま坊やだし、母とは会えば言い合いになってしまう。死の恐怖に誰かに縋りたくたって、縋れない。当事者よりも周りが衝撃を受けて、当事者が周りのケアに走っているとか、辛い事実を切り捨てて(この場合娘が(妻が)死ぬなんて受け入れられなくて切り離す)なんてことはよくある。少なくとも、アンは自分の家族を、自分の辛さを共感してくれる存在とは認識しなかった。自分一人でなんとかしなきゃ。今までそうしてきたように。そんな覚悟に胸引き裂かれる。
夫を愛してはいるけど、満たされない。誰かに包んで欲しい。そういう想いがあったって、もっと違う人との人生を夢見ちゃったとしてもそれは罪なのだろうか。かって浮気されて傷ついたことがある私が、浮気を肯定するのもなんだかなあと思うけど。
英語に疎い私だが、リストの英訳には「7.夫以外の男の人と付き合ってみる。8.誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する」となっているが、不倫するつもりならふつう逆じゃないか?誘惑してから付き合うだろう。だとすると、誤訳?デートして、誘惑ごっこだけをイメージしていた?そんな風に考えていた時に出会ったリーは失意のどん底。ここでもアンはリーのメンタルケアをする。自分の方がつらい状況なのに放っておけない。リーが立ち直ってから離れるアン。リーは自分の足で歩いて行ける。
容易ならぬ覚悟の元に、さらなる関係にも心を配りながら、決意を粛々と実行していくアンが痛々しくて泣けた。
自分の”いつか”に思いをはせると、アンの強さに驚愕する。
アンの想いに共感してくれるリーや医師やもう一人のアンに出会ったことで、アンが安らかに逝けたことを願う。
映画には邦題より原題の方がいいと思うけれど、自分の生を考える時、邦題はいいキーワードだ。
災害、事故、脳内出血…自分の「いつか」も必ず来る。
もし、○○後に死ぬとしたら、私は何をするのだろう。”いつか”は”いつか”来る。日常の惰性に流されている時、見直したい映画です。
民族の違い?
自分の命の期限を知った時、あんな風に淡々と死を受け入れられるだろうか?
ましてや自分の病気を家族の誰にも話さず、たった1人で抱え切れるだろうか?
邦画の様に「死にたくない、もっと生きていたい」と泣き叫ぶシーンも無い。
一番かわいそうなのは不倫相手じゃない?
自分は死んでいくんだから良いけど…
旦那と子供には自分が死んでも隣人である新しい妻(母親)をあてがうけど、実際に家族になるかどうかはわからない。仲の良い隣人ではあり続けるかもしれないが。
自分ならどうするだろうか?と考えても答えが出ない。
悔いのないように生きようとしても悔いは残るんじゃないかな。そういえば昔、ふとした事でアメリカ人のハーフの人と知り合ったが日本人と違い、9.11の話題になって、アメリカ人は不幸な事があってもあまり引きずらない、常に前を向いて生きる人種だと聞いたなぁ。。。
それを踏まえて観ると理解できる部分もある。
邦題の先入観で印象が変わってしまうのかも…?
重たいタイトルに反し、死までの短い時間を悲壮感なく繊細に描いた作品。
タイトル通り、死ぬまでにしたい10の事を軸としてストーリーが進むのですが、主人公は自分の人生をどこか達観した様な雰囲気があり、終始淡泊で控えめな表現が続きます。
見ている側も必要以上に感情の波が生じず、淡々と見れてしまうかも。
このようなストーリーなので、一歩間違うと印象に残らない作品になりそうですが、数少ない登場人物たちを演じる役者さん達が演技派なため、作品に深みを与えていると思います。
特に孤独な男性を演じたマーク・ラファロはさすが。
個人的にはパルプフィクションでファビアンを演じていた、マリア・デ・メディロスが見れて嬉しかったです。
この主人公の10のやりたいリストの中には、
子供がいるのに…と、人によっては不快に感じてしまう項目もありますが、
17歳で妊娠・結婚。余命を宣告されるまで不満を持たず、がむしゃらに家族と共に生きてきた23歳の女性ならではだなと感じます。
残された人たちへは原題の「MY LIFE WITHOUT ME」の中での幸せを考え残りの時間を過ごしているので、リストアップされた項目にエゴは感じませんでした。
何度も見たい作品ではないですが、見て損はない作品だと思います。
やっぱりかわいそう
24歳という若さで余命宣告。4歳と6歳の娘もいる。
貧乏ながらも幸せに暮らしてる最中でこれはキツイ。。。
自分と同い年ってのも切ない。
思ってることを言う、ってのは今日からでも実践しなきゃ。他も然りか。。。笑
死ぬまでにしたい10の事が全て達成できただけ、救いありかな。
でもやっぱりかわいそう。
私は、疑問点とかは感じず、 ストーリーをじっくり見れた。 レビュー...
共感できないのは文化の違いか
彼女が死ぬまでにしたい10のことは、共感できないものが多い。
死ぬ一か月前に、浮気相手を作ってベタベタしたいか?
旦那にトラウマを植え付けたいか?
と思ってしまうけど、そういう発想をしないんだろうな。
日本人にとってしっくりこないものもいくつかあると思う。
この10のことは、あくまで欧米の人たちの価値観によるものなので、
日本人にとってしっくりこないものもいくつかあると思う。
学生生活の終わりがまるで人生の終わりのような、
妙な強迫観念に駆られている今、この映画を観て受けわたしも何かやらなければ、と思った。
まずは、自分の尺度でやりたいことをひとつずつ見つけ出して
それを頭の中にとどめておかず、書き出すという目に見えるアウトプットの大切さに気付く。
今から卒業までにしたいことを10個、紙に書き出してみようと思う。
2011/01/17 @メディラボ
リアルさに欠ける
ガンだと言われた若い女性のお話。正直言って感動作でもなかった。
ガン宣告されてあと余命が2ヶ月くらいと言われた。それならばもっと苦しんでいるはず。薬はもらっても苦しいしもっと吐いてしまったりするはず。でもその描写が全然なかった。そのためただどこか遠くに行ってしまう女性っていう感じだった。
結構古い作品だから、今見ると可愛いなって思う映像があったのは確かで子供も可愛かった。キャスティングはよかったと思う。
けれど、死ぬ前に必死に10のことをしようっていう意思もあまり見られなかったし、重点を定めた方がよかったと思う。例えば、マークラファロ演じるリーとの不倫に重点を置くべきだったかもしれない。主人公の女性よりマークラファロの方が目立ってしまっているから。でもドクターの方の話はよかったと思う。
余談だけれども、マークラファロは昔に脚本がまだ完成していないのに映画出演をOKしてその映画が駄作だったことがあったため、今では絶対に脚本を読まずにはOkしないと自分に誓ったそう笑 この映画じゃないといいけれど。
苦しむ描写が少なく、どうもリアリティがない
若年性の末期癌で、余命数ヶ月と宣告された23歳のアン。彼女は、打ちひしがれながらも、診断の結果を誰にも言わず、治療も受けず、最期の日まで今まで通りの生活を続けるという選択をする。カフェで「死ぬまでにしたい10のこと」のリストを作り、家族のため、自分のために、リストの項目を一つずつ遂行していく。
家族、気付かないもんかね?末期癌よ??もともとスリムだから痩せても変わらなかったということか知らん。にしたって、ねぇ。
誰にも言わず、治療もしない。私にはできない選択。前者は無きにしも非ずだけど、後者はまず間違いなく無理。きっとメンタル崩壊して咽び泣くし。バレるし。溺れる者は藁をも掴む、じゃないけど自分が沈むときは誰かに一緒に沈んでもらいたい(沈むフリも可)と願う弱虫毛虫な私でっせ!
ついこの間、Facebookか何かで、大富豪が「いかに自分たちの生活が恵まれているか」を息子に教えるため、極貧の村にホームステイに行かせたという記事を読んだ。胸糞悪いよね。性格悪い金持ちが考えそうなこと。しかもありがちな結末で、息子は村の生活を思いの外楽しんだ挙句、裕福な本来の生活の方が自由も自然も生のコミュニケーションも少なくて「貧しい」と言ってのけ、父親を震え上がらせるという薄っぺらーーーーく教訓めいた話。ほんと糞だよ。
どういうわけか、この映画を観てこの記事を思い出した。何が幸せかはわからないよね、っていう。よくあるやつ。
娘2人と家族4人でオンボロのトレーラーハウスに住み、たぶん保険とか貯金もなくて、妻が夜勤の掃除のアルバイトで生計を立て、夫はついこないだまで無職。生きていくこと自体、大変だろうなぁ...とげっそりしてしまう一方、そういう生活だからこそできたシンプルでミニマルな選択なのかなぁ、と。最期の瞬間までアンは後悔することなく、リストの項目を達成した満足感と幸福感の中で死んでいく・・・うん、だめだ。やっぱりリアリティがない真顔製作者のメッセージはわかるような気がするけどきっともっと苦しまずにはいられないはずだよ... 癌だもん...orz
こういうミニマリスト的な考え方、最近流行ってる気がする。みんな何かと断捨離とかデトックスとかしてる。デトックスは関係ないか。なんにせよ私は遠くから軽く羨望しつつ、収集癖のある私には縁がないと諦めているのでした。ふっ。
全47件中、21~40件目を表示