「人生の正解なんて、誰にもわからない」レナードの朝 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
人生の正解なんて、誰にもわからない
目覚めさせたことが残酷だったのか。
そんなことはわからない。
治ったのだから、それが永遠に続くものだと思ってしまう、ごく普通の人間。
這えば立て、立てば歩けの親心。
今日と同じ明日が続く日常。
でも、実は、それは当たり前ではないのだ。誰にとっても。
人生の中で、頭に浮かぶことのすべてが可能であるわけではない。
自分で選択できること、しなかったこと、スルーしてしまったこと、
運命に翻弄されるように、人知の届かぬこともある。
その中で、できれば”正解”の人生を送りたいと願うが、そう簡単ではない。
”正解”を選んだつもりなのに、過ぎてから思えば、後悔も出てくる人生。
”正解”の行いをできなかったように見えて、後からこれでよかったと思うこともある。
”正解”は知っているのに、あえて違う方をとることもある。
”正解”の人生を歩んでいる途中で、出会う思いもよらない出来事もある。
30年間の空白。
失ったもの。新たに獲得するもの。そして失いゆくもの。
目覚めたことが余計なお世話だったのか、嬉しいことだったのかは、一人ひとりによって違うし、思い返す日、これからどう生きるかによっても違う。
それでも、と、期待し希望して行動する。ちょっとでもの可能性を信じてしまう。
あなたの笑顔が見たいから。
実話の医師がどういう方かは存じ上げないが、この映画では、臨床医ではなく研究者が奇跡を起こす。まだ臨床医として燃え尽きてもいないから、目の前に起こっている現象を素直に捉えて、既成概念を飛び越える。
新薬を試す。一つ間違えれば、患者を危険にさらす。でも、トライしなければ改善はない。
倫理としてどうなのか。このケースでは感動的な結果になるが、割り切れない難しい問題。治療に役立つ新薬が次々と生まれる反面、特効薬ともてはやされた薬が、実は患者を苦しめる悪魔の薬だったという報告が数年後に出る場合もある。Dr.カウフマンとの攻防が、どちらが善意でどちからが悪なのかも簡単には言い切れない。
という、医療にかかわる様々な問題をベースにして、
レナードの、見た目・生理的には中年になってしまったけれど、心は思春期であり、思春期の葛藤という、レナードの成長。
医療という思いやりの”檻”に閉じ込められて、恋もままならぬし、一人で街歩きも許されない。切ない。
そんな一つ一つの出来事が、輝かしい”朝”のように瑞々しく、まぶしく…。
そして、思いもよらぬ残酷な運命に立ち向かう姿が、リアルに、命の・心の限りをほとばしらせて、描かれる。
そして、Dr.セイヤーも頑張ったが、周りのコワーカーが皆、患者のために一生懸命になる姿がうれしい。
敵役のようなDr.カウフマンでさえ、採用の時には経験ある臨床医(治療できる臨床医)を望み、レナードが閉鎖病棟からいつもの病棟に戻った時にはあんな笑顔を見せる。
『アルジャーノンに花束を』と似ているというレビューも散見する。
けれど、『アルジャーノンに花束を』の映画では、恋人・恋人の家族との絡みは出てくるが、基本アルジャーノンの変化だけをこれでもかと冷静に追っている。医療関係者は、”実験”の枠をはみ出さない。
なれど、『レナードの朝』は、レナードとDr.セイヤーの関係を軸に、周りの人々も描き出す。
患者が、”人間”となるべく、治療にいそしみ、”人間”としての要求・感情の爆発に対峙し(困らせられ)、その思いに胸を痛める。
私も、スタッフの一人?ボランティア・家族の一人として、二人を見守ってしまう。
レナード自身が目覚めをどうとらえたのかは、わからない。
動かぬ体の中で、何を思い出し、何を思うのか…。
目覚めたときのあの表情。
30年前とは違う姿の自分。
30年前にはなかったもの。新たなる経験・思い出。
”恋”のときめき、希望と切なさ、苦しさ。絶望。
自分の状態をビデオに録るよう迫り、「(今の自分の状態から)学べ!」と叫ぶ心。
とはいえ、目覚めたレナードによって、Dr.セイヤーの人生は変わった。Dr.セイヤーにとっては、一生忘れられない人となった。
かってな言い草だが、レナードの人生・目覚めには意味があったと思いたい。
”患者”としての記録だけでなく、”人”として、誰かの中に残る記憶。
言わずもがな、脚本・演出・音楽・映像も素晴らしいが、
デニーロ氏、ウィリアム氏、ルーシー、ローズを演じた役者の一つ一つの表情に、人を愛おしむ気持ちを思い起こさせられて、思い出すたびに慟哭してしまいます。
筋を知っていてもなお、観るたびに心が震える、至極の映画です。
とみいじょんさん、ありがとうございます。あんまりうまく言えないです。でも、とみいじょんさんの言葉で私の拙い言葉が少しだけでもわかっていただけたのかな、と思い、もしかしたら大間違いかも知れませんが、嬉しかったりです
「筋を知っていてもなお、観るたびに心が震える」というのは全く同感です。というか、その後のレナードのことを知っているからこそ、レナードの喜びがとても貴重なものに思えます。(本当は私たちの日常も、まったく同じものなのでしょう)
ダンスのシーンではいつも涙が出ます。あのシーンを演じたロバート・デ・ニーロの演技力にも(その努力を想像して)心うたれます。
もし、目覚めたことが意味がなかったら、私たちがこの世に生を受けたこと自体も意味がないことになると思います。
とみいじょんさんのコメントで、(薬の危険性などの面でも深く考えることができて)次に見るときには、さらにいろいろな思いを持って見ることができそうです。ありがとうございました。