リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(1960)のレビュー・感想・評価
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どんなB級クソ映画かと思いきや!?
特撮、台詞はもちろんB級感満載なのだが(1人目の足首とか)、無駄なシーンも無く、観ていてノイズにのる所が無い。
終盤も盛り上げてきちんとオチが付いてる。面白い!
テンポ感は全てを解決する!
コーマン監督、恐れ入りました!
星の数では語れないもの
星いくつ付けたらいいかなってとても迷うと言うか、考えてしまった。作りとしては荒いけれども(なんせ3日で撮ったっていうじゃない)、ホラーの歓びみたいなものが凝縮されている点を評価して、結果的に星5にした。後にリメイクされたりミュージカルで舞台化されたり、そういうことをしたくなる気持ちがよくわかる作品。
何があるか分からないものですね
86年版を観るための予習として見ました。
ノリの合わないお笑いを見るのは辛いものですが、個人的にこの映画のお笑いのノリはダメでした。
特に花屋の店長、ヒロイン、主人公のお母さんのノリがキツかったです。
見所の一つである若かりし頃のジャック・ニコルソンは、昔からこういう何かに取り憑かれた役に縁があったんだなぁ〜て感じですかね。当時22、23くらいですか、若い。
物語の結末は86年版よりこちらの方が、ホラー映画的な因果応報があって好きです。この後、このオードリーJrはどうなったんですかね。
オリジナル版にはミュージカル要素皆無ですが、この後20年以上の時を経てミュージカル化し、ブロードウェイにまで進出するのですから何があるか分からないものです。
ジャックニコルソンが素晴らしい
採点3.8
クラシックだが今みても良くできたホラーコメディ。
リメイク版は観たことあるのですが、オリジナルは初鑑賞になります。
パッとしない花屋の店員と、吸血植物の愛憎劇をコミカルに描いた作品。
因みにこの植物は日本人の庭師にもらったらしいです。
悪気はないのですが、とりあえず殺しすぎですね。
マゾの患者が素晴らしく、演ずるは若かりしジャックニコルソン。
その存在感はビルマーレイの比ではなかったです。
最後も真逆でブラックなオチが新鮮。
本当よく出来た作品でした。
ベタな展開のオンパレード
年代的に古臭く感じる雑な演出描写はB級映画としてロジャー・コーマンならではの巧みな技、クダらなくて優しいながらも不謹慎でブラックな笑いはラストの衝撃的な展開へと向かう陳腐さが潔く。
主人公とヒロインが若いカップルでありながら演じる二人が醸し出す中年感、ジャック・ニコルソンが変態的な歯医者好きの青年をコミカルに演じるミニコントが笑える。
EAT ME〜!何か食べさせろ〜!
内容は、1960年台のアメリカの犯罪都市スキッドローの花屋で繰り広げられる一匹の食人フラワーによるホラーコメディ。好きな言葉は『ヤバだけど良い人だった、、、』歯医者を治療中に殺めてしまい意図的に食人フラワーに食べさせてしまうあたりから主人公が殺人に対して罪悪感が薄らいでくる辺りがホラーで怖かったです。コメディタッチで笑えるけどブラックユーモアいっぱいで黙ってしまいます。沢山の人が食人フラワーの餌にされる。その様子が人間により都合のいい様に利用される様が人間の業の深さを感じる作品でした。食人フラワー全く悪くなく只食事をするだけで動かないので周りの人間に利用されたり振り回したりしている姿が滑稽で皮肉いっぱいで考えさせられる怖い映画でした。最後は苦悩する結果の原因に自分が一番関与していたのかもという思いから、自死を選ぶ瞬間は切なかった。『僕の人生を壊しやがって!今までにない美味しさだぞ!』何とも言えない幕引きに最後は『殺す気は無かった!』は意外な台詞でした。贖罪としての本人の気持ちが違和感覚えてよかったです。
人食い花が表すもの
異形の生き物の動向がそのまま主人公の精神状態のアレゴリーになっている作品はわりかし多いんじゃないかと思う。
個人的には『フリクリ』5話に出てくる家電を食べて大きくなる怪物が好きだった。彼氏に捨てられた高校生のサメジマ・マミ美は、その寂しさを埋めるようにそいつにエサをやっていたのだが、次第に怪物は巨大化し、ついにはマミ美の言うことさえ聞かなくなる。
でも、そういうのって痛いほどわかる。ある絶望の中で肥大化した精神に歯止めをかけることなんか誰にもできない。もちろん自分自身にも。
彼女の心そのものである怪物が街中を壊して回るラストシーンには、あまりにも悲壮な痛々しさがある。
さて、本作においても、主人公の青年の精神状態の反映としてグロテスクな人食い花が登場する。
青年は、自身が勤める花屋での地位を確保すべく、見世物として自宅から不思議な花を持参する。しかしその花は人肉を主食とし、それがなければすぐ枯れてしまうのだった。
青年はひょんなことから人を殺してしまい、それを隠蔽すべく死体を花に食わせる。すると花は一晩にして巨大化。見世物として大いに花屋の経営を潤した。
青年の中で増大する「ヤバい…」という罪悪感を代弁するように、人食い花は大きくなっていく。花屋の売上もうなぎ上りだ。そして青年は第二、第三の殺人を犯す。殺人、巨大化、殺人、巨大化の無限ループだ。
しかし青年は最後の最後で感情の主導権を取り返す。殺人の責任を取るために、自らを人食い花に捧げたのだ。
何かに仮託された形で暴走する感情を食い止めるためには、もはやこうするしかなかったのだ、という青年のやるせない覚悟がここには垣間見える。
本作は、一人の青年が自分の感情の手綱を再び握るまでの過程が人食い花というファニーな可視的存在によって描き出された、ある種の心理映画と呼ぶこともできるように思う。
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