欲望という名の電車のレビュー・感想・評価
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マーロン・ブランドの若い頃!
マーロン・ブランドの若いころがこんな感じだったとは!舞台俳優をやってきた彼が初めて演じた映画? 上手いなぁ。ステラがスタンリーをなかなか振り切れないのだ。彼はそれほど魅力的でなくてはならないわけだが、バッチリ成功している。
彼を観るだけでもこの映画はかなり楽しい。
話の展開は刺激的。が、複雑な思いが残る。終始それぞれの感情や思惑が入り乱れ面白いが、皆、平行線のままだ。絡み合うことがない。自分のことしか考えていないから。たとえば、ミッチーが思い直して結婚を申し込むとか、少なくとも謝るとか、ブランチが別の新しい人生を歩む決意をし旅立つとか、なんらかの心境の変化があれば違ってくるのだが。(ステラさえも、またしばらくするとスタンリーを受け入れていそうだ。)
誰ももう自分のどす黒いレールから逸脱できないのか。行き着くところに行くだけ。終点まで。暗いなぁ。
当時の社会の価値観に思い切って問題を投げかけているという面があったのかもしれない。しかし今となってはそのスタンスは古く感じ、ドロドロしたものを見せられただけという印象が残る。
戯曲の映画化作品はあまり好きではないのかも。。
地主の娘という出自だが、没落して身を売り生きてきた姉ブランチをビビアン・リーが熱演してアカデミー賞主演女優賞を獲得した作品です。姉とは対照的に、労働者階級の世界でもまぁまぁ生きていける妹、粗暴な妹の夫スタンリーらを中心として人間模様です。戯曲の映画化だからでしょうか、なんか芝居が大袈裟に感じたり、セリフが冗長に感じたりして作品に没入することができませんでした。
人間の見栄、価値観、などの本質黄な部分を描こうとしている作品だと思うので、70歳になったころにもう一度鑑賞してみて、現在の感想との違いを楽しんでみたいと思います。
舞台そのもの
ブロードウェイの映像化で且つ舞台俳優がそのまま映画にも出演しているので
演出も演技も舞台そのものです。
入魂の大熱演とみるか、大げさなクサイ演技とみるかはその人次第でしょう。
但し、リー先輩の鬼気迫る演技はサンセット大通りのスワンソン先輩と双璧です。
厳しい物語をカザン先生は哀感を排除し非情な映像に徹したようです。
良き時代VS欲望むき出し?
これも30年位前に見て以来の視聴。名戯曲ということで、少し期待をしてみたが、あまりピンとこなかった。マーロン・ブランドとビビアン・リー、その周囲の人たちの演技は、素晴らしいと思って見ていたが、ストーリーの魅力が今一つわからない。セリフは、戯曲らしく修辞が多いが、上流階級の人たちが使っていたような気取ったセリフが多かった。ブランチは、上流階級の大きな農園で育って、(南北戦争で負けて?)夫は自殺。農場を切り売りしながら、父母に死なれて没落。身持ちを崩して、オリオールで生きるために手当たり次第に男を誘惑して娼婦に成り下がっていたようだ。古き上流階級の思い出にすがって、今でもその夢の生きたいと思っている。スタンリーは、肉体労働者で、粗野で暴力的。今でいうDV夫。アメリカ的なむき出しの欲望を体現しているかのよう。スタンリーが、ブランチの過去を暴いて、親友のミッチが誘惑されるのを阻止し、最後にはブランチをレイプし、ブランチは精神に異常をきたす。ビビアン・リーは「風とともに去りぬ」で、文字通り南部の大農場の娘を演じ、男を成り上がりの道具として扱い、南北戦争をきっかけに没落に転じていく。
その後日談ともとれる、この役。しかも、躁鬱病で苦しんでいたというから、文字通り自分の体験を糧に演じたということか。
この映画の肝だが、男の欲望=何とかして女をものにしたいという欲求、女の欲望=男から言い寄らせて、最大限貢がせるという欲求、のぶつかり合いと見えなくもない。そうなると、ブランチが異常をきたすことの説明がつかない。
アメリカが世界第一の工業国となり、北部中心に工業生産で豊かになり、ヨーロッパの古きよき上流階級や騎士道的な精神が死に絶え、労働者階級の、より物質的、直接的な欲望が前面に出るようになったということを描きたかったのか?上流階級を覆っていた虚栄や偽善が、新しい文化によって取って変わられたということなのか?個人的に見れば、ブランチが可哀そうとの見方もできるが、有名な戯曲なので、もっと象徴的な意味が隠れていると思う。
ビビアン・リーが、虚栄を張って、思わせぶりな態度を取ったり、老いを恐れる様、次第に精神に異常をきたしていく演技は、なかなかだった。
しかし、物語自体の魅力が自分にはわからなかったので☆3つ。
正に『女はつらいよ』なのだ
この演出家は全くフェミニストでは無い。そして、古い価値観しか無い保守的な演出家で、マーロン・ブランドに馬鹿で横暴で出鱈目な男を演じさせ、主人公の女性の哀れみを引き立てた。そんな演出になっている。マーロン・ブランドの行動は、デフォルメされた行動と言って割り切れない位、出鱈目な行動。人間の思考範囲を逸脱している。
立ち返って考えてもらいたい。『我が子が翌日には生まれる』と言う時に、取る行動ではあるまい。
正に『女はつらいよ』なのだ、つまり、人工的で誇張されすぎの『差別、貧困、文化』なのだ。
日本では男と女を入れ替えて、50作も作っているから、ある意味、日本人好みの映画なのだろう。
やっている事は、現代の日本では許されない事ばかりだ。
テネシーウィリアムズは色々な人生経験している。だから、期待して見たのだが、演出家に演出をゴリ押しされて入るような気がする。
ボーランド系に対する偏見があるのか?と勘ぐってしまう。
しゃべりすぎ
上品な姉(V.リー)と庶民的な妹(K.ハンター)。実家を手放すことになり妹夫婦の家に住み、色々と違いが出てくる。ワイルドなM.ブランドはそれにしても怒りっぽい。
シャワーでの「ずぶ濡れ顔」はウケた
日本で言えば高級住宅地で育った「お嬢さん育ち」の姉と、ガテン系の下町で生活している妹が、環境の違いから生じる価値観のズレ、と思えた前半。。。
個人的には姉さんは良く言えばデリケートなんだけど、あれこれ話し過ぎて職場に一人は居るウザいタイプ。話しかけてるのか独り言なのか扱いに困る(苦笑) まぁ心に傷を負っているので仕方ない役ではあるのですが、娼婦は難しいですね。自分に嘘は付けませんから...だから支離滅裂だったり神経過敏だったり、隠す為よく話すキャラだったのかと思います。当らず触らず接するのが常かもしれませんが、人間には本能ってものがありますから「何か変だ」と感じたんでしょう。仕方ない事情だったか…賛否が分かれるでしょう。
105分辺りの自分を擁護する力説ぶりは相当なものでした。
「女の魅力なんて半分は誤魔化しでしょ。でも大事な時は正直に話すわ」→ なるほどね
私自身、最初の方の上品なキャラはどちらかといえば好印象だったので、だまされたことになる(苦笑)
まぁ今の時代にもある人間模様だと思うので、面白みのある話ではありませんが、M.ブランドが昭和のヤンキーぽい雰囲気を出しており、それを洋画で味わったのが新鮮でした。
「ディレクターズカット」の方は元々お気に入りの方が主にレビューしてると思うので、最初に観たこちらでレビューしました。
余談ですが、私が観たDVDは後半(場面としてはプロポーズした後)から画質がクッキリ綺麗でした。
ひどい話だ
誰もハッピーにならない話
テネシーウィリアムズは自らをブランチ・デュボアに例えたそうである。
それなら、少し気持ちはわかるかも知れない。
欲望から墓場、そして極楽へと向かう彼女の気持ちは
おそらく解放を望む感覚に近いと思う。
全てからの解放。
映画版だと、ミッチが異常に気持ち悪く感じた。
演技派俳優揃いの演劇映画の密度とヴィヴィアン・リーの美醜演技の凄み
テネシー・ウィリアムズの舞台劇を、原作者自身のシナリオとエリア・カザンの演出で映画化した作品。舞台はニューオーリンズの寂れた裏町の狭いアパート。セット撮影だけによる本格的な演劇映画と言えるだろう。カザンの演出は非常に手堅く、異常な精神状態のブランチを全身全霊で演じたヴィヴィアン・リーと助演のキム・ハンター、カール・マルデンとアカデミー賞を獲得している。見所は、マーロン・ブランドを含めた主要登場人物4人の演技そのものであった。
物語は単純そうに見えて意外と複雑だった。妹ステラの家を訪ねて同居するようになった姉ブランチの過去が徐々にクローズアップされて行く。ステラは若い時にポーランド人のスタンリーと駆け落ちして、このニューオーリンズに住み着いたらしく、物語最初の二人の再会までは相当の年月が過ぎている。姉ブランチは実家に残り、ひとり犠牲を強いられたようだが、妹ステラはその実情を知る由も無い。妹の夫スタンリーは妻の財産分与についてブランチにしつこい程急き立てるが、残された全財産はブランチの煌びやかな衣装だけだった。そんな気まずい状況で、ブランチはスタンリーの遊び友達ミッチから好意を寄せられる。スタンリーの仲間内でミッチが最も紳士的で上品に見えたブランチの心も傾いていく。ところが義姉に不信を抱くスタンリーは、ブランチの過去をどこからか調べてミッチに暴露する。ここから追い詰められるブランチの壊れていく姿が凄い。愛欲に溺れ未成年の少年を誘惑し、その家族から故郷を追い出された形でニューオーリンズに辿り着いたブランチは、すでに精神的にも追い込まれていたのだ。ミッチはブランチを捨て、スタンリーは上品ぶって厚化粧しているブランチに暴力を加える。美しい女性の本性を露にするテネシー・ウィリアムズのこの残酷さ。
ラスト、ステラは姉を発狂に追い込んだ夫のスタンリーが許せず、アパートを出て行ってしまう。性的欲求不満ながら、表面上は品があり潔癖でありたい女性に対して、その欲望の醜悪さを無慈悲に指摘し暴く野蛮な男の出現によって、女性が行き詰まってしまう悲劇。しかし、駆け落ちした妹の夫婦関係を結果的に壊した姉の介入が、物語の発端である。このブランチとステラの姉妹の関係、女性の二つの生き方が、作品の残されたテーマのように感じた。
1976年 10月30日 早稲田松竹
【”虚栄心”に乗っ取られた女性の哀しき行く末を描く。主演のヴィヴィアン・リーが演じたブランチと彼女自身が、重なって見えてしまった作品である。】
ー ヴィヴィアン・リー主演の、「風と共に去りぬ」を劇場で観たのは、得体の知れぬコロナ禍が、一気に広まり、総ての映画館が休業したあと、徐々に過去の名作を上映し始めた時に鑑賞した。
ヴィヴィアン・リーの逞しき、困難を乗り越える姿が圧倒的な名作であった。
調べると、あの稀有な女優さんは当時、20代半ばと言う若さであった。
で、今作。
ヴィヴィアン・リー演じるブランチは、過去の虚栄心に捕らわれたまま、妹ステラの所に身一つでやって来る。
だが、ステラと夫スタンリー(マーロン・ブランド)が住む家は、小さなアパート。
それでも、ブランチは過去の栄華が忘れられずに、無垢なる虚栄心を振りまき、スタンリーを苛つかせる・・。-
◆感想
・マーロン・ブランドが見せる熱演は圧巻である。
更に、ヴィヴィアン・リー演じるブランチの不安定な精神が崩壊していく様の悲痛さと狂気は見る側を哀しき思いで、引き込まずにいられない。
・家族も家屋敷も失った未亡人・ブランチは、家を出た妹・ステラの元へ身を寄せる。だがステラの夫・スタンリーは彼女に反感を抱き、ブランチもまた彼を嫌うようになる。
やがてブランチは、スタンリーに暗い過去を暴露され、精神的に追い込まれていく…。
・ヴィヴィアン・リーが、今作に出演した年齢は30代後半である。年代的な意味合いもあるのであろうが、美しさに衰えは余りない。
だが、劇中では彼女の容色の衰えを厳しく指摘するスタンリーの言葉が、荒々しく描かれる。
<何とも、遣る瀬無い映画ではあるが、見応えは十分である。
人間の”虚栄心”とは何であるか。
それに翻弄されたブランチの姿が、哀しい。
それにしても、当時の人間の寿命を含め、女優が花咲く時期の短さにも、嘆息してしまう映画でもある。>
とても面白かった。
ゴッドファーザーのマーロンブランドがカッコ良すぎて若い頃をどうしても見たくなり鑑賞。古い映画だし元々戯曲なので、最初はヴィヴィアン・リーの仰々しい台詞回しが気になったが、時代や役と合っててすぐ慣れる。ヘイズコードがあるため、ブランチの旦那がゲイで自殺したとか、最後ブランチがスタンリーにレイプされた等は初見では分からなかった。原作を読むべし。
とにかくマーロンブランドが粗暴で動物的でフェロモンの塊。何をしててもエロい…カッコよすぎます。ちょっと舌足らずなあの特徴的な喋り方、「ステラー!」と泣きべそかいてる姿が可愛くてキュン死。まぁ映画ですからね…現実では絶対関わりたくないタイプです。義理姉をレイプする鬼畜、クズです。嫌悪感。死んでくれ合掌。全てひっくるめてマーロンブランドにぴったりのはまり役でした。たぶん俳優さんの中で私はマーロンブランドが一番好きです。
ヴィヴィアンリーが素晴らしかった。鬼気迫る演技、記憶に刻み込まれる印象深い作品で見ごたえありました。風とともに去りぬのイメージが強かったけど、本作を見てヴィヴィアンリーをもっと好きになりました。
マーロン・ブランドはカッコ良いが、ビビアン・リーが悲しすぎる
汗をかいたTシャツ姿で登場の若きマーロン・ブランドには、かなり圧倒された。少しカッコつけすぎとも思ったが、それでも元不良少年ぽいカッコ良さが滴り落ちる感が有った。
ビビアン・リーにはどうしても誇り高く美しく、そして強かった風とともに去りぬのスカーレット・オハラが重なってしまう。それだけに、彼女演ずるヒロインの顚落の悲惨さに居た堪れず、悲しくなってしまう。最後、彼女は精神崩壊してしまう訳だが、彼女自身にとっては苦しみからの救済ということなのか?!
名作エデンの東のエリア・カザン監督が、この映画で何を描きたかったかは、今ひとつ自分には判然としなかった。上流階級のビビアン・リーはどうして下層階級マーロン・ブランドにここまで凌辱されなきゃいけないのか?富豪の娘が夫と死別し、教師だったのが娼婦の様に生きることは、そんなに悪なのか?ヒロイン像が、溝口健二の西鶴一代女と重なって驚いてしまったが、こちらの方にはマグダラのマリア的への様な讃美的色あいが皆無なのは、何故なのか?
最後、義姉の精神を壊したのに、マーロン・ブランドは罪の意識も持たず、相変わらず博打に明け暮れている様であった。人間の原罪というか、変わらない悪、信仰無き罪深さを彼が体現している?!それとも、良くも悪くもこれが象徴的アメリカ人で、アメリカ社会そのものといっているのか?
まぁ、、古いからなぁ、、
また、終盤で眠気に襲われてしまった。たぶん、眠気のピークが、ブランチの誕生日パーティーをすっぽかしたミッチが、そのあと一応会いに来るあたりと、出産でステラが病院にいる間にスタンリーとブランチが二人きりになってしまい、なんか喋りながらスタンリーがじりじりとブランチににじり寄ってくあたりでした。この時代の映画なんで、貞操への影響は「割れた鏡」とかで控え目に表現されるのね、やっぱり。超、睡魔と格闘してたから、結局なにがあったのか鑑賞後にネットで調べちゃった(これはひどい)。
舞台版というか戯曲は、映画で(控え目とはいえ)描かれるレイプやDVの他、同性愛の要素もあるらしい。'40年代後半に!何と新しい。映画版は検閲があったらしいね。
今、令和の時代にアラサー(じきアラフォー)の、若干フェミ気質の人間が観ると、もー、ちょっとやめてくれよ、辛くて観てらんねーよみたいな気持ちになる側面もあるのよね。ジェンダーの観点で観ちゃうとね。(スタンリーが)マーロン・ブランドでなかったらDVDの盤面、割ってるね(笑)
そして、映画の最後に犯人が警察に捕まるというのはあるけれども、まさしくそんな感じで「医者に連行」されていくブランチ。まだ軽く睡魔と戦いながら、私、最初はブランチが過去に実は何か事件起こしてて、それで警察が来たのかと思いましたもん。したら、面子が老紳士と婦人。まじかww医者が迎えに来るのがオチかww と、眠いながらに驚愕しました。
ま、これはアメリカだけど、昔のヨーロッパは精神病院の見学ツアーとかあったらしいから。見世物として。今、こんなオチで映画作ったら炎上しますよ。
姉の顛末というか一部始終を見ていた妹が赤ん坊を抱いて「今度こそ戻らない!」って言う大オチの取って付けた感は、「ピグマリオン」(『マイフェアレディ』の元の舞台)のラストのサバサバ感と通ずるものがあるかも。
色々書いたけど、没落していく優しい魂の彷徨と明滅、その魂を食い物にする人間の露悪、時代の移り変わり、そういったものを大戦の終わりからまだ5年も経っていない頃に書けちゃうT.ウィリアムズすげぇ‼っていうのは素直に思いました。自身も双極性障害を患ってたらしいヴィヴィアン・リーの熱演が、その映画化を可能にしたんすね(しみじみ)。
暑いニューオーリンズ
人気タレントのドラマでのキレた演技が話題になっている。
狂気すぎるとか天才とか完全に壊れたなどの絶賛があがっていた。
去年奪い愛というドラマでも別の女優の怪演が持ち上げられていた。
Abemaは「狂気」に味を占めたようだ。
そういう品評を見ると、いちおうドラマの演技を確認したりする。
で、本気なんだろうか。とは思う。
ドラマはクオリティが低いが、適当な声を拾ったエンタメニュースがかぶさる。作るひとと見るひとに一体感がある。適当な作品と適当な意見。世界が不可解なものに変わる。
禍とはいえ平和である。世のなかシステムに乗っかることだって才能だが、システムに乗っかっただけでない国産コンテンツがもはや探しにくい。
タレントはたんに依頼されてドラマのしごとをこなしているだけだし、ぜんぶ笑うところなのかもしれないし、時事ネタをまじにとらえた意見は、たいていみっともない。
だが、ふと「狂気の演技」なら、シャイニングのニコルソンと比較してもだいじょうぶなんだろうか。とか、考えてしまう。
コレクターが、じぶんよりすごいコレクターを発見することがある。些末なじぶんのコレクションを不甲斐なくおもう。
日本人だらけの日本で多様性をやしなうのは世界のエンタメだと思う。そこでは、もしかしたら眼帯をしたアナウンサーの演技よりすごい狂気の演技を発見できるかもしれない。ばあいによっては日本のコンテンツが不甲斐なく思えてしまうかもしれない。
おりしも人種差別の描写をめぐって風と共に去りぬのオンデマンド配信が揉めていた。
ヴィヴィアンリーはスカーレットを演じた全盛期から、低迷を経て復活を果たした女優だった。それがこの映画である。ブランチは彼女の二つ目の代名詞になった。
ブランチは今様にいうなればスイーツである。スイーツもすでに古いけれど、自己顕示欲と気まぐれをもった、年甲斐もなくモラトリアムな女性である。
そして「ああ、こういうひといるよな」の感じは、時代を超越している。
その普遍の人物像に、ふと狂気のようなものが宿る。モノクロの陰影のせいか、スカーレットオハラの面影か、リーストラスバーグのメゾットか何か分からないが、狂的なものが、なんとなく見えてくる。
つまり狂気とは「はいこれが狂気の演技です」と喧伝するようなものじゃない。で、牽強付会とは知りつつブランチを挙げて、述べてみた。
庶民が享受するエンターテインメント、娯楽の俎上には、新古にくわえ、品質や程度のことなるものがごちゃ混ぜにならんでいる。移り変わる時代と風物のなかで、眼帯したアナウンサーが需要をになうこともある。なんの問題もない。ただ観衆=受け手が、比較しえるリテラシーを持っていないとき、世界はまるで文明がないかのように不可解だ。
ミソジニーという名の壁
Amazonプライムで鑑賞。
あまりに有名なタイトルですが、お恥ずかしながら舞台も含めて初めて観ました。
超おもしろかったです。
2020年の今見ると、ヴィヴィアン・リー演じるブランチがひたすら犠牲者にしか見えなくて、ただただ気の毒。
これまで数々の男の都合や裏切りで、狂気という壁の向こうに追いやられてきた女たちの無念が思い浮かびます。
理解者を装いながらつい男にほだされる妹は味方のフリした敵だし、世間体やホモソーシャルに負けるミッチも情けない。
それにしても冒頭からこっち、出てくる男の粗暴描写がほぼDVなんですが…誇張はあるにせよ、これを普通に観てたかと思うと震えます。
しかし人に説明するのは難しい作品ですね。
ジャンルとしては何だろう?
素晴らしいサントラですが、このスコアリングだとやっばり全体としてはホラー的に受容されていたのかなあ。
「ブルージャスミン」とか「天人唐草」とか、貧困な知識の中からも色んなタイトルが浮かびました。
もしウーマンリブ以降であれば、どこかの時点でブランチが反転攻勢をかけ、一端スカッとさせていたのかな。
でもそうならないことが確かな過去の記録であるし、そのモヤモヤ感こそが魅力でもあるのだと思います。
70年前からメッセージボトルを受け取ったような気分でした。
当時は、性的欲望を持たないとされていた女がひとたびそれを覗かせただけで大罪人(生徒は別として)のように扱われ、ついには街にいられなくなるほどのスキャンダルにされてしまったのだという。
そんな過酷な状況を、妄想とファッションのパワーで乗り切りうとするブランチはほとんど英雄であり、現代においてはむしろ最後の神だと言えるでしょう。
知的な文学少女と、傷つき疲れた女の両面を、声音の高低で使い分けるヴィヴィアンがものすごくよかった。
ヴィヴィアン・リーといえば気の強い圧倒的美女のイメージでしたが、この役ではそんなオーラもなく、かよわく弱々しい。
観ている間、ついつい今これを映像化するなら誰? と考えてしまい、浮かんだのは中川しょこたんと、マーゴット・ロビーでした。
まあもしマーゴットが大暴れしちゃうとこの魅力も雲散霧消しかねないので、ここはひとつしょこたん推しで。
時代が変わったとはいえ、今なお狡猾なダブル・スタンダードの板挟みになって苦しむ人はたくさん埋れているはず。
そしてブランチとスタンレーの間にも男女というだけでない、何層もの差別や格差のレイヤーがあり、単純な男女の力関係だけでもない。
「風と共に去りぬ」が配信から外されるような今だからこそ、再浮上されるべき作品かもと思いました。
ラスト、たとえ社会の裏側に追いやられても、ブランチが生きていることに少しほっとしました。ちなみに妹の決意は信用してない。
観ない方が良かった
〇〇という名の××という似たような映画と勘違いしたのか
一度は観たことがあると思っていたが、初めて観る映画だった。冒頭からビビアンが出てきてすぐに気付くも、あまりの雰囲気と老け方に信じられない。でもビビアンに間違いはなく、ショックを受けた。良くこのシワを役柄を引き受けたなぁと役者魂に恐れ入る。内容はまるでビビアンがうつ病を患っているのを分かって依頼したのか?夢に出てきそうな怖い映画だった。見てしまったものはどうしようもないが、風と共に去りぬの美しいビビアンのイメージを崩したくなかったと思った。
未完成ゆえに名作
もしも 倫理観や道徳観に縛られていなければ、作品そのものは完成していたのではないでしょうか。
しかし、それを抜きにしてしまったなら、この映画は名作と言われなかったと思います。
つまり、この映画においてこの関係は 完全にトレードオフ。
暗喩やぼかしが入っていく事で、物語そのものが難解になるのであれば、入れない方が分かりやすくはなります。
それと引き換えに 品位 が落ちることは間違いないでしょう。
幸い 俳優陣の演技が本当に素晴らしいので、暗喩であっても キャラクターの心情や場面の状態で、なんとなく意味を掴むことは難しくはないと思います。
多少の難解さは、演技がその部分を補完してくれています。
ブランチのように真意が見え隠れする映画です。
私としては 完璧性よりも品位をとってくれた、当時の映画社会と観客に乾杯。
そこに甘えることができました。
しかし、この映画をどう楽しむか という部分については、 視聴者の感性や哲学に求められる部分があるので、勉強が楽しい と思えるようなスタンスで観ないと ハードルを感じてしまうかもしれません。
私はそういう見方が好きですから、かえって シンプルに楽しむべき映画を観るのは もしかして無粋な鑑賞をしているのではないかと不安になります。
ですから、こういう映画の方が楽だし 助かります。
タイトルがタイトルなので、明るい作風を求めて観る方はいらっしゃらないと思いますが。
正気と狂気の間とは?
テネシー・ウィリアムズだから、楽しい話ではないが 俳優達の演技バトルが観れる
英国演劇界代表のヴィヴィアン・リーと ブロードウェイ初演三人組、そしてその他の脇の人達も凄い面構え、と迫力!
(こちらも、ブロードウェイ組か? 個人的には、二階のオバサンが好き)
ヴィヴィアンは当初、英国演劇界臭が漂い、 ブロードウェイ組の ド迫力との違和感を感じたが、話が進むにつれ、程よくブレンドされ、最後はリーとブランドの「闘い」のような、様相になって来る
ブランドのスタンレーは 素晴らしく、粗暴で動物的直観に優れた、性的魅力で むせかえる様な男になっている
ヴィヴィアンとブランドは 意外に仲が良かったらしい
彼女はブランチの様に 気取る人ではなかったし、「美貌」「知性」「名声」「オリビエ」等、何もかも 所有していた
何故、躁鬱になってしまったのだろうか
そして 何故、我々は彼女とブランチを重ねて しまうのだろう
ジョージ・キューカー監督は ヴィヴィアンの二重人格的魅力について述べていたが…
運命は 彼女に様々な贈物をしているが、大変な代償を払わせてもいる
ブランチは壊れてしまったが、躁鬱や肺結核を煩いながらも 彼女はもちこたえ、自死しなくてよかったと、つくづく思う
ヴィヴィアンの躁鬱の一因は、その気質もあるが 英国演劇界の神(オリビエ)との結婚が原因ではないかと 思う
神は 野太く、無神経なのだ
そして、アメリカ演劇界の神とも言える、ブランドとの共演、ブランチという難役を終えての、彼女と彼女の人生の疲弊を考えると胸が詰まる
(これは、栄光のはずなのに…)
その運動神経が、能力を破壊してしまった選手を見たことが ある
ヴィヴィアン・リーという女優も そういうタイプかもしれない
自らの美貌と病気治療を躊躇なく、かなぐり捨てて 役に挑んで行ったところが 凄い
そして その結果、自分に訪れるであろう 悲劇を、自覚しているようなところも怖い
ブランチは自己欺瞞で 崩壊していったが、彼女は上昇志向と挑戦で 疲弊していった
恵まれ過ぎていたため、保身という考えが無かったのだろう
しかし彼女は、この映画で、我々に ありとあらゆるものを見せてくれている
そして この作品が 一連のテネシー・ウィリアムズ物の中でも、特筆すべきものになったのは 彼女の力である
How old are you? ビビアン・リー38歳
ビビアン・リーは「風と共に去りぬ」しか観た事がなかったのですが、本作は確かに別人に見える歳の取りっぷりでした。でも狂人の演技がガチ過ぎてて怖い。正直魔女っぽい。ビビアン・リーは確かに若い頃が美人だけあって、そこからの劣化が本人も辛かったのでしょう。誰だって歳は取りたくないけど取ってしまうものですし。しかし、よくこの役を引き受けたなぁっと思いました。
マーロン・ブランドは若い頃は格好良かったんですね。ゴッドファーザーのイメージか強いので、自分の中ではずっとブルドック顔のお爺ちゃんだったのがちょっと変わりました。DV旦那が良く似合ってます。ってか素で演じてそう。
でもミッチくん。女性に年齢を聞くのもなんですが、灯りの元で見てあの態度はないですわ。確かにアラフォーかもしれませんが、お前だってええ歳やろ!全く最低でしたね。
って観賞後検索したら原作では最後スタンリーがブランチをレ⚫プしてたんですね。映画ではその辺ボカしてあって良かったです。もしガチでヤられてたら観賞後はもっと嫌な気分になってたでしょうね。
昔の映画なので演技がいかにも演技演技してて見辛かったですが、ビビアン・リーの狂気は本物でした。美人なだけじゃなかったです。内容は個人的嗜好に全く合いませんでしたが、言うなれば後半のビビアン・リーの役者魂を観るだけでも価値のある作品だと思います。
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