劇場公開日 1967年6月3日

「カメラを止めろ!」欲望(1966) 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0カメラを止めろ!

2022年1月11日
iPhoneアプリから投稿

カメラは眼前の真実を切り取る。しかし切り取るという行為によって、切り取られた真実は延伸性を喪失する。こうなっていたかもしれない、という無数の可能性はあえなく途絶する。カメラの使い手は、あれほど渇望していたはずの真実にかえって首を絞められていることに気がつく。

いや、気がつくのならまだいいほうだ。ほとんどの者はそのことに考え至りさえしないのだから。彼らはカメラの絶対的権能を信じて疑わず、あたかもそこに収められた画像や映像だけが世界のすべてであるかのようにふんぞり返っている。そしてそういう傲慢な人々が写真や映画を創っている。

本作の主人公であるトーマス(彼はカメラマンだ)は、物語を通じてカメラの権能を、ひいては自己の認識を疑い始める。

最終シーンでは陽気な若者たちの集団が彼の前に現れ、パントマイムのテニスを始める。ラケットもボールもない、視線と身振りだけのテニスだ。しかしそこには確かにテニスが存在していた。目には見えずとも、そこには振り抜かれるラケットがあり、打ち返されるボールがあった。

不可視のボールはフェンスを越え、トーマスの足元に転がってくる。彼はそれを拾い上げ、コートの中に投げ返した。

カメラの権能が、あるいは自己の認識が干渉できる領域など、ほんの少ししか存在しない。

因果