黙秘のレビュー・感想・評価
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老いて、醜くなったので殺してくれのフレーズが記憶にあり、以前に観た...
老いて、醜くなったので殺してくれのフレーズが記憶にあり、以前に観たこの映画の場面にあったようで、その女主人の台詞ですが、その家政婦のキャシーベイツがその仕える女主人を殴り殺そうとするところをたまたま郵便の配達で来た郵便配達員が見た訳ですが、その家政婦のキャシーベイツもその女主人も身内の夫を殺害していて、それを隠蔽していて、映画を観ててもあまり筋が分かりませんが、20世紀初め頃に女子が参政権を求める映像が英国の映像がありますが、JJリーがその娘でもう都会に出ていて、ジャーナリストで地元に戻り、その母を取材しますが、JJリーが暗く、運転する車のセダンも普通なトヨタ車でしたが、ベルナルトベルトルッチが監督した1900年の映画でも喫茶店で共産党側の左翼の小作人同士の老人の男女のダンスを目にしたファシスタ党側の右翼の地主の娘が昏倒する、気を失う場面がありましたが
「黙秘権」が保障される理由
「黙秘」というのは、ある意味、被疑者にとっては有力なの武器なのだろうと思いました。本作を観終わって。評論子は。
刑事手続では、被疑者は「推定無罪」であるはずです。
法律としては、捜査機関には、その推定を覆すだけの捜査能力(人員、組織、権限)が与えられている訳ですから、被疑者の供述が得られなくても(被疑者が黙秘していても)、被疑者の有罪を立証できるだけの証拠を集めてくることができるはずだ、という組み立てです。
検察官によるダブルチェック(の建前)を経て起訴されて、初めて被疑者は「被告人」となり、裁判所(裁判官)による審理というトリプルチェックを経て、ようやく有罪とされる。
被疑者自身の供述=自白も証拠の一つにはなるけれども、それだけで有罪としてはいけないということは、後記のとおり、憲法にもはっきりと書かれている。被疑者が真犯人であれ、冤罪被害者であれ、そのどちらであっても(以下に引用している憲法の条文も、その両者を区別していない)。
信賞必罰という言い回しがあるように、「機会(手続)の適正」よりも(日本のように)「結果の適正」がより強く求められる国に住んでいると、上記のような考え方には違和感があるかも知れませんけれども。
しかし、神ならぬ人間は、必ずしも「結果の適正」に立ち至ることができないことを素直に受け止めて、「機会(手続)の適正」で、より「結果の適正」を確保しようとしていた人権の歴史を忘れるべきでもないと、評論子は思います。
翻って、実際の刑事手続の現場では、どうなのでしょうか。
捜査機関から嫌疑をかけられると(捜査機関は、当然、自分が欲しい証拠=被疑者の有罪に結びつく証拠しか集めてこないでしょうから)、その捜査機関による「作文」を覆すのが容易でないことは、たやすく想像がつきそうです。
捜査機関の、その「予断」、「思い込み」に対抗する手段として、法が被疑者に許したのが、本作の邦題にもなっている「黙秘」(黙秘権)なのだろう、というのが、本作を観終わっての、評論子の率直な印象であり、おそらくは、それが本作の「メインテーマ」でもあったのだろうとも思います。
DV夫の不慮の死について、ドロレスが、仮に限りなく「クロ」であったとしても、「黙秘」で乗り切った彼女を、警察は、けっきょくは「嫌疑不十分」としなければならなかった訳ですから。
事件として捜査機関から検察官に送致されてしまえば、あとは「流れ作業」ということで、世上、ダブルチェック・トリプルチェックは充分には機能していないとも言われていますが、本作の邦題にもなっている「黙秘」には、そのダブルチェック・トリプルチェックを少しでも働かせようとする被疑者・被告人の側でのささやかな…しかし、被疑者・被告人の精いっぱいの「レジスタンス」という意味合いがあり、そこに被疑者・刑事被告人に黙秘する権利を保障する「真価」があることを、本作は静かに、しかし明確に訴えているといえると思います。
日本国憲法38条1項・3項
何人(なんぴと)も、自己に不利益な供述を強要されない。
何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
本作を観終わると、憲法が、なぜ当該の条文を置いて、このような権利を国民に保障したのか、その「こころ」が見えてくると思います。
「cinema de 憲法」・「cinema de 刑事訴訟法」といった視点からも秀逸というべきでしょう。
秀作であったと思います。
評論子は。
(追記)
本作は、別作品『ザリガニの鳴くところ』で、タダ者でない弁護士を演じていたデビッド・ストラザーンの出演作品ということで、観賞することにした一本でした。
本作中の彼も、真犯人の訴追という、自分の警察官としての社会的な役割を真に理解して、その職責を忠実に果たそうとする老警察官を、見事に演じていたと思います。
その点でも、好印象の一本でした。
(追記)
滅多には起こらない自然現象に、多くの観光客を受け入れた小さな島は、異様な熱気に包まれるのですけれども。
その熱気の陰で、お屋敷の女主人ヴェラの暗黙の了解の下、着々と計画を進めるドロレス。その緊迫感が半端なく、どんどん画面に吸い寄せられました。サスペンスもの(娯楽作)としても、一流の出来栄えというべきでしょう。
加えて、本作では、ドロレスを演じた、キャシー・ベイツの演技も圧巻でした。真剣に思いつめたときの彼女の目つきが、評論子には忘れられません。
その点も、評論子としては、本作への加点要素のひとつであると思います。
リアルな教訓に満ちている佳作
回想シーンに移行する時の、過去と現在が溶けあうような自然なカメラワークや、まるで彼女の罪を太陽の目から隠してやるように訪れる日蝕の演出など、随所にセンスの良さが見られる。
キャ シー・ベイツ演じる彼女の人生も、殺人(見殺し?)を抜きにすれば、どこにでもあり得る平凡なもの。ただ、自分を律することが出来ない男と結婚したのも、その本質を見抜けないまま子供を惰性的に作ってしまうのも、またその夫を精神的に支え切れなかったのも、結局は本人(無論、夫も)の選択と責任の結果でしかない。
自分の人生を良くするも悪くするも、それは自分自身の選択と決定以外の何物でもない。夫婦間の問題も、子供との関係も、友人との関係も、相互理解と相互依存の関係を自覚し、一歩先を予想する想像力さえあれば、それほど状況が悪くなることはないはず。結局、自分の人生の顛末は自己責任が当たり前。そんなリアルな教訓に満ちている佳作。
ベイツ!
キャシー・ベイツは、今作と同じスティーブン・キング原作の「ミザリー」(90)が印象的でしたが、今作の主人公も似た路線、つまりハマリ役だったと思います。オープニングから恐ろしげな展開ですが、現在パートに突如、挟み込まれる過去シーンが、あたかも人間の脳内を再現しているかのようで興味深い描写でした。マッケイ警部(クリストファー・プラマー)がそうであるように、自分の能力や経験を過信しすぎると、気付かないうちに事実を歪めて見てしまう、そんな怖さも感じました。娘セリーナ(ジェニファー・ジェイソン・リー)もまた別の意味で母親ドロレス(キャシー・ベイツ)を誤解していて、出口の見えない闇を迷走しつづけます。そんなモヤモヤがすべてスッキリ晴れるラストも、何となくどんより曇った天候であったのは、この世の中のやりきれなさをありのまま描いているような印象でした。個人的な思い出ですが、テイラー・ハックフォード監督の「愛と青春の旅だち」(82)を見て以来、好きな女優はデブラ・ウィンガーだと言ってました(笑)。
終わってみれば母と娘の愛情物語みたいな
キャシー・ベイツは『ミザリー』のイメージもあるし、その刷り込みで本当は殺したんじゃないかと迷わせる。実際には20年前の事件は殺人なんだろうし、いくら娘が父親(デヴィッド・ストラザーン)に犯されたとしてもやり過ぎだ。
ジョン・C・ライリーやクリストファー・プラマーの名演も光るし、心理描写も絶妙。それに過去映像を被せて変化させたり、日食の美しさはピカイチ。だけど、単純なストーリーを長時間にするほどのものじゃないような。
この日食の変化とキャシー・ベイツの心理変化が面白い対比なのかもしれないけど、暗さがメインになってるせいもあって、日食の6分30秒と釣り合いが取れない。もう少し検事側にもスポットを当ててくれたらダイナミクスを感じられたかも・・・
ミザリーとセットですね
母と娘の話です。まあはっきり言って私の大っ嫌いなファミリードラマですがこれは別に嫌いじゃなかったですね。父親が子に愛情を注ぐ話じゃなかったのがよかったのかな。脚本の構成がとても巧みで徐々に謎が解けていき徐々に盛り上がっていくのがうまく書けていたと思います。クライマックスの日食は言ってみればまあ単なる日食なのですが、話の流れがうまくできているのでとても盛り上がります。またその近辺の写真がとても美しくて感動をさらに高めていたと思います。あの写真の色合いや味わいは今のデジタルカメラでは絶対に出ません。監督はフィルムで撮影することにこだわっていただきたいと思います。
またこの映画はキャシーベイツの味がとてもよく出ている、彼女の持ち味がとても活かされた映画だと思います。娘役の方の役者が何て言うか、ちょっと三文役者気味でキャシーベイツを食わないようになってるのも洒落た演出ですね。スティーヴンキングの原作は読んだことがありませんがまぁこの話を映画にしようと思いついたことが偉いですね。・・・と思って他の人のレビューを読んだら、これは彼女が主演で映画化されることを前提に書いた原作だったみたいですね。さすがスティーヴン・キング。またやられました。・・・それに引き換えこのダサい邦題をつけた馬鹿者は何なんだ一体。もう今時邦題いらんわ。
死んでも話せない秘密。
あまり面白くないんだろうと思っていたのですが、
最後まで時間を忘れてみてしまいました。
登場人物も少ないし、特殊効果とかあるわけではない、
地味な映画ですが、とにかく内容が面白い。
ドロレス・クレイボーンという女性が主役なのですが、
最後のどんでん返しが面白かった。
皆既日食の闇の中に隠された母の愛
キャシー・ベイツがオスカーに輝いた『ミザリー』の原作者はスティーヴン・キング。
キングがベイツの為に書き下ろしたという小説を映画化した1995年の作品。
本作もキングの非ホラー作品。
『ミザリー』のようなサイコ・スリラーでもない。
しかし、これぞサスペンス!…と思わず膝を叩きたくなるほどで、本当に話が面白く、グイグイ引き込まれる。
NYでジャーナリストとして活躍するセリーナの元に、母ドロレスが殺人事件の容疑者となっているという連絡が届く。
久し振りの帰郷、久し振りの再会。
事件について、黙秘を続ける母。
母ドロレスは、町の金持ち夫人の家政婦として働き、その夫人を殺害した疑い。
目撃者、状況証拠、さらには夫人はドロレスに遺産を。動機は充分。
しかし、長年仕えて来て、何故今頃…?
実はドロレスは、以前も別の事件で殺人の疑いを掛けられた事がある。
皆既日食が起きた20年前のある日、ドロレスの夫が不審な死を遂げた。
事故死とされているが、当時事件を担当した警部は今も疑っている。今回の事件も。
ドロレスが関わる今回の事件と20年前の事件。
黙秘を続けていたドロレスだったが、やがてセリーナは母の口から、自身にも関わりある事件の真相と秘密を知らされる…。
キングがベイツの為に書いただけあって、ベイツがそれに応えた熱演。
母と娘の物語でもあり、セリーナ役のジェニファー・ジェイソン・リーも熱演。
演技派/実力派である二人の女優の演技合戦は本当に見もの。
クリストファー・プラマー、デヴィッド・ストラザーンら男性陣は憎々しさ際立つ。
過去と現在が巧みに、鮮やかに、重層的に交錯。
過去の事件の真相が明かされるシーン。皆既日食の雰囲気も相まって、圧倒すらさせられるほどインパクトのあるシーンとなっている。
見応えたっぷり、テイラー・ハックフォードの重厚な演出も素晴らしい。
過去と今回の事件、真相は意外と呆気ない。複雑に入り組んでいるとか、あっと驚くトリックが仕掛けられてる訳でもない。
が、その真相に隠された秘密…。
痛ましいほど。
特に、娘が関わる過去の事件は。
事件は、女たちの悲しみが浮き彫りにされる。
不審な死は不幸な女の友達…というある人物の台詞は戦慄すらさせられた。
確かに法的には間違ってるかもしれない。某天才変人警部なら決して見逃しはしないだろう。
でも、人としては…。
事件の秘密の中に隠された、母の愛。
皆既日食の闇の中に、黙秘を通し続ける。
とてもぶ厚い感じがしました
都会で働くセリーナは母が殺人容疑で拘留されたと知り故郷に向かう、母の殺人容疑はこれが初めてでなく…。
小さな島の重苦しい空と冷え冷えとした湿気をたたえた空気に包まれ、たいへん見応えがありました。
テイラー・ハックフォード監督、1995年の作品です。
登場人物が少なく、静かな印象の作品ですが、とてもぶ厚い感じがしました。
イライラした娘セリーナに眼光鋭いジェニファー・ジェイソン・リーがはまり役です。
疑惑の母親ドロレスにキャシー・ベイツ、これはもう、達者!としか。キャシー・ベイツはいつでも凄いです。
さすがテイラー・ハックフォード
文句なしのサスペンス映画。
注目したのはセリーナとマッケイ警部の対決場面。
マッケイの報告書には状況証拠しかない。
状況証拠だけでは有罪にできないと言い放つ場面。
さすがデモクラシーの国は違うと唸った。
証拠があろうがなかろうが検察が起訴すればほぼ有罪の某国とはえらい違い。
これでは裁判官など居ても居なくても同じではないか。
キング祭その3
原作既読。
さすがに『ジェラルドのゲーム』とのリンクはないが、回想シーンの処理の仕方など映画ならでは。いろいろなアイデアがあってうまい。
そしてキャシー・ベイツの変わりようがすごすぎる。すごいよ母ちゃん。
強さとは母の愛情。
ミザリーで有名になったキャシーベイツですが唯一無二の役者ですね。
最初の出だしは殺人の被疑者として登場した時は悪態もつく荒んだ母親と、そんな母に確執を持つ娘。
何がそうさせるのか、一体この母娘は寄り添う事が出来るのか暗い印象を与えつつ、次第に見えてくる結論までの過程がリアルにそしてゆっくりと解き明かされる手法がキャシーベイツの演技力と相俟ってあっという間にこの映画の虜になった。
さすがスティーブン・キングがキャシーベイツの為に書いた話だけある。毒々しいストーリーも軽妙なのに軽薄にならない監督の作り方と三位一体となって母娘の絆を見せてくれた。そして、スティーブン・キングは端役の出演者まで人格を持たせるのが本当に上手いなと思った一本です。
母親と娘の愛の物語 2人の演技がすごい
雰囲気、映像、2人の女優の演技、ストーリー、全てにおいてどんどん引き込まれる
1人で夜に見るのにオススメ!
そしてまたキャシーベイツとジェニファージェイソンリーがいい!
面白かった
『マイアミブルース』ヒロイン、ジェニファー・ジェイソン・リーが見れて嬉しかった。
寒々しい田舎が舞台のミステリーで悲しい話であったが、心暖まる結末でよかった。
午後ローで見た。元々は131分もあり、50分くらいばっさりカットされているため、劇場版もいつか見返したい。午後ロー見たことに若干の後悔はあるのだが、午後ローでなければ一生見もせず、存在も知らないままだったかもしれない。
性悪と罵られても守りたいものがある
久々に、勝手にスティーヴン・キング特集その13!
今回はサスペンススリラーの佳作『黙秘』を紹介。
原作となった中篇『ドロレス・クレイボーン』だが、実は
個人的にキングの著作中でも最も好きな作品のひとつ。
舞台はメイン州の小島リトルトールアイランド。
寂れた田舎街で起こった1件の老婆殺し。
容疑者となった女ドロレス・クレイボーンは、
20年前にも夫殺しの容疑を掛けられ、
証拠不十分で無罪となった女だった。
故郷を離れて記者として働くドロレスの
娘セリーナは、事件の知らせを聞いて帰郷。
事件の真相が少しずつ明らかになるにつれ、
セリーナは父親の死に係わる忌まわしい事実、
そして父の事件以来ずっと距離を置いてきた、
母親の心の内を知る事となる。
...
『ミザリー』のレビューでも触れたが、キングは
最初から本作の主演キャシー・ベイツをドロレス役
にとイメージして原作を執筆したそうな。実際、
彼女以外この役は出来ないと思えるほどのハマり役だ。
どんな相手にも辛辣な皮肉を浴びせる粗暴な女。
そこに見え隠れする人間としての確固たる“芯”。その一方、
娘に向ける複雑な表情からは彼女の脆さが垣間見えて見事。
セリーナを演じたジェニファー・ジェイソン・リー
も素晴らしい。彼女の神経質な存在感は、
セリーナ役に完璧なまでにハマっている。
主演以外のキャストもかなりの実力派揃いだし、
物語で重要な役割を果たす老婦人ヴェラも忘れ難い。
暗がりの窓辺に腰を降ろし、ドロレスに淡々と
語り掛けるシーンを覚えておいでだろうか?
あの眼。鬼火のように静かにぎらつく、あの青白い両
眼。
...
しかし肝心の終盤、セリーナと捜査官の対決にて、
セリーナ側の反論がやや説得力に欠けるのは残念。
(物語上ああいう曖昧な決着に持ち込むしか無い訳ではある)
デヴィッド・ストラザーンを除いた
男性陣の存在感もチト弱いかな。
また原作との比較で言うと、
ドロレスの息子2人がそもそも登場しない点が残念。
老ヴェラを苛む『綿埃りぼうず』やその正体にまつわる
衝撃の事実について登場しない点も激しく残念。
物語のテーマにも絡む重要な部分だったと思うので。
しかしいずれの改変も、物語の“キモ”である母娘の
ドラマをきっちり映画の尺に納める為の措置だろう。
...
そういった諸々の不満はあるが、良い映画。
実は本作の監督テイラー・ハックフォードの他作品は
観た事がなかったが、時系列が複雑に入れ替わる物語を、
過去と現在をひとつのシーンに同居させる
語り口でなめらかに繋いでみせて見事。
母娘の距離感を表すような寒々した映像も良いし、
ガラス/鏡が割れる不穏なイメージも頭に残る。
(あれは記憶が崩壊していくイメージなのだろうか)
そして、劇中で繰り返される台詞。
「Sometimes being a bitch is
the only thing a woman has to hold onto.」
(女が生きる事にすがりつくには、
性悪になるしか無い時もあるのよ)
サスペンス映画としての手腕もさることながら、
この映画はあくまで因縁を抱えた母と娘のドラマとして、
そして虐げられ続けた女たちのドラマとしてブれない。
最後の母娘の姿には、じんわり温かい涙が浮かんだ。
母は強し。
と世間は言う。けれどそれは、
母親という存在が無条件に強いという事じゃない。
我が子を守る為に己が傷付く事を彼女らが恐れないからだ。
捨て身だからこそ彼女らは強いのだ。だが裏を返せば、
母として生きる以上は無傷では生きられないとも言える。
スティーヴン・キングはこの原作を母ネリーに捧げた。
彼女は突然蒸発した父親に代わり、安い給料の
仕事を朝から深夜までこなし、幼い息子2人と
年老いた両親の世話をしていたのだそうだ。
彼女はスティーヴンが27歳の時に他界。
スティーヴンの初のベストセラー『キャリー』が
出版される、わずか2ヶ月前の出来事だった。
劇中のドロレスは逆境に耐え続ける。
泥臭く、口汚く、だが敢然と、苦境に立ち向かい続ける。
娘の為に強く強く生きようとするドロレスの姿は、
キング自身の母親の面影を残しているのだろうか。
どちらにせよ、ドロレスの姿を見て思うのはひとつだ。
子を想う母親ほどに、強く気高い者なんていない。
<了> ※2013.09初投稿
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余談:
投稿当時は気付いていなかったのだが、
キングの自伝的作品『小説作法』を新訳版
『書くことについて』として読み直した際に
気付いたことがあるので補足しておきたい。
『キャリー』のペーパーバック権が40万ドルで
売れたとの電話を受け、スティーヴン・キングが
思わず自宅の床に座り込んだのが1973年5月
(当時の彼は家族4人で家賃月90ドルの安アパートに住み、
年棒6400ドルの教師職をしつつ執筆を続けていた)。
スティーヴンの母ネリーが亡くなったのは1974年2月。
彼女は亡くなる前に息子の成功を知っていたことになる。
また、『キャリー』出版は確かに彼女が亡くなる
2ヶ月後の1974年4月だが――亡くなる間際の
彼女のベッド傍には、親戚が彼女に読み聞かせた
『キャリー』の校正刷りが置かれていたそうだ。
一級のサスペンスと感動のストーリー。
ニューヨークでジャーナリストとして働くセリーナに、母が殺人事件の容疑者となっている知らせが届く。富豪の未亡人の世話人として働いていた母ドロリスだが、夫人が階段から落ちて亡くなる。調べた刑事はむかしの事件を思い出しドロリスに疑惑の目を向ける。ドロリスの夫が不審な死をとげて当事容疑者となっていたが証拠がなく逮捕には至らなかったのだ。そのため刑事は執拗にドロリスに迫る。母と会ったセリーナも昔のことを忘れてはいなかった。何かと暴力を母に振るう父。その父の不審な死。セリーナも母には距離を置いていた。母はいったいどうしたのか、信じる気持ちと疑う気持ちのなかで調べ始めるセリーナ。年寄り特有の頑固さと口汚さで母にあたっていた婦人。事故なのかそれとも・・・。やがて心の中に封じ込めていた記憶が徐々にセリーナに甦る。
この映画の特色は日食を使っていること。日が翳り日食が始まったときに事件が起きる。
ラストには清々しい感動が待っている。
おススメの作品です。
母娘の愛
富豪夫人ヴェラ(ジュディ・バーフィット)が階段から落ちて死亡したことで、住み込みで世話をしていた母ドロレス(キャシー・ベイツ)がマッケイ警部に疑われる。
20年前にドロレスの夫ジョーが古井戸で転落死していたことも有って、マッケイ警部の追及は厳しかった。
母と娘セリーナ(ジェニファ・ジェイソン・リー)の葛藤が心に伝わり、久しぶりに感動させて貰いました。
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