リトル・マーメイド(1989)のレビュー・感想・評価
全6件を表示
原作の悲しい結末を無くしたことは良い
いくらお子様向きにハッピーエンドにしたとしても、あの結末はうまく行き過ぎているしエリックが騙されたとはいえアリエルに何も言わずに結婚することを決めてしまうという展開には大変驚きました。
典型的ディズニー映画
................................................................................................
海の中の国王の娘、人魚姫。
地上の国の王子が溺れたのを助け、美声を聞かせる。
この短い出会いだったが、共に惹かれ合った。
人魚姫は王子に会いたい一心で、魔法使いに足をつけてもらう。
代わりに声を奪われる。期限までに王子のキスをもらえば戻る。
この魔法使いは悪者で、海の国王の座を奪う目論見だった。
地上へ行った姫は声が出ないため、王子に気付かれない。
ただ親切な王子に養ってもらってるうちにいい関係に。
それを防ぐべく魔法使いが偽の姫に化けて王子のもとへ。
で結婚式を挙げることとなるが姫の仲間たちが奮闘。
魔法使いは正体がバレ、巨大化して暴れるも王子に殺される。
姫は声が出るようになり、あの時の人と分かる。
こうしてハッピーエンドとなりました。
................................................................................................
これが人魚姫なんやな。どんな話なんか知らんかった。
内容は典型的ディズニーで、結末も早々に予測できる。
でもそれも古いディズニー作品の良さなんだろう。
それにしてもこの人魚姫、ええ感じでバカっぽい。
表情豊かで何かカワイイな。
歌しか知らなかったけど、遂に視聴。
歌は知ってたけど内容は一切知らない状態で早ウン十年経ってましたが、ディズニーアニメが一時落ち込んだのを持ち直した傑作と言われてるそうで。確かに良かった。
同じくイマイチだったディズニーが持ち直した『塔の上のラプンツェル』は昔に見ましたが、こちらは特にそこまで記憶に残ってない。同じくイマイチになって持ち直した『アナと雪の女王』も、話題になったのですぐに見ましたが、歌は記憶に残ってるけどストーリーは雑だった感じがしてどうも。やはり伝説のディズニーももうスターウォーズだのスパイダーマンだの色々買い占めだした頃から寿命だったんですかね。
本作はディズニーシーに行くとよくかかっているUnder the seaとかKiss the girlとか、歌はかなり有名ですが、ストーリーに関してはもう昔過ぎて、誰も話題にすることもなく。というか「知ってて当然」くらいの感じなのかもしれませんが、自分はずーっと「どんな話なんだろうな~」状態で歌だけ小耳に挟んでました。
Kiss the girlは歌詞的に「はよキスせーよ」って内容なのはわかる。王子がアリエルにキスするように野次馬が嗾けてるシーンで歌われるというのも知ってた。ただ映像で見ると、想像以上に野次馬達の雰囲気作りハンパねえ~!!笑
そして衝撃なのはアースラの歌。
「人間の男はお喋りな女は嫌い、好まれるのは黙って頷き男の後ろを歩く女」。
歌詞を書いたのが男性で、1989年に既にヴィランの歌としてこの歌詞を書けるのは、流石ディズニーと言わざるを得ない。
ディズニーは子供向けアニメとして作ってる割に、ヴィランの歌が結構シビアで好きなんですが(『モアナと伝説の海』のタマトアが歌う「シャイニー」とか)、やはりこの時代のディズニーは先見の明があったし尖ってたんだなあ。
ヴィランにこの歌を歌わせ、それが明らかに間違い(悪魔の囁き)であり、この「常識」は呪縛であると暗に見る側に伝える。そして、その歌の後にアースラが奪うのが「女性の声」というのがまた秀逸。
アリエルがあまりにも美しい声を持っているから、その一番価値のあるものを欲しがった、と取るのが普通だと思いますが(原作でもそうなんだし)、歌詞を見ると「声を奪う」をあえて「女性を黙らせる」と解釈し利用したのかなと思えます。原作では魔女はあくまで対価として人魚の声を貰うだけのはずが、ディズニー版は明らかに悪意があり、アリエルを嵌めるために声を奪うわけですから、原作の設定を利用し、わざとこの構図にしたと考えても良いのでは。
声を失うことに戸惑うアリエルに、アースラは「美しい見た目があるんだから大丈夫」と言う。
そしてラスト、アースラは魔法で美しい姿とアリエルの美しい声を装備するけど…魔法をもってしても、結局アリエルの内面の魅力に負ける。
男性を喜ばせる「モノ」としての価値しか求められてこなかった女性達が、男性に選ばれるために表面的な部分ばかりを必死に磨かなければならない、女性は外見が美しくなければ生き残れないという考え方にストップをかけようという意識を感じます(それでもアリエルも王子も見た目が美しい設定なんだけど)。
これが35年も前の作品だってよ…本作の後『アラジン』も同監督が担当したとのことで、納得。
アメリカでは女性解放運動が1960年代に始まっていたから、こういう表現が公にあっても不思議じゃないのでは?と思うかもしれませんが、本作と同じ頃か、もっと後に出たディズニー以外の有名映画を見れば、女性解放運動がどれだけ遅々として進んでいないかがわかります。
同年に出た『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』では、惚れた女が自分の父親と関係を持っていたと知ったインディが「お下がりはごめんだ」と言うシーンがあるし、2004年の『キャット・ウーマン』でも「(女のくせに)男を立てる気ないの?」とか「私は女(だから人を騙すのは当然)」とかいう台詞が平気で使われてることから考えても、こうして公に社会常識を皮肉る作品を子供向けアニメで出せるというのは、かなり勇気がある(なのに上層部はかなり人種・性差別的だというから不思議すぎる)。
現代ではまた、男性にお近づきになるために女性が声を捨てる話って何やねんと疑問を持つ人もちらほらいるようですが、2023年の実写化に際しその辺の表現は変わったのか、1989年からの更なる進歩はどんなもんなのか…期待できるのかどうかわかりませんが、いずれディズニーが再興することを祈りましょう。
ところで、ディズニープリンセスの作画がどんどん子供っぽくなっていることに関して、アメリカではだいぶ前から議論されているそうなんですが、確かに1937年の白雪姫が14歳、2013年のエルサが20歳設定だったことを考えると、かなり若返ってますね。
でも実際、現実の人間も昔の人よりかなり若い(幼い)そうなので、気にするほどのもんなのかどうか?アメリカでは、20歳といったらもうかなり大人っぽい装いをしていないと格好が付かない、といった考えがあるので、余計に受け入れがたいのかもしれません。
ちなみに1989年のアリエルは、1959年のオーロラと同じ16歳の設定だったそう。歌詞中で「私は子供じゃないのよ」と言ってるけど、未成年なのかよ。笑
でも、これからの時代求められるのはこの子供らしさなのかもなーと。何でもとにかくやってみる、よく知らないけど憧れる、リスクが高くても思い切って行動する。現代では、小さい子供でさえこんな風に自由に振る舞えないのでは。
子供のやったことに責任を取れるほど余裕のある親が今の時代どれだけいるのか。金もないし精神的な余裕もない。でも、だからといって子供を締め付けていると、子供は成長しても飛び立つ能力がないまま大人になることになる。まだ飛び立つ能力がないように見えても、子供が飛び出したがった時にやらせてやるのが良いのかも…
親の描き方も「ありがち」な親そのままで、親父のトリトンが娘の話もろくに聞かず「黙って言うことを聞け!」とか、言うこと聞かないと娘の大事にしてる所持品ぶっ壊すとか、現代人目線だと完全に毒親。愛情はあるんだけど、反省もしてるんだけど、完全に毒親。ディズニーが描く毒親、結構リアル感ありますね。『ラプンツェル』でも思ったけど。
ディズニーを持ち直したと言われる一作、流石の出来で、正直現代のディズニーアニメから遡って前作見たい気持ちになりました。
興味はあるけど昔の作品だし、わざわざ見なくてもいいか…と思っている人も、一度は見てみても良いのでは。親子で見るのもお勧めです。
おつむもリトルだなぁ。
うーん、どうしても昔から苦手です、アリエル。
なーぜフランダーを危険に晒す?
大切な事も含めて、人の話を全然聞かない。
周りを巻き込む迷惑に気が付かず、自分中心。
助けられて当然のような表情。
なんなんだこの子。アリエナイ。
歌が上手くて泳ぎが得意だけれど、
人間界に来たら人魚に憧れそう。
タコは一応契約を交わしている。
タコが焦って悪女に化けてくれたから成立している話で、アリエルは約束を守らない。
そんなアリエルを守るために娘同様簡単にサインする、父親の国王トリトン。
タコに頼まずとも、トリシュートラさえあれば、人間にはなれたのだ。
泣けるのは、父親トリトンが末娘アリエルの本気を見て、ヒレを足にし人間界に見送るシーン。
アリエルはタコに頼んだ時には裸で海からほっぽり出されていたが、トリトンは美しい水色のドレスで娘を送り出す。親心に泣ける。魚を食べる人間の元に嫁入りさせるだなんて。心配な事だらけだろうに、アリエルに、可愛い子には旅をさせる覚悟をする。
フランダーとセバスチャンは気の毒だわ。
振り回されて危ない思いもたっくさん。
国王の娘のアリエルも、人間界の王子エリックも、
王室のつまらなさを知っている。
海を出たり、船旅に出ようと思うほどに。
ジャスミンも王室で退屈していた。
白雪姫もオーロラ姫もラプンツェルも、王室で良い思いはしていない。
なのにわざわざ夢見て嫁ぐシンデレラ。
父親に止められたのにお屋敷で野獣に恋し、実は野獣が王子でたまたまプリンセスになるベル。
どうしてみんな、綺麗だけど自由のないプリンセスに憧れるのでしょう?
そこそこの容姿でも、仕事をして自由に暮らせる方が幸せでは?
そう考えられる思考を持てることこそ、女性の人生が、結婚相手次第で決まってしまう束縛から抜け出せた証拠なのかな。
誰しも結婚したって自由はないなら、お金に苦労しないイケメンプリンスの妻の方が良いと言う事なのだろう。
セバスチャンが最後に話すように、
子供には自由〜な生き方を選ばせたいものですな。
そのための判断力や考える力、実現力を教えるのが親の役目なのですな。縛るのではなく。
タコは時代より早くに意志や思考力、頭を使う力を持ち過ぎてしまったのかもしれない。
そのため疎まれた女性だったのかもしれない。
悪意は良くないが。
タコに戻って甲板を匍匐前進するシーン、強烈!
負けじとエリックも不死身!
ウツボを殺めたアリエルと、タコを殺めたエリックの新婚生活スタート。
歯なしのシェフが作ってくれる魚料理甲殻類料理を食べながら。
なんでしょうね、怖いわ。
実写化を観に行く前に…
最後アニメ版を観たのは年齢一桁の頃で覚えてないのでディズニープラスで観てたら…
内容スッカラカンでびっくりするくらい面白くない。
人間の男に一目惚れする16歳の人魚。
父親は娘の物を破壊するDV系の毒親。
主役の人魚からモブ人魚まで全員白人なのに何故かカニのセバスチャンだけジャマイカンアクセント。あのカニどっから来たん?唇が分厚くてリアクションデカいあたりおそらく、セバスチャンが作中の「面白黒人枠」だったのかな?ギリ80年代のディズニー映画だから絶対的に肌のダークスキンの黒人は出したくないという強い意志があったのだろう。
アリエルの父親はあれだけ娘が人間とくっつく事に反対してたのに、最後はフォークの使い方も知らない16歳の子供をあっさりと嫁に出すのも謎。フランダーはアリエルの親友なのにぽっと出の男に負けてなんか可哀想だった。
音楽と手描き感のある泡の演出とかカラフルな背景は良かった。でもそれだけ。あとは本当につまんない。実写版でどれだけ内容が面白くなってるか…
ベソ子「お話ちがうわ~ん」
ディズニーアニメのレビュー9作品目
白雪姫やバンビなどと比べたら最近の作品だがそれでも30数年前
比較的新しいディズニーアニメを鑑賞するのは全くの初めて
絵本でお馴染みのアンデルセン童話を83分の尺に広げるには良い意味で無駄な肉付けが必要でそれがディズニーは上手い
頓珍漢なカモメ好き
ミュージカル仕立てな面がある
どちらかといえば吹き替えではなくオリジナルの方が良い
今回は王子様にも見せ場がある
タコ魔女を退治するのだから
ハッピーエンドに改変したから大ヒットしたという意見もあるがそれは違う
原作通り海の泡になったとしても大成功を収めていたのではないか
最初から最後までしっかり観ればそれが分かるはずだ
それくらい全体的な出来は良い
ラストの改変に対するフェミニストのクレームは言いがかりだ
だが悲恋で終わるバッドエンドは人魚姫の話の根幹だ
それを変えたこと自体は反対だ
アンデルセンも天国で怒りを通り越して呆れてるだろう
三匹の子豚やシンデレラの改変は残酷なシーンをカットしただけなので特に問題ないのだが人魚姫のラストはいただけない
現代風にアレンジしたのだから当然自己犠牲の精神も否定的なんだろう
現代風といっても89年だから微妙だけど
実写は褐色の女優が演じたらしいがその程度の配役はハッピーエンドの人魚姫に比べたら些細なことだ
人魚姫なんて黒人でも韓国人でもヘチマでも美人で演技力が高ければなんでも良いんだ
男でも良いしなんならイカ娘でもポニョでも良い
それくらい思えるほどハッピーエンドの人魚姫は興醒めした
全6件を表示