エルミタージュ幻想のレビュー・感想・評価
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『さようならヨーロッパ』
2004年の映画ですからね。
『さようならヨーロッパ』
『わしはここに残る』
眼の前の海は凍り、対岸と行き来することが出来た。
それを秘密裏に工作して、サンクトペテルブルクは救われた。
エルミタージュ美術館行きたいんだよね。全くの我田引水何だけど、平和になって欲しい。
よくわからんままみはじめたらよくわからんまま終わってしまった。
エルミタージュ美術館の中で90分以上ワンカット撮影した幻想的ななにかです。
何かが、なんなのかさっぱりわかりませんでしたが、夢中にはなりました。
背の高い黒い服の男性が見える人と見えない人がいたけどその差って?とか、引っかかりに捕まるともうおわりだったのかもしれません。
何かで勧められてて題名が頭の片隅にあって、そんな折に京都シネマで500円で見られるってんで行ってきた感じです。
こんなの初めて
上映時間90分の全編がワンカット。何度か撮り直しをしたのか気になって、鑑賞後、調べてみると一発撮りらしい。よくこんな酔狂な企画を考えたものだ。さすがロシアは違うと、感心していると、制作には我が国の公共放送が関わっている。恐らく技術的な部分、資金的な部分を援助しているのだろう。受信料が有意義に使われていると思えるかどうかは、この映画に対する見方いかんだろう。
エルミタージュ美術館の内部を移動するカメラの視線は、それこそ瞬きひとつせずに動き回る来館者の視線そのもの。しかし、美術館としての内部を映し出すのは映画の一部で、かつて冬宮と呼ばれた、ロシア帝国の宮殿としての内部が蘇る。しかも、そこには絢爛豪華な衣装を身に纏った、ロシアの王族、貴族、将校たちがおびただしい数で登場する。豪奢な宮殿に集う、華やかで威厳に満ちた装束の人々は、まるで現代のエルミタージュに蘇った幽霊たちのよう。特に、フィナーレの舞踏会の華やかさといったら!ロシア軍将校の制服と貴族の令嬢たちのドレス。ロシア革命前夜の夢のような世界が再現されている。
映画前半で、「ヨーロッパ」を自称する男が言うように、専制が共和制にとってかわられ、このような息をのむ華やかな文化は失われてしまった。西ヨーロッパ諸国の人々から見れば、皮肉なことに、西欧文明の後進国であったロシア帝国こそが、その文明の精華の最後の継承者であった。しかし、共産主義革命により、今はそれも失われ久しいと、「ヨーロッパ」は嘆き、懐かしむのである。
エルミタージュ美術館に限らず(筆者本人はエルミタージュに行ったことはないが)、今ではその機能を果たすことなく、観光名所となった宮殿などを訪れると、この場所にどのような貴人たちが行きかったのだろうかと、想像を掻き立てられる。そんな過去への欲望を満たすべく、カメラが宮殿内部を徘徊する。
ラストの、白と金だけで装飾された大きな階段ホールから、建物の外へ出て敷地を出るところまでの、「後ずさり」のショットは、今までにない映像の快楽を感じた。カメラは後ろに向かって移動しつつ、焦点の深度が深くなる。舞踏会が開いて、その後の逢い引きの話や、明日の話をしながら宮殿の外へと向かう「幽霊」たち。自分たちの運命を知ることもなく、無邪気に明日以降のことを話している姿が哀しい。ソ連崩壊後だからこそ実現できた企画だろう。
上映当日はオーディトリウムでフィルムによる上映。至高の映画体験をさせていただいた。
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