夕陽のガンマンのレビュー・感想・評価
全57件中、1~20件目を表示
最高のマカロニウェスタン!
4Kリバイバルで劇場初鑑賞。
とにかくモンコ(イーストウッド)と、大佐(リー・バン・クリーフ)の顔面力とコンビが素晴らしい〜!
▽好きなシーン
全然腐するシーンがない!この映画!ほんと無駄がない。
ただただ好きなシーン羅列をする。
序盤の酒場の襲撃シーン!
全然キレのないファイトシーンから、敵3人を電光石火で撃つ射撃シーンに度胆を抜かれる。
モンコと大佐が帽子を打ち合うシーン!
モンコが当たらない距離から大差が帽子を空中で当てまくるのがいい。このシーンだけで大佐スゲーってなるし、そこから2人で酒飲んでしまう流れがいいよ。
牢屋に爆竹入れられた時の奴の顔!
モンコがアジトで助けた理由を聞かれた時の返事が、正直すぎて草。
強盗シーンで、壁を爆発してキャビネット盗むのは驚いた(ワイスピ4の元ネタ!?)
出番は少ないけど、端役のキャラも立ってる。
チップをねだる少年、宿屋の夫婦。駅の窓口のオッサンと車掌。
シリアスとギャグの緩急、少なめでくどくない会話のテンポも素晴らしく最後までめちゃくちゃ面白く鑑賞出来た!最高の娯楽映画!
もっかい上映するならもっかい行きたい!
若きクリント・イーストウッドさんがメチャクチャかっこいい
セルジオ・レオーネ監督渾身の演出、マカロニ・ウェスタン映画の代表格の一本
銃を撃つシーンが痺れるほどにカッコいい
大荒野をバックに馬や馬車が闊歩するシーン
熱苦しい荒くれ達がいつ死ぬかわからない命懸けの日々を暮らす緊張感
といったこの手の映画の世界観が好きです
モーティマー大佐を演じるリー・ヴァン・クリーフさんもイーストウッドさんに負けじと見た目だけでなく所作が最高にカッコいい
さらにヴィランのインディオを演じるジャン・マリア・ボロンテさんの迫力の演技も印象的で見ごたえがあります
エンニオ・モリコーネさんの独特で個性的な音楽がとても印象的
ホント、このくらいの時代の作品って勢いがあるし、随所に作り手の力強さを感じ、でも時々へんてこな演出があったりと、とても見応えがあってすごく楽しいです
西部劇の「けれん」を抽出し純化してみせた、映画史上もっとも「かっこいい」ウエスタン。
あれだけ、セルジオ・レオーネが好きだと公言し、
「ベスト1」に『続・夕陽のガンマン』を挙げ、
ヴィデオでは何度も観直してきたドル三部作だが、
映画館では残念ながら、観たことがなかった。
そりゃそうだ、やらなかったんだから。
これだけ面白い映画をなんで小屋でやらないんだと、
30年間ぼやきつづけていたら、
春ごろにまさかのロードショー公開。
行く気満々で備えていたものの、
あの時期はちょうど、仕事が地獄の忙しさ。
結局、足を運ぶことができなかった。
どうせ名画座でかかるだろうとたかをくくっていたら、
意外にふっつり上映館が途絶え、行きそびれてしまった。
と思っていたら、早稲田松竹で三連休に三本立てをやるというではないか。
これは行かずばなるまい、と張り切ってみたものの、
2日は休日なのに一日中仕事をせざるを得ず、
3日は石川県七尾で海門寺千手の御開帳があって、日帰りで行ってくるしかなかった。
4日も朝から仕事が終わらず、結局『夕陽のガンマン』と『続・夕陽のガンマン』だけ観ることが出来た次第。
いやあ、大画面で観るセルジオ・レオーネは、やっぱりこたえられんね!!!
ほんっと、最高でした!!!
― ― ―
僕がレオーネ映画と出会ったのは、大学生のときだった。
あの頃はホラー、サスペンス、文芸映画を中心に、中身もわからないまま手あたり次第に借りてみては、感想をつける毎日だった。
ホラーとサスペンスはそれぞれ、1920年代から2000年まで200作くらいのベスト作品年表を先に作って、体系立てて観ていたが(本格ミステリの読書でも同じことをしていた)、それ以外の映画については、ぴあの全ヴィデオカタログの最後のページに、監督毎のリストがついていて、それを手帖にメモって順繰りに観ていたのを覚えている。
そんななか、あまり期待もせずに予備知識なしに出逢ったレオーネのドル三部作は、まさに衝撃的な面白さだった。
『荒野の用心棒』で度肝を抜かれ、
『夕陽のガンマン』で余りの面白さに驚倒し、
『続・夕陽のガンマン』で完全にノックアウトされた。
その後、僕は人生を通じて4000本だか5000本だかくらいの映画は観てきたはずだが、『続・夕陽のガンマン』を超える映画に出逢ったことは未だない。
もちろん、面白い面白くないだけでいえば、最近の映画のほうが情報量もアクションの派手さも上かもしれないし、純粋な娯楽作品としては、今の若者には古く感じられる部分もあるかもしれない。
それでもやはり、「画格の高さ」「娯楽としての面白さ」「キャラクターの強度」「音楽のキャッチーさ」の4点セットで考えたとき、いまでもセルジオ・レオーネのドル三部作はダントツで図抜けた映画群だと思うし、誰に薦めても恥じるところのない圧倒的な傑作だと信じてやまない。
― ― ― ―
『夕陽のガンマン』は、『続・夕陽のガンマン』と比べて「劣る」映画かというと、断じてそんなことはない。
ただ、レオーネのドル三部作というのは、「発展していく」三部作である。
『荒野の用心棒』の時点からゆるぎない完成度を示しつつも、
「1対1」 →「1対2」 → 「1対1対1」
と、共闘関係が複雑化し、ストーリーラインも複層化してゆく。
最もシンプルな作りで、アイディアも黒澤から頂きの『荒野の用心棒』。
敵をめぐる2人の賞金稼ぎの裏の読み合いが楽しい『夕陽のガンマン』。
20万ドルの金貨をめぐって3人がしのぎ合う『続・夕陽のガンマン』。
どの作品も抜群に面白いは面白いけど、「構造」「スケール」「長さ」「予算規模」すべての面で「後にいくほどアップグレード」していくので、どれか一本を選べということになると、どうしても『続・夕陽のガンマン』を挙げざるを得ない。
とはいえ、『夕陽のガンマン』だって捨てたものではない。
捨てたものではないどころか、世にゴマンとあふれる娯楽映画のなかで、『夕陽のガンマン』を超える作品がいったい何本あるというのか。
タイトルロールの主題曲と踊るタイポグラフィー。
モーティマー大佐のケレン味あふれる登場シーン。
モーティマー大佐とモンコのしびれる賞金首狩り。
両雄の帽子トバシ合いと共闘決定までの探り合い。
クソ悪そうなインディオの脱獄と残虐な振る舞い。
潜入工作のスリルと裏をかかれる銀行強盗大作戦。
時計をめぐるモーティマーとインディオの因縁話。
リンチから最終決戦まで続く息つく間もない展開。
改めて劇場の大画面と大音響で観てると、ほんっと上がるよね。
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『夕陽のガンマン』で重要なのは、「けれん」だ。
たとえば、モーティマー大佐の組み立て銃。
敵が目の前にいるのに、そこでおもむろに組み立て出すのは、間違いなくそのほうが「かっこいい」からだ。独特のホルスターの位置もそう。
徹底した、帽子撃ちやノールック撃ちといった「曲撃ち」もそう。
リアリティより、「けれん」「かっこよさ」「あざとさ」を優先し、それを「完成された型」として磨き上げる。西部劇という枠組みのなかで、「ストーリー」以上に、「キャラ立て」と「けれんのギミック」のほうに全力を注ぎ、その「かっこよさ」を極めようとする。
この姿勢は、もちろんアメリカに従来からある西部劇に由来するものではあるが、レオーネほどにそれを突き詰めて追求した監督は過去にいなかった。それは確かだ。
セルジオ・レオーネは、西部劇という娯楽ジャンルが持つ「かっこよさ」の本質を抽出し、煮詰めて、とことんまで純化させようとした。「何をやるからガンマンはかっこいいのか」を徹底的に研究し尽くした。
要するに、レオーネはアメリカ土着の西部劇の構造を「分析」し、その「かっこよさ」に全振りする形で「様式化」してみせた。
それはちょうど、西部劇の定型的な演出のなかから、歌舞伎における「型」や「見栄」や「にらみ」、オペラの「見せ場」に相当するような「キメの極意」を抽出する作業ともいえる。
ちょうど日本の戦後期のミステリ作家たち(横溝正史・高木彬光・鮎川哲也)が、欧米の本格ミステリを模倣する過程で、その要素を純化させて「どぶろくを蒸留酒へと精製」してみせたように、イタリアのレオーネは、アメリカの西部劇を模倣するなかで、その娯楽的な本質を純化させてみせた。
その結果生み出されたのが、キャラクターごとに際立つ漫画チックな個性と、人間離れしたガン・テクニックおよび曲芸撃ち、極端なズームと引き延ばされた間を用いたガン・ファイトのモンタージュ、とことんあざとくてキャッチーなモリコーネ・ミュージック……といった、レオーネ特有の「脳をゆすぶるようなかっこよさの演出」の数々である。
レオーネの西部劇が、なぜにこんなにもかっこいいのか。
それは、西部劇の「けれん」を、「型」として抽出することに成功しているからだ。
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『夕陽のガンマン』は、気楽な娯楽作品に見せかけて、いろいろと考え抜かれた作りをしている。
たとえば、モンコとモーティマー大佐の対比。
銃が違う。ホルスターの位置が違う。
恰好が違う(ポンチョとネクタイ)。
帽子が違う。毛量が違う。
肩書きが違う(「名無し」と大佐。綽名と本名)。
垂れ目と吊り目。あごひげと口ひげ。
そして、アイコンとしてのシガーとパイプ。
すべてが極端なまでに対比的であり、
だからこそ観客は二人を
「相並び立つ両雄」として認識できる。
語り口(あるいは語らない度合い)も絶妙だ。
たとえば、なぜクリント・イーストウッドは「モンコ」なのか。実はこれって「片腕」という意味合いの綽名なのだが、それは彼が「撃つ時」以外かたくなに利き腕の右手を使おうとしないからだ。だが、そのことについて映画内で殊更の言及はない。やたらクセのあるマッチの付け方やカードの配り方にひっかかった勘の良い観客だけが気づけるくらいの「ギミック」として機能している。
あるいは、なぜ賞金首を倒したモンコは、保安官に対して「勇気よりも正直さが大切だ」と説くのか。それは、保安官に誘導された酒場で敵の仲間に「待ち伏せ」されていたからだ。でも、それを台詞ではいわせずに、ちゃんと客に考えさせるように作ってある。
その他、本作には「客が自分で考えないと理由のわからない行動や結果」があちこちに潜ませてある。単なる娯楽映画のように見えて、実のところ「ちゃんとしたまっとうな映画」を志向した映画でもあるのだ。
さらに、イタリア映画らしい複層的な「含意」がこめられている可能性もある。
たとえば、脱獄したインディオがアジトにしているのが屋根の抜けた教会であることには、一定の宗教的な意味合いも見いだせそうな気がする。部下は14人で「12使徒」よりは少し多いが、密告者との決闘がまさにここ(教会内)で行われるのは、宗教裁判のようなものだ。
さらには、「使徒」にひとり「裏切者=ユダ=モンコ」が交じる展開や、最初から「教祖=インディオ」が「ユダが裏切ることは知っていた」と主張する点なども、聖書をなぞっている可能性がある。思い出してほしい。映画のしょっぱなにモーティマーは何を読んでいたか?(聖書だ) 向かいの乗客に何と間違われたか?(牧師だ) 潜入作戦を考えたのは誰だったか?(モーティマーだ)
リンチを受けるモンコとモーティマーを、インディオと仲間たちが笑って笑って笑いまくる印象的なシーン。あれも、「嘲笑されるキリスト」の主題が色濃く影を落としている可能性は十分あるだろう。なんならヒエロニムス・ボスの同主題絵画と見比べてみるといい。レオーネが画づくりと主題の多くを泰西名画からインスパイアされていることを物語る好例だ。
他にも『夕陽のガンマン』には、注目すべき点がいくつもある。
●モーティマー大佐がインディオの賞金首ポスターを見つけたときの、目の表情とモンタージュ。ほぼこの作品のテーマのすべてが、ここに込められているといっても過言ではない。
●撃ち合いやせめぎ合いのシーンでは毎回、第三者の「見物人」がいて、彼等の目線や表情で状況を雄弁に「解説」している点も見逃せない。
モーティマーvs最初の賞金首での酒場のオヤジ。
モンコvs最初の賞金首でのカードプレイヤー。
インディオが密告者を処刑するシーンの部下たち。
モンコvsモーティマーの帽子の撃ち合いでの三人の子どもたち。
クラウス・キンスキーをモーティマーが挑発するシーンでの、背後のモンコ。
金庫強奪シーンにおける、目撃者としてのモンコとモーティマー。
そして、ラストの対決における、介添え人としてのモンコ。
ね、必ず「決闘」に「観客」がいて、きょろきょろしてるでしょ?(笑)
●あれだけ騙し合っていたモーティマーとモンコが、最終決戦の前に交わす言葉。
「インディオは俺にまかせろ」「わかった」
あれだけ金に執着してやり合っていたはずのモーティマーが放つ最後の台詞。
うううん、いいねえ。かっこよすぎる。
金と欲まみれの物語を、家族と復讐の物語へと一変させる、憎い演出だ。
その他、クラウス・キンスキーの怪演や、その他の仲間たちの異様な面相、ジャン・マリア・ヴォロンテのマリファナ中毒を念頭に置いた名演技なども見逃せない。
敵一派に関しては文句がないこともなくて、特に最後の「ふたりを逃がす」というインディオの選択は余りにリスキーすぎる上に、ふたりに有利すぎるし(若干作り手の都合でそうさせている感がある)、「俺とお前とでなら戦える」と言って残した部下が弱すぎるのもひっかかる(笑)。
まあ、「結局あのお金はどうなった??」「ふたり残ったうちのもう一人はどうした??」という観客側の疑問を、上手く最後のサスペンスにつなげてはいるんだけどね。
あとはなんといっても、エンニオ・モリコーネの音楽。
これについては昔、ジュゼッペ・トルナトーレのドキュメンタリー映画『モリコーネ』の感想で詳細に記したので繰り返さないが、やっぱりモリコーネあってのレオーネってのは、映画館で観るとさらに痛感せざるをえない。
未見の方にはぜひ観てほしい、世紀の傑作です。
登場人物の行動によって状況を理解させる構成が良い
登場人物の台詞を減らして、行動によって状況や心情の説明を行うことで、視聴者にストーリーを理解させる構成になっている。そういった間の使い方が、リアリティを生じさせていて良かった。それは下手をすると冗長な感じになりそうな映画の撮影方法だ。しかし主演2人の友情や、華麗な銃さばきを披露するアクションによって飽きさせない面白い映画だった。
映画後半で、マフィアのボスが大金を一部の仲間と独占するために、賞金首2人と手下を戦わせて共倒れを画策する。そんな非情でセコい思考のボスに、なぜ大勢の人間が付き従っているのかやや疑問だった。やはりアウトローとしてそれだけの実力があるのだろうか。悪い面と良い面を持ち合わせている、そんな複雑な人物像にした方が、悪役としてはより魅力的になったんじゃないかと思う。
高みの見物が好きだな
好きなものは好き。
もう何回見てるでしょうか。ロングショットに銃声が轟き、そこに重なる口笛とモリコーネのメロディ。多幸感溢れるオープニングでまたまたスタートです。物語としては「続・夕陽のガンマン」(前作との繋がりは無し)の方が断然面白い。ただ、リー・ヴァン・クリーフはこっちが断然カッコイイ。「怒りの荒野」と1、2を争う渋さ全開です。4Kのワイドスクリーンでイーストウッドがあのメロディにのって馬を右へ左へすっ飛ばす(いつもの)シーンが見れただけでも劇場へ行って大正解でした。しいて好みを言うならTVの洋画劇場で放送されていた日本語吹替え版がやっぱりいい。多田野曜平さんが山田康雄さんが吹替えしきれていないシーンを補完したバージョンは奇跡の出来栄え(何処繋いだの?)です。
きっかけはモリコーネ、持続はイーストウッド❣️
男のドラマだなぁと思った。
女性3人しか出て来ない。
なんでも弾丸で解決する。
りんごの🍎実を落としたり、電線を切ったり、
帽子を撃って?????対決?
弾の使いまくりもったいないと思わないのか。
人の命を軽く考えていた時代。
すぐに殺す。
善悪よりも射撃の腕で生死が決まった時代。
賞金稼ぎという仕事、
現代ならどういう位置づけか⁉️
リー•バン•グリーフ、本作では
イーストウッドと手を組んで
妹思いの兄の復讐劇。
お揃いの懐中時計に忍ばせる美人妹の写真。
敵役もなかなか賢くて一筋縄ではいかない。
騙し騙されての
出来過ぎの展開もあったが、
モリコーネの音楽を堪能して
哀愁漂う作品に酔いしれた。
口笛吹いている人、唇痺れないかな、
と心配するが。
西部劇というと木造っぽい建物もあったが、
白壁の四角い家もありメキシコに近いからか。
町から町の間砂漠ばかり
歩いてだと命の危険を感じる。
あれで方角とかよくわかるものだ。
いかつい髭面のオッさんばかりの中で
最後まで観られたのは、
クリントイーストウッドのイケメンさの
おかげか。
あんなにカッコいいとは知らなかった。
西部劇というだけで敬遠して来たが、
『モリコーネ』で本作のことを知り、
あの音楽を全編聴きたくなった。
ストーリーも良くて、
以前ザ•シネマで何回も放送されていた時に
観ておけば良かったと思う。
ちょっと
面白い
4K再上映!《ドル3部作》第2弾!用心棒は賞金稼ぎに 今回はリー・ヴァン・クリーフの渋いカッコよさ!
《ドル3部作》第2弾!と言いますが、そんなことは最近知ったこと。
何も知らない映画ファンは、「荒野の用心棒」の続編は「続・荒野の用心棒」だと思い込まされていた。
それは日本で勝手につけたタイトルで、日本で勝手に続編にされていたのでした。
(少し違うが「サスペリア2」みたいな。)
宣伝部恐るべし。
再上映にあたり、本作では特に青い空に、白い建物のコントラストの美しさが、クリアな4K画面に映える!
乾いた空気が見えるよう。
前作「用心棒」が今回は「賞金稼ぎ」に。
賞金稼ぎ二人が、時に欺き、時に協力し合いながら、賞金首のかかった悪党軍団を片っ端から片づける!
見たはずなのに一切覚えていなかった、この展開が面白い!
主演のイーストウッドは、もはや安定した変わらぬキャラクターで、今回のメインは、リー・ヴァン・クリーフ!!
愛する妹への復讐を胸に秘め、この渋さ、カッコよさ!!
緊張感あふれるクライマックスの決斗シーンで延々と流れるオルゴールとオルガンとトランペットの調べ!
そして、賞金はすべてイーストウッドに譲り、夕日を背に去っていく。
タイトルロールの「夕陽のガンマン」はリー・ヴァン・クリーフだったとわかる名シーンでした!
感情移入できないなぁ
割り込みオルゴール
凶悪なインディオを討つ為に二人の賞金稼ぎが
手を汲む。ジャン・マリア・ヴァロンケは又悪役。顔付きもギラギラ感も半端ない。
クリント・イーストウッド、リーヴァンクリーフ
は格好いい。
キメ絵画像は本当に綺麗。
青い空をバックに対決シーン。夜の帽子煽り討ち。割り込みオルゴール。ガンベルトを丸ごと渡す男前なシーン。
ガンマン仁義があるんだね。
所々のセリフも痺れる。
笑いのシーンは誇張し過ぎて少し怖かった。
モリコーネの音楽は最高。映画館で感じたい音。
一作目より工夫されていたが、前作より少し
劣る感じがした。そう思うと黒澤明監督の用心棒が素晴らしく緻密に作成されているのを改めて感じる。
続夕陽のガンマン 地獄の決斗も観てみたい。
ガンマンの立ち姿が美しいマカロニの名作
今まで何度もTVやビデオ、DVDで観てるけど、やっと映画館で観られて嬉しいマカロニウェスタン。ストーリーは二人の賞金稼ぎが悪党を退治するシンプルなものだけど、監督のセルジオ・レオーネは、イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフのカッコよさを徹底的に引き出して、クライマックスまで盛り上げていきます。開巻,勝手に汽車を止めて堂々と貨車から馬を引き出したり、標的の賞金首が必死になって逃げるのを悠然とした足取りで追いかけてライフルで狙撃する、クリーフの貫禄ある演技に引き込まれます。黒づくめでシルバーがかったベストにフロントホルスターのガンベルトもダンディーで渋いです。対して、イーストウッドはポンチョ姿でむさ苦しいながらも、ふてぶてしいタフガイぶりが頼もしく、荷馬車に賞金首の悪党どもの死体を山積みにして金勘定する所も、スッとぼけてて楽しいです。クライマックスの円形の広場での決闘シーンでは、ここぞとトランペットのモリコーネ節で盛り上げます。左右に垂らした両手を軽く浮かせたクリーフの立ち姿はまさに居合の構えのようで、緊迫感が高まります。役者では主役二人以外では、クラウス・キンスキーがチョイ役ながら光ってました。
夕陽のダンディーマン
3月27日
新宿ピカデリーで「夕陽のガンマン」を。
昔、映画はロードショー⇒2番館(2本立てTYチェーン.STチェーン)⇒名画座という順で公開されていた。人気の映画は名画座で何度も観られた。だから、私は1967年に公開された「夕陽のガンマン」を1971年に違う名画座で2度観ている。まだVHSもDVDも無かった頃の話である。約52年振りの劇場での鑑賞。
何と言っても「夕陽のガンマン」はモーティマー大佐を演じたリー・バン・クリーフである。列車の中で聖書を読んでいるインテリであり、その携帯している銃器の種類の多彩さ、対決する時の狡猾さ。ボロンテの手下クラウス・キンスキー(あのナスターシャ・キンスキーの父)を隠し持ったデリンジャーで射殺する所や対峙した相手のピストルの射程外からライフルで仕留める所など銃器や射撃の達人ぶりが際立っている。
また、磨きあげた長靴にベスト着用、パイプを愛用するなどガンマンには珍しいダンディーぶりも板についていた。
新夕陽のガンマン、復讐のガンマン、怒りの荒野、西部悪人伝、鷲と鷹、その他の出演作を観ているが、リー・バン・クリーフの存在感は「夕陽のガンマン」と「続夕陽のガンマン」が郡を抜いている。
そして、エンニオ・モリコーネの音楽だ。
ラストの対決で仇を取ったモーティマー大佐は、賞金首(の死体)を全てクリントに渡して夕陽に向って去って行く。夕陽のガンマンは、リー・バン・クリーフなのである。
追記:劇場で販売されている「エンニオ・モリコーネ映画大全」にTYチェーン、STチェーンの2本立て新聞広告が掲載されていて懐かしい。
余談
1968年「続夕陽のガンマン」観て以来、何本もマカロニ・ウエスタンを観ていると同じ場所が出て来る。本作のエルパソ銀行の建物は他の作品でも銀行の建物だった(中は違うけど)。クリントにクリーフが追いつく場所は他の作品でも出る所だ。
クリントの役名のモンコは片腕という意味で、いつでも銃を撃てるように右手をあけているという設定らしいが、全く観る側に説明されていないので、酒場で殴り合う時に左手でガードしながら左手でパンチを繰り出すという違和感ありありのアクションになっている。
クリントが情報を取りに行った髭爺の家が列車が通ると大袈裟に揺れるさまは、まるでドリフのギャグである。レオーネにはこういう笑いもあるのだ。
マカロニ・ウエスタン
西部劇は『ヤングガン』のシリーズが好きなんですが、マカロニ・ウエスタンは初。
いつか観ようと思っていて観てなかった作品です。
ドル3部作の2作目で、つながってないらしいので、どの順番で観ても大丈夫だそうです。
巨匠エンニオ・モリコーネによる西部劇な音楽が良いです。
『ゴッドファーザー』に、あの音楽が必要なように、この映画には、この音楽が必要ですね。
イーストウッドは若くて超カッコイイし、カッコイイ画、ザ・西部劇なカッコイイ銃さばき、マカロニ・ウエスタンを創造した監督の美学が炸裂してます。
最初は、カッコイイ!と思って観てたんだけど、だんだん退屈になってきてダレてきて、ウトウトしながら観ました(笑)
公開当時は衝撃だったんだろうけど、今だと…って感じかな(笑)
深夜放送が似合いますね(笑)
でも、カッコイイです(笑)
リー・バン・クリーフの渋さに痺れました!
荒野の用心棒に続き、今日は夕陽のガンマンを鑑賞。
理由はクリント・イーストウッドが好きだし、西部劇が好きだし、とにかく大きなスクリーンで見たいからです。テレビでの吹き替え版では見たことありますが字幕では初めてでした。
今作はモーティマー大佐役のリー・バン・クリーフが渋くて非常にいい味をだしています。
イーストウッドとは異なり、紳士的でライフル銃を得意とする。
初対面のシーンでお互いの帽子を撃ち合って銃の腕を見せあうシーンが面白い。
二人とも賞金稼ぎで金のために悪人を倒す、と位置付けているのが「荒野の用心棒」とは大きく異なるところ。モーティマー大佐には実は別の理由もあるのだが。。。
悪党も町を乗っ取るのではなく、銀行を襲撃して大金を奪うという強盗団で懸賞金をかけられた悪党が何人もいる組織で頂点に立つボスがインディオという男で1万ドルの懸賞金を懸けられている。
その強盗団に、性格の違う一癖も二癖もある二人が時には反発しあいながらも協力して立ち向かうという王道のストーリー。
青い空と白い壁を背景にしたガンマンの構図が映えまくり。
ラストのモンコ(イーストウッド)を間にモーティマー大佐とインディオが対峙する構図も良き!
懐中時計のオルゴールがとても効果的に使用されていて、耳に余韻が残ります。
あえてストーリーに文句をつけるとすれば、捕まえた二人をインディオが密かに指示して逃がし、部下の悪党たちと撃ち合わせて大金を独り占めしようと画策する展開がちょっと強引に思いました。自分の命が危うくなることくらいわかるでしょう。あれだけ痛めつけられた割に二人とも普通に戦えてるし~とツッコミいれときます(笑)
最後、気前良すぎないか!?と思いましたが、モーティマー大佐にとっては金のためではなく妹の仇をとるために戦ったのであって、金を受け取ると戦った目的が曖昧になるし、モンコに助けられ感謝の気持ちもあったのだろう。
テレビの吹き替え版と違い、やはり大きなスクリーンで見ると映画に没入できるしワクワクしました。
ドンパチして悪者退治して終わりと思ったらイロイロあって早打ち対決もあって面白かった。2Kなのがかえって良かったと思う。
エルパソ銀行で待ち伏せしてドンパチして終わりかと思ったら、悪者エル・インディオ(ジャン・マリア・ボロンテ)の方が1枚も2枚も上手。
ホントはこの時点で一旦勝負はついてて、その後モンコとモーティマー大佐がインディオに捕まった時点で勝負有り。悪者インディオの完勝なのだが、そこは目をつむって2人は殺されずに話は進む。
モンコ(イーストウッド)とモーティマー大佐(リー・ヴァン・クリーフ)がカッコよくて強いのは当たり前だとして、物語が倍増して面白くなったのは、賢さで2人の上を行く悪役インディオのおかげだ。
知恵比べでも腕比べでも正義が上で悪者が下、正義が悪者をやっつけてハイお仕舞いでは当たり前すぎる。
まあ、それでもけっこう面白くてスカッとするけれど、今回は知恵比べでは悪者の勝ちである。でも結局は悪者のインディオが、最後の腕比べでやられちゃうんだけどね。
それと西部劇に欠かせないのが早打ち対決。こと早打ちに関しては悪者も正々堂々としてる。悪者なんだから、さっさと後ろからでも闇討ちでもいいから撃っちゃえよ、卑怯もへったくれもないだろうと思う。だけど特に相手が凄腕のようだと察すると、どっちが早いか正々堂々と勝負して白黒つけなきゃ気が済まないらしい。取り巻く悪者も加勢せずに黙って見つめてる。たまにホントに卑怯な悪者もいるが、そういうヤカラは必ずやられるからザマーミロである。
今回も何個か早打ち対決があって面白かった。
今回4K版が出てるが、見た劇場が2K版だったので古い映画っぽさがあって、かえって良かったと思った。
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