「「十二人の怒れる男」と同じく考えさせられる、正義と民主主義についてのアメリカの暗い歴史」牛泥棒 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
「十二人の怒れる男」と同じく考えさせられる、正義と民主主義についてのアメリカの暗い歴史
ヘンリー・フォンダ主演の冤罪をテーマにした地味な西部劇だが、民主主義を標榜する19世紀後半のネバダ州のある町の民警団の独断専行の危うさと過失を問題提起した社会派作品。法による正式な裁判を待たず、牧場主殺人と牛泥棒の嫌疑を掛けられた3名を保安官助手を入れた28人による多数決で裁こうとする。当時の治安の悪さを想像すれば、保安官だけで犯罪を防ぐことは難しく、また自衛を兼ねて有志が団結するのも必然であったと思われる。だが、そこには犯罪者への拭えない憎悪と、正義に対する冷静さを欠いた思い込みがあるのが人間だ。容疑者の供述を聞き、正当な裁判を主張する長老デイヴィス始め主人公カーターと相棒のクロフトなどの7人と、強硬採決を推すテトリー少佐や被害者の親友ファーンリーに同調する計21人の意見が対立した、息詰まる人間ドラマになっている。町の酒場と夜中の荒野だけを舞台にしたシンプルな構成でも、観る者を考えさせる内容の真剣さと深刻さが映画として揺るぎが無い。状況証拠が偶然にも不利に展開する作為は少なからず残るが、最終的な決め手が無く判断する人間の罪を問う主題は、余韻を持って描かれていた。
ヘンリー・フォンダは「怒りの葡萄」「運命の饗宴」などに続く出演で、第二次世界大戦後に「荒野の決闘」があり、この作品が従軍する前の最後の作品のようだ。しかし、フォンダが主演というより、町を訪れたストレンジャーの役柄であくまで傍観者の立場にある。後の裁判劇の代表作「十二人の怒れる男」の主人公を幾らか連想するも、活躍の度合いには雲泥の差がある。それでも28人による集団劇の中にいる、ひとりの冷静な西部男のフォンダの存在感は充分ある。冤罪の恐怖に慄きながらも人間の良心を説くマーティンを演じるダナ・アンドリュースは、1940年代から50年代にかけて活躍した中堅俳優のイメージで印象に残る演技が無かったが(単に観た作品が少ない)、この作品ではいい演技をみせている。スターになる前の27歳のアンソニー・クインが演じるのは、出自に合った髭を付けたメキシコ人。「怒りの葡萄」でオスカーを受賞したジェーン・ダーウェルが、28人の中の唯一の女性として民警団に加わり、男顔負けの女傑宜しく巨体で馬に跨る姿は流石の存在感だ。ジョン・フォード監督の13歳上の兄フランシス・フォードのうらぶれた老人役も印象的。これら著名な役者に加え、フランク・コンロイとウィリアム・アイスが演じるテトリー少佐親子がストーリーの中に深く関わり、元軍人が覇気の無い息子に喝を入れる親心が皮肉にも裏目に出る展開をみせる。
これは脚本が素晴らしい。原作小説を脚色したラマー・トロッティは、ジョン・フォードの「プリースト判事」「周遊する蒸気船」「若き日のリンカン」やデュヴィヴィエの「運命の饗宴」の人で、この作品の制作者でもある。第二次世界大戦中の映画制作に考えるべき、正義についてのラマー・トロッティのメッセージと捉えて良いのではないだろうか。加えて撮影もいい。アカデミー撮影賞三度受賞の名手アーサー・C・ミラーの「わが谷は緑なりき」を彷彿とさせるモノクロ映像の美しさ、夜の荒野のスタジオと野外のモンタージュの自然さが素晴らしい。夕闇迫る荒野を馬に乗った民警団が霧の中に消えゆくカットの絵画のようなカメラワーク。監督は「西部の王者」と「戦場」しか観ていないウィリアム・A・ウェルマン。緊張感と詩情豊かなタッチが程よく融合して、簡潔明瞭にして無駄の無い75分の小品ながら、アメリカ民主主義の脆弱さを指摘し、自省と問いかけのバランスの取れた深みのある秀作でした。