「ジャズファンならマストの映画です サントラ盤も欲しくなるはず ジャズファンでない方でも十分に楽しめる映画だと思います」ラウンド・ミッドナイト あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
ジャズファンならマストの映画です サントラ盤も欲しくなるはず ジャズファンでない方でも十分に楽しめる映画だと思います
1986年公開
アメリカ・フランス合作
題名の「ラウンド・ミッドナイト」 ('Round Midnight) とはジャズの超有名なスタンダード・ナンバーから採ったものです
冒頭のタイトルバックで流れるのがその曲です
真夜中頃という意味です
勿論、劇中で「明るくなってきたから寝るよ」というようなジャズメンの真夜中の生態を描いているからこの題名なのです
この曲はセロニアス・モンクという偉大なジャズピアニストが1944年に作曲した名曲中の名曲
無数のジャズミュージシャンが演奏し録音していますが、特にマイルス・デイビスのトランペットでの名演奏が有名です
ジャズをあまり知らない人でも出だしの一節で、あああれか!となる程の曲です
本作はバド・パウエルという、偉大なジャズピアニストの実話をモデルにしています
彼はジャズをそれまでの「大衆音楽・娯楽音楽」のスイングジャズから、「芸術音楽」のモダンジャズに脱皮させた偉大な変革者の一人でした
モダンジャズはデートに使うオシャレなレストラン向けの音楽ではありません
魂そのものから絞り出される音楽の芸術なのです
ミュージシャン同士、そして自己の表現力との真剣勝負の音楽なのです
そのバド・パウエルを、本作ではデイル・ターナーという架空のテナーサックス奏者に置き換えて主人公としています
演じるのはデクスター・ゴードンという、超一流のジャズミュージシャンです
彼は1923年生まれ
モデルのバド・パウエルは一つ下の1924年生まれです
因みにセロニアス・モンクは6つ年上の1917年生まれ
彼等はほとんど同世代なのです
彼自身も本作の主人公やそのモデルのバド・パウエルと同じような人生を歩んでいます
まず本作の主人公のモデルになったバド・パウエルの人生を辿ってみましょう
ジャズメンとしての腕は天下一品
20歳の時、警官の暴行により頭部への打撲で脳に損傷をうけます
そこからおかしくなり1年ほど精神病院にいれられますが、出てきてからも麻薬や酒に溺れて、演奏活動に支障がでるほどになります
結局1959年にフランスに渡ります
そこでの生活は本作に描かれた通りです
1964年に帰米したもののたった数回のライヴを行っただけで、2年後の1966年にニューヨークの病院で亡くなっています
死因は結核、栄養失調、アルコール依存症だったそうです
42歳の早死です
本作の時代設定とお話の内容はバド・パウエルに合わせてあるようです
主人公を助けるフランシスも、バド・パウエルをを助けたフランシス・ポードラという実在の人物がモデルで、知り合ったエピソード、自宅に招いた話なども実話です
一方、彼を演じたデクスター・ゴードンの人生はどうか?
彼もまた1940年代後半に一流のジャズミュージシャンになったものの、麻薬に溺れてしまっています
一時的な復活はあったものの、結局米国では演奏できなくなり、1962年に欧州に渡りフランスやデンマークを拠点に活動するようになりました
そこで名盤を多数録音して名声を高めます
そして1976年に帰米して、ジャズクラブの殿堂ヴィレッジ・ヴァンガードでコンサートを行い復活したと評判をとりました
バド・パウエルのように死ぬことはなく、本作に63歳で主演、その4年後67歳で他界しました
また彼ががデンマークに滞在していた頃には、現地のジャズ・クラブのマスターと親しくなって、その息子の代父となったりしています
つまり本作のバド・パウエルをモデルにした物語は、主演のデクスター・ゴードン自身の人生の相似形でもあるのです
まかり間違うと、彼の人生が本作の物語と同じ結末になっていたかも知れなかったのです
それが演技に迫真性を与えていて、彼の演技は素そのままのように見えるほどです
さて、なぜ当時のアメリカの黒人ジャズメン達は本作のように大勢欧州に移住していたのでしょうか?
1963年頃にはアメリカから100人を超えるジャズメン達が欧州にいたそうです
その理由は本作の終盤に描かれた通りです
ジャズメンは白人もいますが、ほとんどが黒人です
どんなに成功しても、どんなに芸術性を高めた音楽を演奏しても、黒人は黒人なのです
有色人種としての扱いでしたし、ジャズは単なる大衆音楽でしかなく、ジャズメンは消費されるだけの存在であって芸術家ではなかったのです
ところが、ヨーロッパツアーに行くとどうでしょう
本作のフランシスのように偉大な芸術家として扱ってくれるのです
高級レストランにも、白人女性と連れだって行っても追い返されないのです
表立った露骨な人種差別はなかったのです
才能ある人間は黒人であっても正当に遇してくれたのです
旧友の女性ヴォーカリストとの高級レストランでの食事シーンはその為のシーンだったのです
もっもいえばフランシスの娘との触れ合いのシーンもそうなのです
確かに1955年にロックンロールが誕生してから、大衆音楽の王座からジャズは転落したのです
ましてモダンジャズは踊る音楽ではなく鑑賞する音楽ですからどんどん人気が低落していったことも大きな理由でもありました
しかし、ヨーロッパではモダンジャズを鑑賞する芸術音楽として理解する文化があったのです
それ故にアメリカの黒人ジャズメン達は大勢ヨーロッパにわたったのです
それが「ボンジュール・ヨーロッパ、グッバイ・アメリカ」の正体であったのです
冒頭の白黒シーンは1964年に主人公がフランシスと帰米した時のことです
帰米して凱旋どころか、冒頭のハーシェルとわかれた安宿に逆戻りだったのです
ハーシェルとは友人のジャズメンのようです
おそらく1939年に死んだハーシェル・エヴァンスの名前をオマージュしていると思います
カラーシーンからは1959年のパリに立つ日の回想です
ハーシェル・エヴァンスはサックス奏者、超一流のカウントベイシーやライオネルハンプトン楽団で活躍したスイングジャズ全盛期の人でした
年代的にバド・パウエルやデクスター・ゴードンの世代の憧れのジャズメンだったはずです
つまり、スイングジャズの死を彼に象徴させているのです
このまま米国に入れば、いずれスイングジャズのように行き場を失うという意味でもあったのです
とは言え、生まれ育った祖国が一番です
里心がついて帰りたくなるのは人情です
しかしバド・パウエルの1964年はまだ早すぎたのです
1964年はビートルズのアメリカデビューの年だったのですから
結末、麻薬と酒に溺れてしまったのでした
一方デクスター・ゴードンが帰米した1976年は、ロックからディスコミュージックの天下への過度期でした
ジャズもまたロックとディスコミュージックから大きな影響を受けて変革を遂げて、今はフュージョンと呼ばれているクロスオーバージャズがディスコミュージックの流れのなかでも大人気になっていたのです
その第一人者が本作でピアノを弾いたりMCをしているハービー・ハンコックです
彼は1940年生まれです
バド・パウエルやデクスター・ゴードンより15~6歳年下なのです
ハービー・ハンコックはクロスオーバーという新しいジャズの革新を推進していたその最中だったのです
このクロスオーバージャズの大人気は、スタンダードのジャズを温故知新する動きをももたらして、正統派のジャズは再評価され長い寿命が約束されたのです
それが帰米したデクスター・ゴードンの活動の場所を与えてくれたといえます
本作の製作も、つまるところこの流れの企画と言えるでしょう
ジャズファンならマストの映画です
サントラ盤も欲しくなるはず
ジャズクラブの特等席でライブを観ている感覚があります
このメンバーでのライブ、今なら数万円でも当たり前でしょう
ジャズファンでない方でも十分に楽しめる映画だと思います
蛇足
演奏メンバー一覧
デクスター・ゴードン(sax)、ハービー・ハンコック(p)、ボビー・ハッチャーソン(vib)、ロン・カーター(b)、シダー・ウォルトン(p)、ウェイン・ショーター(tp)、マッズ・ヴィンディング(b)、トニー・ウィリアムス(ds)、ジョン・マクラフリン(g)、フレディー・ハバード(tp)、などなど