「ティーンエイジャー映画の先駆的作品に観るジェームズ・ディーンの煌めき」理由なき反抗 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ティーンエイジャー映画の先駆的作品に観るジェームズ・ディーンの煌めき
個人的には16歳の高校生の時にテレビ見学で大感激して、わが青春のバイブルとなりました。でも18歳の時に名画座で見直して冷静になり批評して、問題作だが普通の出来と評価を下げています。そして、今回47年振りに再度見直してみました。
この映画を特徴付けるのは、先ず不世出の天才俳優ジェームズ・ディーンのたった三本の主演映画の中で最も素の彼に近い役柄を演じたことです。監督のニコラス・レイは、俳優ジェームズ・ディーンに惚れ込んで企画を立て原案を担当しました。共演のナタリー・ウッドやサル・ミネオ、デニス・ホッパーなどと付き合っていた普段のディーンの自由奔放な言動に興味をそそられたのでしょう。24歳になっても何処か幼さが残る容貌と高身長ではない体格から、17歳の高校生ジムを演じることに不自然さは有りません。却って転校生ジムを初登校の日に挑発しナイフでの対決を強要するバズ役コーリー・アレンが、21歳ながら高身長でディーンより年上に見えます。結果的に不良学生グループのボス役に適していました。ホッパー19歳、ウッド17歳、ミネオ16歳と若い俳優が主要なキャスティングは、上手くまとまっています。
次に題名の(Rebel Without a Cause)が当時の若者たちを代表する代名詞として注目を浴びたことにあります。13歳から19歳をティーンエイジャーという呼称は、スペルからくる英語圏のものですが、この年代を主役にした映画がこの作品以前にあまり観られなく、またこの作品以後増えたことが画期的だったと言えます。昔は大人と子供の二種類であって、その発達途上は未熟な大人か、ませた子供として早く過ぎてしまいたい“年頃”の扱いでした。特に西洋人は精神年齢より躰の成長が早く、日本人は精神年齢に遅れて躰が生育する特質があって、青春映画のジャンルは欧米と日本では性的な表現含め大分差異があると思われます。
この作品では、戦争の無い平和で豊かな生活になった親子関係にある、父性の喪失をテーマに物語が創作されています。第二次世界大戦が終結して約10年の平和がもたらした世情は、其々の世代が自己主張する自由を得て、世代間の価値観の対立を生んでいきました。感受性が鋭く、精神的に傷つきやすいティーンエイジャーの悩みは個人によって様々で、その年代を経験した大人世代の体験からは想像もできない、または忘れ去られてしまったか、思い出したくもないものかも知れません。(最近の若者は・・・・・)の一言で片付けられる、このティーンエイジャー批判を含んだ言葉が、人類の普遍的な特徴として今も語られる事実に対して、この作品の題名=理由なき反抗=は、的確に核心を付いた映画タイトルと言えます。16歳の私は、主人公ジムに多大に共感し、大人の駄目なところを一方的に批判しながらこの映画を崇拝しましたが、そこから僅か2年後には、その共感を再び感じることなく、客観的に映画を観てしまう大人側の立場になっているのです。理由がどうであれ、あの時の共感はもう感じることは出来ません。
今回観て先ず感心したことは、ディーン始め役者の演技の充実度と、父性の喪失を主題にした僅か1日の出来事に集約したストーリーの密度、それを終始緊張感持たせたニコラス・レイ監督の演劇的でスマートな演出に魅了されたことです。ディーンが演じる極普通の高校生ジム役は、演技論から言えば特徴が乏しく難しいものです。理由なきのレッテル貼りとは反対に、理由ある反抗を巧みに感じさせる演劇演技の完成度の高い演技でした。「エデンの東」「ジャイアンツ」の演技に引けを取らない素晴らしい遺産と云わざるを得ません。当初白黒撮影の予算をカラーフィルムに切り替えたことで、後半のジーンズに白いTシャツと赤いジャケットのスタイルが、若者ファッションに影響を与えたことは有名です。それと途中上半身裸で見せる肉体は鍛えられたものでなく、今のハリウッド男優では考えられないのも興味深いです。相手役のナタリー・ウッドは「三十四丁目の奇蹟」などの子役からハリウッドで活躍した女優ですが、既に大人の魅力を兼ね備えた女性としてファザーコンプレックス故の女子高校生の不良を好演しています。最年少のサル・ミネオのプラトー役は、当初同性愛者のコンセプトであったとあります。高校のロッカーのドアに「シェーン」で主演したアラン・ラッドのプロマイドを貼っているカットで想像できますが、両親の愛情に飢えた境遇から、ジムを兄や父親のように慕うプラトーの繊細さを上手く演じていました。エプロンを付けて祖母の食事を運ぶ父フランクを演じたジム・バッカスは、コメディ俳優でこの作品にキャスティングされました。確かに当時の名の知れた男優では、そのシーンで出演を断ったと想像できます。何処か頼りなく、決して駄目でもわからず屋でもない極平凡な父親を上手く演じていると思います。また登場シーンが短いジュディの父役のウィリアム・ホッパーを調べて驚いたのは、偶然最近観た「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」でヘレン・ミレンが演じた元女優でゴシップコラムニストとして名を馳せたヘッダ・ホッパーの一人息子という事です。24歳で「駅馬車」に出演した経歴のあるベテラン俳優でした。他にも若者に理解を示すフレミック警部のエドワード・プラット、クロフォード家のメイドを感じ良く演じたマリエッタ・キャンティなど、地味ではありますが良質の演劇を観ているような俳優陣です。
この映画を演劇映画として観れば、ジムが自首を覚悟で両親に相談する居間のシーンが見せ場と言えるでしょう。自首して問題を起こすことに反対する両親と対峙するジムの嘆きをジェームズ・ディーンが熱演しています。しかし、冒頭のグリフィスパーク天文台の世界が消滅するプラネタリウムの印象深い名シーンから、ジムとバズの息詰まる対決の対比の見事さは、映画ならでは表現です。そこからチキンレースに誘う展開の速さと、そのミラータウンの崖で繰り広げられる、死を恐れない無謀で不器用な意気がる若者の姿が象徴的に表現されています。後半の幽霊屋敷での非現実に夢想するシーンの若者の幼さと遊戯も印象的です。これら夜のシーンが多いためか、撮影の難しさを考慮すると明るいところでテレビ鑑賞するより暗い映画館のほうが、よりこの映画の世界観に浸れると今回思いました。
作品としては誰にも薦められる傑作ではありません。でも誰もが経験した不安定で悩み多き青春期を少しでも思い出して、登場人物に寄り添う寛容さも大人の条件ではないかと、作者が言いたかったことではないでしょうか。アメリカでも、勿論日本でもジェームズ・ディーンの死後に初公開されました。失われた青春を象徴するジェームズ・ディーンは、この作品で永遠の命を得たと言ってもいい。若きティーンエイジャーの悩み、を象徴的に演劇映画に創作したニコラス・レイ監督の映画史に遺る作品と、改めて思い直しました。
Gustavさん
コメントへの返信を頂き有難うございます。
『 十代の頃の感性や感受性は儚い 』、仰る通りだと思います。その年頃ならではの気高さ故の感性でしょうか。
父親が映画好きだった事もあり、二十代の頃、少し古い映画を選んで観ていた時もあったのですが、今、テレビ放送でも古い作品を放送して下さっているので、古き良き作品に出会えるひと時を楽しませて頂いています。少しずつですが。
Gustavさん
ジェームズ・ディーン、煌めいていましたね。
初鑑賞された16才の時と、二度目に鑑賞された18才の時と、主人公に対する感情が異なっていたのですね。そして年齢を重ねられた今ご覧になられてのレビュー。
映画や本、色々な報道もそうですが、年代によって、受け止め方や心に刺さる箇所が異なってくる面白さがありますよね。
ジェームズ・ディーンのひりひりとした眼差しが印象的な作品でした。