劇場公開日 2024年4月5日

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「まさに、映画史に残る不朽の名作!!」ローマの休日 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 まさに、映画史に残る不朽の名作!!

2025年3月13日
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鑑賞方法:映画館

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《午前十時の映画祭15》にて鑑賞。
【イントロダクション】
イタリアのローマを訪問したヨーロッパ某国の王女が、屋敷を抜け出した先で出会った新聞記者と僅か1日の儚くも美しい恋に落ちる様子を描いたラブストーリー。
映画史に燦々と煌めく永遠のヒロイン・アン王女を、同じく映画史に残る永遠の大女優オードリー・ヘプバーンが演じる。王女と恋に落ちる新聞記者、ジョー・ブラドリー役にグレゴリー・ペック。
監督に『ベン・ハー』(1959)、『おしゃれ泥棒』(1966)のウィリアム・ワイラー。脚本に『スパルタカス』(1960)、『ジョニーは戦場へ行った』(1971)のダルトン・トランボ(当時のハリウッドの赤狩りにより、イアン・マクレラン・ハンターの名義を借用)。その他脚本に、イアン・マクレラン・ハンター(トランボへの名義貸しと最終脚本を担当)、ジョン・ダイトン。

【ストーリー】
某国の王位継承者であるアン王女(オードリー・ヘプバーン)は、ヨーロッパ各国を親善訪問中であり、最後の地がイタリアのローマであった。しかし、形式的で不自由な訪問内容と、過密スケジュールによる疲労感で、不満は限界まで募っていた。ある晩、遂に王女は大使館を抜け出し、夜の街を彷徨う。

寝る直前に医師から打たれた鎮静剤の影響で、王女は意識が朦朧とした状態でベンチで眠ってしまう。そこへ偶然、アメリカン・ニュース社の新聞記者であるジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)が通り掛かり、介抱の為自宅へと招く。

翌日、前日の仲間内とのギャンブルや王女の介抱ですっかり寝坊してしまったジョーは、慌てて出社する。上司に呼び出された先で、王女は急病により予定されていた会見を延期した事を知らされる。新聞の一面に目を通すと、載せられていた王女の写真は間違いなく今現在自宅で安眠中の彼女だった。王女の独占取材による大スクープをものにしようと、ジョーはカメラマンのアーヴィング(エディ・アルバート)を電話で呼び寄せる。

目を覚ました王女は、ジョーに嘘を吐いて別れを告げると、大使館へは戻らず、ジョーから借りた金を手に市場や美容院、ジェラートを満喫する。その様子を陰から見ていたジョーは、偶然を装って彼女に近付く。ジョーは、自身を販売関係の会社員と、王女は寄宿学校から抜け出した学生だと、互いに身分を偽り、ローマ観光に乗り出す。

【感想】
金曜ロードショーの新吹き替え版で鑑賞して以降、映画館でのフル尺鑑賞を熱望していた作品。
4Kリマスターによって、フィルムの傷すらなく一切画面にノイズが入らない完璧な状態で、不朽の名作を存分に堪能する事が出来た。

私が鑑賞したTV放映版では、約25分ものシーンがカットされていた。
カットされていたのは、記憶を頼りに確認しただけでも以下のシーン。
①アン王女がパーティーの最中に窮屈なハイヒールを脱いでいたら履き戻せなくなり、それに気付いた大使の機転でダンスに移行する
②アン王女とブラドリーが出会い、タクシーで家に送り届けるまでの運転手とのやり取りの一部
③ブラドリーが遅刻の言い訳で中止になったはずの王女の記者会見をでっち上げる
④ブラドリーの部屋で入浴中のアン王女が、掃除のおばさんと鉢合わせる
⑤スペイン広場で花屋から花束を買わないかと提案されるが、金銭の持ち合わせが残り少なく一輪だけ譲り受ける
⑥アン王女がスクーターで暴走運転をして警察に逮捕された際、ブラドリーが警察官に新聞記者の正体を明かし、何となく事情を察した街の人々からアン王女が歓迎される
⑦願いの壁でアン王女とブラドリーが語り合い、アーヴィングが写真の現像の為に2人から一時的に離れる
⑧帰宅したアン王女が、眠る前のミルクとクラッカーを断る
⑨会見日にブラドリーの部屋でアーヴィングと共に撮った写真を確認するシーンだ。

特に最後の⑦〜⑨の3つは、本作をより味わい深くしてくれていた。
❼戦時中の逸話から願いを叶えると言われ、叶った願いを紙やプレートに書いて壁に立て掛ける“願いの壁”に、アン王女は“きっと叶わない夢”を願う。それはもしかすると、ブラドリーとこのまま結ばれて一庶民として平凡な生活を願っていたのかもしれない。
❽お転婆で無邪気な少女のようだった序盤に対して、ブラドリーとの水泡の恋の果てに女王としての自覚と覚悟を決め、大人の女性へと変貌したからこそミルクを断る。
❾初めは特ダネ記事と写真の為に結託していたブラドリーとアーヴィングが、アン王女の天真爛漫さと一時の楽しい思い出を汚すまいとして、写真を前に思い止まる。

映画やドラマには、時に「この人なしでは成立しなかった」と言える奇跡とも呼べる瞬間(シーン)、奇跡によって齎されたと言える作品が存在する。そして、本作のオードリー・ヘプバーンはまさしくそれである。

とにかくアン王女の純真無垢さと天真爛漫さ、それを全身で表現し切ったオードリー・ヘプバーンの演技が眩しい。まさに、映画史に残る永遠のヒロインだろう。
王女として、日々多忙な公務をこなさなければいけない窮屈さと、そこから抜け出しブラッドレーとの泡沫の恋を満喫する姿の対比が見事。
長い髪を理容室でカットし、ショートヘア姿をアップで捉えた映像の「美人は何でも似合う」という問答無用、暴力的なまでの圧倒的な美が炸裂する瞬間が凄まじい。
かと思えば、大使館を抜け出す際や、スクーターを嬉々として運転する意外とお転婆な姿は実にキュート。
しかし、やはり何と言っても、ふとした瞬間に見せる王女としての威厳溢れる凛とした表情の破壊力の凄まじさ。アップで映された瞬間の煌めきには、思わず目を焼かれたかのような衝撃を受けた。

意外にもコメディチックな話運びで、ジョーから1,000リラ(1ドル50セント)だけのお金を渡され、街を一人歩いていくシーンは、思わず「え?それでお金足りる?大丈夫?」とハラハラさせられた。

ジョー役のグレゴリー・ペックも負けず劣らず素晴らしい。
ラスト、アン王女が立ち去った後、記者達がゾロゾロと会見場を後にする中で、一人王女が消えて行った出口を見つめるジョー。その胸中は、昨晩、王女が路地の角を曲がった後を、車中で静かに見つめていたのと同じ気持ちだったのではないだろうか。
「戻ってはこないだろうか?」
しかし、2度目も同じく、王女は戻ってこない。泡沫の恋は、まさしく淡く儚く幕を閉じる。しかし、互いがあの日を忘れる事は、決してありはしないだろう。

王女が昨夜の別れ際に言ったように、「振り返らず」、静かに靴音を響かせて会見場を後にするジョーの姿が切ない。

【総評】
映画史に残る不朽の名作の名に恥じぬ堂々たる一作だった。オードリー・ヘプバーンの魅力が全編に渡って炸裂しており、その煌めきに完全に心奪われてしまった。

4Kリマスターによって細部まで細かく映し出される美術、オードリーの美しさは、これぞ劇場鑑賞の醍醐味と言える最高の映画体験を与えてくれた。

緋里阿 純
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