劇場公開日 1953年8月11日

「倫理不在の世界」忘れられた人々 neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 倫理不在の世界

2025年11月10日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

ルイス・ブニュエルの『忘れられた人々』は、単なる貧困映画でも、道徳劇でもありません。1950年の作品でありながら、現代を予言するような鋭さを持つ、“倫理不在の世界”そのものを描いた作品だと感じました。ブルーレイでの鑑賞でしたが、買ってよかったと思えるほど、救いのない世界と乾いた残酷さが強烈に焼きつきました。

物語の中心にいるのはペドロですが、純粋な主人公というより、群像劇の核のような存在です。彼は唯一更生の可能性を持った少年ですが、周囲の人間関係や偶然、そして社会そのものによって、その可能性を押しつぶされていきます。何度も善に向かおうとするものの、必ず“別の力”によって引き戻される姿には、個人の意志ではどうにもならない倫理の不在がはっきり表れていました。

ハイボは一見すると悪役ですが、単なる悪人ではありません。彼自身も、おそらく子どもの頃は普通に生きようとしていたであろう存在で、それが環境によってねじれ、倫理の降りてこないまま成長した“結果”のように見えました。ひどいことばかりする人物でありながら、完全な悪とも言えない、救いのない複雑さを持っています。

盲目の大道芸人カルメロも、弱者でありながら善人とは言えません。少女へのセクハラや孤児を奴隷のように扱う姿は、弱者=善人という幻想を否定していました。牛乳配達の少女がペドロの遺体を捨ててしまう行動も、倫理より生存を優先しないと生きられない世界の冷酷さを象徴していると思います。

この映画には、観客の“逃げ道”を封じるようなセリフが2つあります。

ひとつは、学校の院長が言う「貧困が原因だ」という言葉です。普通なら観客が思いそうな善良な正解ですが、これはむしろ観客がそう考えて逃げることを封じるための偽の答えだと感じました。貧困が原因と言ってしまえば理解した気になる。しかしブニュエルは、そうした“社会派映画的な安心感”を先に潰しています。

もうひとつは、カルメロが最後に言う「もう生まれる前に殺しておけばよかった」という極端な言葉です。これも、観客がハイボの死を“ざまあみろ”と感じたくなるところを、先にキャラクターに言わせて否定する構造になっています。弱者であるはずのカルメロが差別的で暴力的な憎悪を吐くことで、観客の中の報復感情すらも無効化してしまう。これはブニュエルならではの、観客への徹底的な拒絶であり、逃げ場をなくすための仕掛けだと思いました。

つまりこの映画は、
・貧困のせいでもない
・因果応報でもない
・誰かが完全に悪いわけでもない
・弱者が正しいわけでもない
・道徳的優越感に逃げることも許さない
という、すべての説明を否定する映画です。

最終的に残るのは、“倫理が降りてこない世界”そのものです。ブニュエルは政治的な構造や社会制度をあえて描かず、宗教も含めた倫理基盤が機能していない世界で、人間がどう振る舞うかだけを剥き出しにしています。その意味で、これはメキシコの貧困問題ではなく、文明の裏側で常に起こりうる“人間の素の状態”を描いた映画だと感じました。

現代のアメリカやヨーロッパ、そして日本ですら倫理観が崩れてきているように見える中、この映画が75年前なのに“未来の映画”のように感じられたのも印象的でした。ブニュエルが切り取った世界は、もはやスラムの特殊事例ではなく、先進国にも近づきつつある普遍的な問題に見えます。

救いがなく、誰も善でも悪でもない世界を描いた映画ですが、だからこそ異様なリアリティを持ち、いま見てもなお強烈でした。

鑑賞方法: Blu-ray

評価: 94点

neonrg