永遠のマリア・カラスのレビュー・感想・評価
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映画として見てみると、、、
映画として見たら、映像として見たら、とても古臭くチープな演出に感じられた。
舞台が1970年代とはいえ、演出まで古臭くしてしまうのはいかがなものか。
劇中の『カルメン』はゴージャスで素晴らしく描かれているだけに、劇中劇以外のシーンのチープさが目に付いてしまう。
歌えなくなったマリア・カラスがそれでも最後に輝こうとし、プレスコによるオペラ映画の撮影にすべてをかけた執念と、最終的にそれを受け入れなかったプライドはかなり興味深かったが、結局プロデュース側に踊らされていたことには違いなく、最後にそれに気づいただけではないかともとれる。
ただ、ストーリー的には感心や共感できるところも多く、悪くはない。
何が気に入らないかというと、まるで20年前のテレビドラマのような古臭い映像が気に食わないだけだ。
それに、カルメンの口パクもなんとなくわざとらしかったし。。
とてもチェーホフ的な人生ね
映画「永遠のマリア・カラス」(監督・フランコ・ゼフィレッリ)から。
世紀のオペラ歌手であるマリアカラスは、
いろいろな場所で活動したためか、故郷がない。
「どの言葉も正しく話せないわ、私は何者なの?」と
自問する彼女に対して、傍にいた侍従の女性がさらっと呟く。
なかなか面白い表現だと思ってメモをした。
私が驚いたのは、映画ということもあるが、
普通の勤労者でも、こんな表現をしたことであった。
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフは、
ロシアを代表する劇作家であり、また優れた短編小説家であるが、
波乱万丈の人生を送ったわけでもなく、その例えが気になる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べたが、
その意図するところが理解できなかった。(汗)
「19世紀末にチェーホフは短編小説に革命を起こした」とあるから、
その彼の生き方を指して例えたのか、
「典型的なチェーホフの話は外的な筋をほとんどもたない」とあるから、
彼の作品の特徴を指して例えたことなのか、
今は、この台詞が気になって仕方がない。
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