山の郵便配達のレビュー・感想・評価
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失われゆくアイデンティティへの惜愛
中国の山村の生活、そこに住む人々の純朴な表情、美しい田園風景、どれもがとても印象的だ。それらは、かつて日本にも存在したものであり、中国もこれらから失うものなのだろう。そうした中で父から子に引き継がれる徒歩での郵便配達の仕事も、遠からず失われる仕事なのだろう。
また、自らの境遇や周りの変化等全て受け入れながら自分の信じる生き方を通す父の姿。父の不在に畑や村の仕事を行い母を支えていた息子。彼らの根幹に昔ながらの儒教的精神を感じる。
そうした環境の中で、淡々と進む家族の物語には、偽りの無い美しさを感じる。それと同時に、もう既に全てが失われてしまっていてもおかしくないとい儚さ、切実さを訴えかけてくる。
戦争から内戦、文化大革命から改革開放政策。変化のうねりが続く中国で、脈々と受継がれてきた自分達のアイデンティティ。それを思い出してほしいという願いが、この作品には込められているのではないかと思う。
それにしても次男坊の愛くるしいこと。世界のどこにおいても、常に犬は人の最良の友だ。
静かな優しい映画。父の仕事を継ぐこととなった一人息子。最後の引き継...
息子は、父親と同じように盲目のお婆さんに白紙の手紙を読んで聞かせるに違いない!
正直なところ、親子の郵便配達の旅という、
ドラマ性の薄そうな地味な設定に
余り大きな期待は無く鑑賞し始めたが、
直ぐにこの作品の中に引き込まれ、
静かでしっとりとした
とても良い映画を観させて頂いたという
満足感に包まれた。
冒頭、父親は息子の未熟さを心配しつつ、
また、息子は父親の体力を心配しつつ、
郵便配達の旅がスタートした。
これは、
仕事の継承を通じての
親子の相互理解の話でもあるし、
父親と山村の住民との関係からは、
直接触れ合うコミュニティの大切さ、
また、乗り物を使わない、
ひたすら歩いての配達は、
急ぐことよりも大事なことがあることを
示唆しているようにも感じた。
一方、ラジオで歌を聴く息子の姿には、
いずれ、ウォークマン、
そして、スマホが取って代わるという
社会が“個人化”する世界を予感させて
不安を感じる描写だったが、
監督の狙いはどうだったのだろうか。
この旅で息子は、父親の郵便配達を通じた
山村で暮らす人々との数々の絆を知り、
二人は、親子としての絆も深めて
帰って来た。
息子は、父親と同じように、
真相を分かっているかのような
盲目のお婆さんに、
それでも、
白紙の手紙を読んで聞かせるに違いない。
辛くてもこぼすな
美しい
悠久
仲をとりもつ次男坊
「この映画には日本の原風景が描かれている」朝日新聞の天声人語でも激賞された本作は、岩波ホールの単館上映ながら2001年の大ヒット作となり、その噂が中国本土にも知れわたったとか。3日で120kmを踏破し、中国山間部に点在する村々の郵便集配&配達を共産党中央政府から請け負った(習近平が好きそうな)配達員親子の物語である。
年をとった父に代わり息子が配達員の仕事を引き継ぐにあたり、父が同行して息子を村民に紹介していく一種のロードムービーなのだが、日本の保守的なお年寄りにはそれがすこぶる受けたようなのだ。私なんぞは、(おそらくはトリュフォーを真似たであろう)息子の心象を本人のナレーションで紹介する監督フォン・ジェンチイの演出が気になって気になってしょうがなかったのだが、皆さんはいかが思われたであろう。
どうもフォン・ジェンチイご本人が書いた複数の短編小説を一本の映画にまとめたようなのだが、よおく観察すると、この映画にはプロットつまり起承転結が見当たらない。あのコーエン兄弟は同じくプロットがない映画『インサイド・ルーウィン・デーヴィス』の中で、“猫”を使って登場人物の意識の流れを表現したらしいのだが、この映画“次男坊”が父と息子の心理的な隔たりを解消していく上で、非常に重要な役割を果たしているのである。
父親にベッタリでなかなか離れたがらなかった“次男坊”が、ラストでは長男の実力を認め付き従う成長物語にもなっている。父から息子へ。父が今まで誇りをもってこなしてきた責任ある仕事を息子に引き継がせる時に感じる、嬉しいような寂しいようななんとも言えない感情は、一部の方が指摘しているとおり、なるほど日本の小津安二郎作品にあい通じるものがあるのかもしれない。
道中二人が泊まった民家で、知り合った村の美しい娘との結婚を息子に促したり、床を並べて抱き合って眠る微笑ましいシーンなどは、まさに小津の『晩春』からの引用であろう。が、そこで邪魔くさくなるのはやっぱり息子のざーとらしいナレーションなのである。なかなか家に帰ってこなかった現役時代の父親との距離感が徐々に縮まりやがて父を追い越していく様は、付かず離れずな二人の歩き方で十分表現できたはずなのである。
現在だったらパルムドッグ賞間違いなしの“次男坊”の無言の演技?が秀逸だっただけに、親子の会話が少々多すぎて耳障りに聞こえたのかもしれない。川のせせらぎや小鳥の囀り、風が木々を揺らし雨粒が地面をたたく。折角のシチュエーションにも関わらず、自然音がほとんどいかされておらず、郵便配達の過酷さが殆どこちらに伝わって来なかったのは、片手落ちといわざるをえないであろう。
父と息子
中国山間部、水墨画の世界。朝靄につつまれる森林。森林浴のつもりで見るのも気持ちがいい。しかし、仕事をするのも大変だ。一気に配達を終わらせることもできるが、引退までずっと続けなければならないので、2泊3日という配分もきちんとやらねばならない。
山で農業してもいいし、街に出て働いてもいい。しかし息子は父の郵便配達という職業を選んだのだ。公務員だから他の職業よりも若干給料がいいという理由だけではなさそうだ。父を理解するため?父を超えるため?
ラジオの音楽、歌いながら歩く、バスに乗ることなど「若者の考えることは・・・」と嘆いているような表情の父親。ここでは、自分の父親とのジェネレーションギャップを思い起こしてしまう。父親の人生経験と勝気な息子との心理描写が上手く描けていました。途中で出会った人のよさそうなおじさん。盲目の老女。若いクーニャン。出会う人すべてがやさしい。そして、初めて「父さん」と呼んだ息子にうるうる・・・
【父が長年行ってきた中国山間部の郵便配達の仕事を引き継ぐ息子が、父の仕事の崇高さ、大変さに気付いて行く様を、美しき山岳風景を背景に描き出す。親子の絆を深めていくロードムービーの秀作である。】
ー 冒頭、テロップで”1980年代、湖南省西部”と流れる。-
・山間部での郵便配達のため、滅多に帰って来なかった父との距離感を感じながら育った息子。故に、彼は父の事を”アンタ”と呼んでいる。
・老いた父が、初めて息子と忠犬”次男坊”と二泊三日の郵便配達に出掛ける。それは、息子に仕事を引き継ぐ意味もあったのである。
・心に残るのは、行く先々の村々で彼らを待っている山の民の豊かな表情である。
来た時には誰もいなくても、彼らが村を出る際には、村人総出で見送るシーンには、心温まる。
・父が、目の不自由な老婦の元へ、わざわざ孫からの郵便を届けるシーンも良い。孫の手紙を”老婦を気遣い、内容を盛って、”話して聞かせるシーン。
・トン族の娘と、息子が楽し気に話す姿を見る父。その脳裏には、妻との出会いのシーンが蘇っている。
・父を背に川を渡るシーンも良い。”郵便袋より軽いね・・”
・険しい崖の道を上がる際に、上からロープを投げてくれた聡明な少年との会話。
<いつの間にか、息子は父を”父さん”と呼んでいる。それを嬉しそうに、照れ臭そうに”父さんだってさ。”と、忠犬次男坊に話しかける父の嬉しそうな顔。
今作品は、成人して、初めて父の郵便配達の道を一緒に歩む中で、息子が父の仕事の尊崇さ、大変さに気付いて行く過程を丁寧に、中国の美しい山岳風景を背景に描き出した作品である。>
父子の思いをのせた山岳地帯の美しい映像
そこに人生がある
中国は漢民族と満民族、それに数多くの少数民族で成り立っている国である。山の人々は山で暮らし、あまり平地に降りてこない。そこに自分たちの居場所がないことを知っているからだ。それでも若い人を中心に、少しずつ故郷の山を離れる人々がいる。そして電話もインターネットもない故郷と、下山した人々のいる都会を結ぶのは、昔ながらの手紙である。そしてそれを届けるのが本作品の主人公親子なのである。
息子は父とともに父の歩んだ郵便配達の道を歩く。どのような道を辿り、どのような町や村でどんな人に郵便を配達し、また預かっているのかを知る。そこには様々な人生があり、郵便配達員との様々な係わり方がある。父がそれらの人々を大切にし、また信頼関係を築き上げて来たことを息子は知ることになる。それはとりもなおさず、父の人生そのものなのだ。ささやかでつつましい世界だが、人に優しくする包容力のある豊かな精神と、寛容な人生観。息子は父の偉大さを知り、自分の父であることを誇らしく思う。
素晴らしい親子の、とてもあたたかい数日間を描いた秀作である。中国はやはり広大だ。こういう映画を作る才能が多分たくさんいるのだろう。ちなみに犬の演技も非常によかった。
親子
永年勤め上げた郵便配達の仕事を、今日を最後に、息子に引き継ぐ父親の物語。
一度仕事に出ると、数日間、長いときには数ヶ月も家を空け、山奥を回りながら、郵便を配る配達人。仕事一筋、しばしば家を空け、息子との関係も疎遠になりがち。父親の仕事を継ぐことになった息子へと、仕事引き継ぎの最後の配達に出かける。
無口な父親と、父親の仕事のことを何も知らなかった息子。父親の配達先で、父親と地域の人たちとの交流を通し、その苦労と、仕事の価値を感じ取る。そしてとりもなおさず父親の人生そのものであることを知る。
何しろ美しかったのが、湖南省の自然。照葉樹林文化などと言われ、日本との共通することが言われる、中国南部ですが、中国にこんなにも自然の美しいところがあるとは驚かされた。中国北部では歴史上早くから、木々は伐採されつくし、埃まみれの風景が印象がある。けど、南船北馬と言いますが、南部は自然が豊かなのですね。
#有る方のプレビューを拝見していて。原題の「那山 那人 那狗」の「山 人 狗」の中国語の発音が「1声 2声 3声」であることに気づいた。
そうね・・・「あの山、あの人、そしてあの犬」犬の前に、ワンクッション置いて訳したりすると 良い感じかも。
父、息子、犬の心温まるロードムービー
父親と息子
メインテーマは「父親と息子」である。
老いた父親に代わって、若い息子が郵便配達の職を継ぐ。中国奥地の山間部の村々を、毎回3日かけて周り、郵便物を集配する仕事だ。父親にとっては最後の、息子にとっては最初の旅。
いく先々での出来事や、道中の会話を通して、離れていた二人の心が寄り添っていく。私もまた一人の父親であり、一人の息子である。鑑賞しながら様々な思いが交錯し、川を渡るシーンでは涙を禁じ得なかった。
それにしても、舞台は1980年代なのに、徒歩で郵便物を配達していたことには驚いた。バイクぐらいは使っていてもよさそうなのに。
背景となる山河はとても美しい。おそらく何百年と変わっていない風景なのだろうと思う。
風土の中で家族の情愛を描くのは、『初恋のきた道』も同じだ。
旅の途中、息子は何度か「人はなぜ山に住むの?」と尋ねる。が、父親は答えをはぐらかす。
なぜ人は不便な場所から離れようとしないのか。生まれ故郷だからか。自分のアイデンティティがそこにあるからか。
逆にまた、便利であることがそれほど幸福だろうか。不便で厳しい暮らしの中でこそ感じられる幸福もあるのではないか。
そんなことをとりとめもなく考えてしまう問いだ。
作中、「幹部」だの「委員会」だの、いかにも中国らしい言葉が台詞に混じる。親子の情愛や美しい自然にそぐわない言葉のように感じた。
淡々と実直に。
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