「細やかな演出が冴え渡ったヒッチコックの代表作」見知らぬ乗客 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
細やかな演出が冴え渡ったヒッチコックの代表作
『サイコ』『鳥』に連なるヒッチコックの代表作。
脚本を務めたのはフィリップ・マーロウもので有名な小説家のレイモンド・チャンドラー。ビリー・ワイルダー『深夜の告白』の脚本を務めたり、自著がハワード・ホークスの手で映画化(『三つ数えろ』)されたりしてきた彼がヒッチコックと組めば、当然のごとく極上のノワール映画が出来上がるというわけだ。
殺人犯ブルーノ・アントニーの不気味な人物造形はまさにお見事。独善性の強さや倫理意識の欠如、そして表層的な人当たりの良さなど、今でいうところの「サイコパス」の要件を完璧に満たしている。
描写として特に秀逸なのが、遊園地でミリアムを殺した直後のブルーノが目の見えない老人の手を引いて道路を横断するシーンだ。殺人と人助けという真逆のベクトルを描くことでブルーノが一般的な人間の範疇を超越した異常者であることを端的に示している。
証拠品のライターを側溝に落とした途端に人格が豹変して怒鳴り散らすシーンや、今際の際にまで嘘をつき続けるシーンも恐ろしい。
こうした細やかな演出にかけてはヒッチコック映画は映画の教科書と呼ぶに相応しい。終盤、遊園地のボートの列に並んだブルーノが照明の下に顔を晒す。するとボート番の男がこちらの存在に気がつくカットがインサートされる。するとブルーノは慌てて影の中に隠れる。照明を用いた単純だが効果的な演出だ。
テニスの試合シーンでは、パコン、パコン、という返球のリズムに合わせてカットが切り替わる。単に2人のプレイヤーをカットバックし続けるのではなく、観客や刑事や時計といった周辺の状況推移も織り交ぜることで緊迫感を高めている。状況は悪化の一途を辿っているのに返球のリズムは常に一定なのが気持ち悪くて最高だ。
高速回転するメリーゴーランドの上でブルーノとヘインズが取っ組み合うラストシーンは視覚的にも意味的にもカタルシスに満ち溢れていた。ブルーノが遊具上に取り残された子供を突き飛ばし、ヘインズがそれを咄嗟に助けるという決定的なワンシーンによって両者の行く末は確定。急ブレーキをかけられたメリーゴーランドはダイナミックに瓦解し、その結果ブルーノは遊具と鉄骨の間に挟まれて死亡する。
最後はヘインズとミリアムが電車の中でまた見知らぬ乗客に話しかけられるというショットで終わる。「ヘインズさんですか?」と声をかけられた二人は気まずそうに顔を見合わせ、別の客車に移動する。
あれだけシリアスなサスペンスをやっておきながら最後はコメディで締めるといういい意味での勇気というか拘りのなさが憎い。