マトリックスのレビュー・感想・評価
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見たことないような映像が多くて面白かった。 •電話をとって現実に帰...
見たことないような映像が多くて面白かった。
•電話をとって現実に帰るシーン(人型の青い半透明なロボットみたいになる)
•昔映画のシーンを繋ぎ合わせたやつでみた向こうから銃の積まれた大量の棚が一気にゴッとこっちにくるシーン
•何もない真っ白な世界に現れるテレビと椅子
•現実とは五感と脳の電気信号が〜のくだり
•ジブリの王蟲+メカニックなタコみたいな有機的なロボットのデザイン
が印象に残った。人類が燃料家畜になってるってことか。
攻殻機動隊もみたいなー 街が非現実になっていくのはインセプションと同じ空気を感じた
知らず、救世主の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に救世主と為れるかを。 インフォームド・コンセントが徹底されていればこんなことには…。
仮想現実世界「マトリックス」を舞台に繰り広げられる人間と機械との戦いを描いたSFアクション『マトリックス』シリーズの第1作。
大手ソフトウェア企業に務めるプログラマー、トーマス・アンダーソン。彼には天才ハッカー「ネオ」という裏の顔があった。ある時、何者かからパソコンを通してメッセージを受け取ったネオは、それに従い「白ウサギ」を追いかけるのだが、それを境に彼の”日常”は終わりを告げる…。
主人公トーマス・アンダーソン/ネオを演じるのは『マイ・プライベート・アイダホ』『スピード』のキアヌ・リーヴス。
ネオを導く謎の男、モーフィアスを演じるのは『地獄の黙示録』『ボビー・フィッシャーを探して』のローレンス・フィッシュバーン。
👑受賞歴👑
第72回 アカデミー賞…音響賞/編集賞/視覚効果賞/音響編集賞!✨✨✨
第9回 MTVムービー・アワード…作品賞!
『トゥルーマン・ショー』(1998)、『ファイト・クラブ』(1999)、『アメリカン・ビューティー』(1999)など、ふやけた日常からの覚醒を促す自己啓発系映画の名作がポコポコと生まれていた世紀末。その中でも最大のヒット作といえばコレ!難解なストーリーと奇抜な革新的映像に世界中が驚き、その後数多のパロディやオマージュが作られるに至ったSF映画の金字塔である。
子供の頃は非常に知的で高尚な映画だと思っていたのだが、今改めて鑑賞してみてその感想は180°変わった。これめちゃくちゃボンクラ映画じゃん!!
カンフー、ガンアクション、旧約聖書、サングラスにロングコート、『攻殻機動隊』(1995)に『ターミネーター』(1984)に李小龍に…。中学生の大好物欲張りセットやんけこれぇッ!!
「スプーンは存在しない。在るのは自分自身だ」とか「己を考えるな、己を知れ」とか、なんとなく老荘思想っぽい哲学にコーティングされているから誤魔化されるけど、中身は超漫画っぽいというか、今流行りの異世界転生無双系そのもの。”赤い薬”とはオタクコンテンツの事だった…?
「バレットタイム」という『ジョジョ』っぽいスローモーション演出や、明らかにやり過ぎなワイヤーアクションなど、外連味のありすぎる映像表現は今見ても斬新。その後、本作のパスティーシュは山ほど生み出されたわけだが、やはり本物は一味違う。大真面目にバカをやる。これが1番大事なんだよねぇ。
カンフー・コリオグラファーに香港アクション界における本物中の本物、ユエン・ウーピンを配しているというのもニクい!ウォシャウスキーズ、分かってんな〜!✨本作がなければ『グリーン・デスティニー』(2000)も『キル・ビル』(2003-2004)もなかったかも知れないと思うと、その偉大さがよく分かる。
内容はカート・ヴォネガット・ジュニアの名作SF小説「タイタンの妖女」(1959)を彷彿とさせる。人間が高次元的存在により自由意志を奪われ、知らず知らずのうちに搾取されているという点でこの2作はよく似ていると思うのだが、「タイタンの妖女」が「わたしを利用してくれてありがとう。たとえ、わたしが利用されたがらなかったにしても」という諦念を打ち出しているのに対し、本作は「利用されてたまるか。たとえ現実がクソみたいな地獄でも」という徹底抗戦のスタンスを取っている。ここにおいてこの2作は大きく異なっている訳で、「タイタンの妖女」に少々居心地の悪さを感じた自分からしてみれば、本作のメッセージの方がより素直に受け取る事が出来たように思う。
リアルからリアリティが失われている。こういう感覚というのは大小の差こそあれ、誰しもが覚えていることなのではないか。そのことに対し疑問を持ち、真実を突き止めるために世界と戦え、という本作のメッセージは力強く、灰色の日常を生きる観客を鼓舞してくれるはずだ。
ビジュアル面は確かに素晴らしいし、救世主による勧善懲悪なストーリーも面白い。テーマやメッセージにも共感出来る。しかし、よくよく考えると気になる点が山ほど出てくる。
まずもって言いたいのは、モーフィアスお前インフォームド・コンセントはしっかりしろよっ!!∑(゚Д゚)
「赤い薬を飲めば真実を知ることが出来る…」とか言われりゃ、誰だって赤い方を飲む。誰だってそーする。おれもそーする。
んでいざ飲んだら、なんか訳わかんない真っ暗な世界で、サイバーパンクな人たちと一つ屋根の下で暮らさなきゃならない訳でしょ?食い物だっておかゆみたいな訳わかんないドロドロしかないし。そりゃあの鬼越トマホークみたいな人も裏切りたくなるわ。逆によく9年間我慢したよ。
そこはモーフィアスが「この赤い薬を飲むと、訳わかんない暗い世界で一生おかゆ食って生活することになるけどそれでも良い?」って聞かないと。そうすりゃあの惨劇も防ぐことが出来ただろうに…。
とまぁコレは半ば冗談なんだけど、マトリックス世界で警官とか軍隊をバンバン殺しまくるのはちょっと納得がいかない。
「彼らは救うべき対象だが、システムは敵だ」という、一理あるんだかないんだかよく分からない理屈で撃ち殺しまくるんだけど、マトリックスで死ぬと現実でも死ぬ訳でしょう?警官たちはもちろん何にも知らない普通の人たちなわけで、彼らからしてみれば、厨二病全開なファッションに身を包んだテロリストに襲撃されたということでしかない。
「大義の為には多少の犠牲はやむを得ん!」ということなのか?いやそれをヒーローがやっても良いのだろうか?飛び交う弾丸と飛び散る粉塵の気持ちよさで誤魔化されるけど、あの警察署襲撃シーンは割とアウトな気もする。
ネオとトリニティーのロマンスもなんだかなぁ…。
この2人ほとんど接点ないじゃん!会話なんてほとんどしていないのに、いつのまにかトリニティーはメロメロ。「私が愛した人が救世主。だからあなたは救世主」という、宗教にどっぷり浸かったメンヘラみたいな事を言い出す。恋に落ちるという予言をされていたのなら、最初はめちゃくちゃ反目し合う仲だったのだが、任務をこなすうちにだんだんとその距離が縮まって…みたいな過程が必要。そこをすっ飛ばしてるから、運命に反抗する物語なのに恋愛は運命的みたいな、変な捻れを起こしてしまっている。
美男美女のロマンスがアクション映画には必要だという不文律が透けて見えるこの2人の恋愛には、なんだか座りの悪さを覚えてしまった。
確かにしっかりと面白いのだが、ところどころ首を傾げたくなる描写が散見され、それがノイズになってしまった。人間たちの聖地が「ザイオン(Zion)」というのも、ちょっと今のご時世だとアウトだよね💦
まあでも、小難しい『コマンドー』(1985)だと思えばこの大雑把さも許せるというもの。何より、この世界観の素晴らしさに心の中の厨二病が大喜び♪社会現象になったのも頷ける、エポック・メイキングな作品であることは間違いなし!!
※Netflixにて、吹き替え版で鑑賞。…したのだが、声優がテレビで放送されていたのと違ーう!!
キアヌ・リーヴスが小山力也というのは予想外だったが、結構合ってる。問題はエージェント・スミス。この吹き替えも全然悪くないんだけど、やっぱりスミスといえば大塚芳忠さん一択。あの声での「ご機嫌ようアンダーソンくん!」が聞きたかったー😭
映画というものに対する感覚を変えた分岐点的な作品。
公開時に映画館で観た以来に観た。
B級サイバーパンクになりそうな作品だが、超A級の仕上がりになっているのはあらためてすごいと感じた。
当時革新的な映像技術だと感じたマシンガン撮影は、今観てもかっこいい。それだけではなく、画面の作り方が洗練されていて、どこを切り取ってもかっこよく見える。
ウォシャウスキー兄弟が、本作のあと、イマイチな作品しか撮らなかったのは、シナリオに恵まれなかったのだろうか。
本作はシナリオも非常に巧い。
安ホテルの303号室での、トリニティと警察の戦いではじまる。そこにエージェントもやってくる。トリニティは敵に追われるが、危機一髪で逃れる。
場面がかわって、主人公のトーマス・アンダーソンが登場。彼はソフト会社の社員だが、ネオというハンドルネームでハッカーをやっている。パソコンに、「白ウサギについていけ」というメッセージが表示される。彼はその言葉通りにすると、トリニティに出会う。ここでトリニティがハッカーの世界では名を知られた人物であることが明かされる。さらには、モーフィアスも、伝説のハッカーとして知られているようだ。
エージェントにつかまったネオは、紆余曲折を経て、モーフィアスたちと合流する。「赤いピルと、青いピルのどちらかを選べ」という有名なシーンがあり、ネオは赤いピルを選ぶ。
現実だと思っていた世界は、実はマトリックスという仮想現実で、人類はチューブにつながれて、眠っているのだった。
モーフィアスたちは、マトリックスと戦って、現実を取り戻そうとしている。ネオは救世主なのだ。
当初、ネオは自らが救世主だといわれても信じられなかったが、やがてその確信に至る。
巧いと思ったのは、物語の最後に、冒頭の安ホテルの303号室に戻るところ。冒頭ではトリニティが部屋にいたが、最後はネオが部屋に入っていく。トリニティは救世主であるネオを捜すために、その部屋にいて、ネオは救世主として、その部屋に入っていく。この時点で物語が円環を描く。
おもしろいのは、「現実の世界」を発見するのが、ハッカーであるということ。コンピューターという仮想の世界で生きている人間が、現実を発見する。そして、「現実」の中で、彼らは互いをハンドルネームで呼び合う。
ネオもエージェントスミスに「アンダーソンくん」と呼ばれて「おれはネオだ」と答える。現実世界を発見した人物が、仮想現実で使っている名前を「本当の自分」として認識するというのは、どういうことなのだろうか。
エージェントたちはいわゆる「アンチウィルスソフト」のようなもので、彼らにとってモーフィアスたちは「コンピューターウイルス」のようなものだ。エージェントたちが「アンダーソンくん」と呼ぶのは、「マトリックス」での名称を使っている。そういう風に考えると、「ネオ」というのは、現実の名前なのか。しかし、それはハンドルネームだ。「アンダーソン」が仮想の名前なら、「ネオ」は仮想の、さらに仮想の名前ではないのだろうか。
最大の謎は、最後にエージェントスミスに殺されたネオが、トリニティの口づけによってよみがえるというところだ。コンピューターと人間の戦いということを考えると、愛の要素が人間の生命を復活させるというのは安直に感じられるが、どういう意味なのだろう。
理解できなかった点があるとはいえ、本作は非常にすぐれた作品だ。言うまでもないが。
「これは仮想現実だ」と言われて、街を歩くシーンなどが出てくると、本当にそこがデジタルのように感じられるのが不思議なものだ。これは視聴者の印象がそうさせるのか、映像的になんらかの処理をしているのか。
ウォシャウスキー兄弟はこの無機質で洗練された映画によって、一種の革命を起こした。つまり、俳優というものが、CGによっていかようにもなるという次元に突入したのだ。
以前、「バットマン」でバットマンがビルから飛び降りて、地面に着地したときに、衝撃で地面が割れるという演出を、「それはリアルではない」と嫌って、主演のヴァル・キルマーが断ったという話を聞いたことがある。アイデアを却下したのか、映画を降板したのかは忘れてしまった。
当時としては、人間らしさというものが映画だったのだろう。しかし、本作ではそういうものはすべて排除されて、この現実はデジタルなのだ、だからどうにでもなるのだ、という趣旨のもと、俳優たちが空中で一時停止したり、素手で壁を壊したりする。本作は映画における俳優の役割を変えたとも言える作品だと思う。
そのあとで、CGばかり派手な、つまらない脚本の作品が多く出るようになったことを考えると、複雑な思いに駆られるが、それでも本作が革新的な作品であったことの証ではあるだろう。
この世界を重層的にたとえ話で描いた作品
「マトリックス」シリーズは、私にとっては最高に面白い作品です。ウォシャウスキー監督は、東洋思想、日本のアニメ等に造詣が深く、ドラゴンボール、攻殻機動隊、ブルースリーの映画などからのアイディアが散りばめられているだけでなく、キリスト教、パソコンの知識、哲学等の視点から、重層的にストーリーが展開するように見えて、色々と解釈ができるように思えるのが秀逸です。
キリスト教のイエスが、殆どを譬え話で語ったように、このストーリー全体が、譬え話になっていると自分は思っています。
この映画の肝は、現代の人間自体が、あのポッドに培養されているような人間になっていないかという問いかけなのだと。現代人は、自分で情報を自由に選択していますが、実はマトリックスのように、仮想現実を見せられているだけではないか?(現実は、国際金融資本や政治家、金持ち連中やマスコミ等が自分たちに都合がよくなる情報だけを流しているのではないか)という問い。実際、私たちが口にしている食べ物も、添加物等で味を調節されている。個々の人間が、マトリックスのように、巨大なシステムに頼り切り、与えられるもので満足している姿は、正にマトリックのあのマシンシティで培養されて生きているのと同様ではないのか。システムに反するものは、すぐに異端とみなされ矯正、排除されているのではないか。(実際に、アメリカでは一般市民の電話やメールも盗聴、検疫を受けているはず)実際、アメリカは、0.1%の富裕層が、下から90%と同量の富を所有しているわけですし。巨大なシステムを操るものは、人間から効率よく財や労働を搾取するように、情報をコントロールし、現実に気づかせないように娯楽を与え、搾取したものが自分たちに集まるように社会を作っている。そんな現実の社会のシステムに気づき、作り変えることを、この譬え話を通して促しているとみることができます。陰謀論者の人たちに、この「マトリックス」が崇められるのも理解できます。
キリスト教の視点からは、NEO→ONEのアナグラム=THE ONE→唯一の存在、救世主を待つ預言者、トリニティ→三位一体(ネオ、モーフィアス、トリニティ=神・精霊・子)、一度死んで復活して伝説となる等など。詳しくは、解説本を読むとわかります。
PC的な視点からすると、ソースへの遡行、エグザイル、プログラム、
ウイルス(システムを妨害する者)とウイルスバスター(エージェントやセンチネル)、バックドアなどなど。
哲学的な視点からすると、私たちが見ている者自体、感覚器を通してみ見えているものであり、本当の現実が顕れているわけではなく、仮想現実なのだという視点。そして、東洋的な思想、因果論からすると、自由意志ではなく、カルマという因果に縛られているのであるという視点。この世界は、陰陽のバランスが取れて、完全になるという世界観等など。
更に、日本のアニメ(攻殻機動隊、ドラゴンボール)やカンフーなどの影響も受けているわけだ。
そこに、ワイヤーアクション、ブレットタイムが加わるわけなので、これを重層的なストーリーとして理解しようと思うと、本当に複雑になってしまう。
最高
再鑑賞。5年ぶりくらい2度目。
コンピューター内のプログラムという空想世界、での戦い。
人間はウイルスで、スミスは対ウイルスソフト。
コナンのベーカー街、サマーウォーズ、レディプレイヤー1でも同じことが言えるが、空想世界と現実世界を並行して描き、それぞれでの危機が相互の世界にリンクし合う。それのバランスが見どころ。
今作でも現実側での裏切り(プラグを抜くことで直接的に精神を殺す)などが並行しており久しぶりに見ると、前回の記憶も案外曖昧で、素直に楽しめた。
また空想世界のいいところは製作者側のクレエイティブさが存分に発揮されるところ。
インセプションなどと同様。
今作でも究極はなんでもありになる。弾は当たらないし、空も飛べる。有名なイナバウアーのシーンではまだ弾は当たっている。
カンフーシーンもブルースリーリスペクトで楽しめる。
練習モードの時に一度高所から飛び降りて死んでいるのがうまく効いてくる。死ぬのか死なないのかも気に持ちようだと理解させてくれる。
水槽の脳、胡蝶の夢、とかそういう発想はトゥルーマンショーやゼイリブ、フリーガイにも見られる。
何度見ても楽しい、発想の源泉。
普通におもろい
サイバーパンク、SFの金字塔的な作品。
初めてちゃんと見たんだけど面白いね。
前半のスローテンポで哲学的、宗教的な内容とはうって変わって後半の怒涛のアクションシーンたまらんね。
多少今見ると古さはあるけど全然見れるアクションだし何よりもこれが1999年に公開されたっていうのが驚き。
ちょっと残念なのがなんで公衆電話が窓口になってるのかが一切説明されていないことと、結局エージェント(監視者)ってのがよくわかんないこと。
ラストシーンのキスで復活ってどうなん?ディズニーのプリンセス映画じゃないんだから、、、笑
それはそうとして世にも奇妙な物語てきな「今私たちが生きてる世界は果たして現実なのか」的な題材は面白いね。一作前にインセプション見てるから被る部分があって脳みそがバグったけど。笑
次作も見ようと思う。
仮想現実に浸る多くの人間、AIと闘う少数の人間に少なからずのリアリティを感じる
アンディ・ウォシャウスキー及びラリー・ウォシャウスキー共同監督による1999年製作/13のアメリカ映画。原題:The Matrix、配給:ワーナー・ブラザース映画。
情報が氾濫していて殆ど見た様な気になっていたが、なんと初見であった。
今見ても古くなく、いやAIや仮想現実映像が実用化されてきた今こそ、リアリティをより強く感じさせられるところがあった。素晴らしいストーリー構想だ。
また、映像革命と言われた特殊撮影による映像の数々は、その利用にアイデアが詰まってるせいか、今だ魅力的であった。モーフィアスがビルとビルを飛ぶ大ジャンプの成功させた後のネオのジャンプ失敗などかなり笑えし、トリニティの敵を片付ける手際良さ、ネオとスミスとの格闘シーンもなかなかの出来。
襲いかかってくるロボットの蛸状形状の気持ち悪さもお見事。そして、何より救世主のはずのネオが死に、それを愛の力で甦らせるトリニティという意外性に恋愛要素と新訳聖書的要素を絡ませてくるストーリー設計に、魅力を感じた。
製作ジョエル・シルバー、製作総指揮バリー・M・オズボーン、アンドリュー・メイソン、 アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー、アーウィン・ストフ、ブルース・バーマン、共同製作ダン・クラッチオロ。
脚本アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー、撮影ビル・ポープ、美術
オーウェン・パターソン、衣装キム・バレット、編集ザック・ステーンバーグ、音楽
ドン・デイビス、視覚効果監修ジョン・ゲイター、カンフー振付ユエン・ウーピン。
出演は、キアヌ・リーブス(ネオ)、ローレンス・フィッシュバーン(モーフィアス)、
キャリー=アン・モス(トリニティー)、ヒューゴ・ウィービング(エージェント・スミス)、グロリア・フォスター(預言者オラクル)、ジョー・パントリアーノ(サイファー)、
マーカス・チョン(タンク)、ポール・ゴダード(エージェント・ブラウン)、ロバート・テイラー(エージェント・ジョーンズ)、ジュリアン・アラハン(ガエイポック)、マット・ドーラン(マウス)、ベリンダ・マクロー(リースウィッチ)、アンソニー・レイ・パーカー(ドーザー)。
古くない。改めて良かった。
昔見たけれどなんとなく難しいイメージがあって、改めてリバイバル上映を鑑賞。
ワイヤーアクションも既にやってるけど自然な感じだし、徐々に救世主へと覚醒するにつれ出来ることも増えるし顔つきも変わるのが素晴らしい。
最後にモーフィアスを救うためビルに潜入したときの、マントの下にこれでもかの銃器めちゃ武装が物凄くカッコ良かった!!
そのまま側転しながら銃撃ってしまうとか、どんだけ闘えるんだ君は〜~~!!(拍手!!)
あとトリニティの足蹴りも、迷わない狙撃もカッコ良すぎる。やっぱり強くてカッコ良い女子好きだ(笑)
名作はいつまでも名作だと実感しました。
見終えた今の時点で、映画マトリックスの世界観を完全に把握できたわけ...
見終えた今の時点で、映画マトリックスの世界観を完全に把握できたわけじゃない。だが、人間 vs AIという舞台設定のもとで、人間の信じる力を表現している映画だと感じた。
理解が足りていないのは分かった上で、30歳手前で観たのは間違いではなかったと思う。少なくとも、高校や大学生の自分ならこの世界観を十分に味わえなかったと思い至る。
この世界観を完全に理解出来ていないのは、精密なストーリーからだと思う。現実と仮想空間の行き来を理解するには、まだ経験や知識が足りていないのかもしれない。
最後に、エンドロールの音楽が良い。映画マトリックスが表現しようとしている、人間の底力のようなものを、音楽で表現するのに合っているように感じた。それはアーティストを少し知っているからかもしれないが。
リザレクション視聴後に見直してみた。
リザレクションをそんなに楽しめなかった自分として、マトリックスの最初の作品を見直してみたいなという気分が高まってきていたので再度視聴し直してみた。放映当時、映画館で見たかどうかは覚えていないが、2,3度は見ている作品だ。見た後の視聴後感は爽快だった。そして、見ていく中でトリニティに対して忘れていた事(具体的に言うと、彼女がネオが救世主になるキーパーソンであったという事)があった事を思い出し、見た後の思いとして、この第一作を見た後にリザレクションを見ていれば評価はいくらか高まったかもしれないという事だ。
今作で良かった点は3つある。一つ目は下品で直球な言い方だが、ネオとトリニティのビジュアルだ。ふたりとも若い。リザレクション後に見るとこんなに若かったんだというのと、トリニティについては特に、透明感ある白色の肌に薄い青の瞳で感動した。そして、ヒーロー物の主人公やヒロインは綺麗でないと感情移入できないのだろうということも感じた。
2つ目は、今作を見ていると、微妙に曖昧なニュアンスが視聴者に主人公ネオへの共感を催させ、没入感の中で覚醒していく体験をより臨場感と共感を持って体験させていくことに成功している点だ。どうせただのガス抜きで視聴後には皆映画の事なんか夢として忘れて現実に舞い戻る、と思うのだが、一時のガス抜きではあっても、逃避的指向(それこそマトリックス的な)を示しはしつつも、今作は自分の成長を願う視聴者に対して小さくともカンフル剤としての役割をもっていると信じている。
3つ目は預言者の予言の与え方と受け取り方についてだ。預言者は自分が言葉を相手に与える事によって、相手の人生を変えてしまう。これは予言が嘘であっても本当であっても預言者の言い方と予言を受ける側のその言葉への対応の仕方で変化する。これは預言者の自分の言葉の力の理解と相手への理解、そして相手の予言への先入観と意識の持ちようによって変化する。それがこの作品を見ていると、自分の理解がさらに深まった。預言者はネオにあなたは救世主ではないというが、モーフィアスがネオを信じていると言っている。そして、ネオに対して「だから彼女は好きに」という言葉を言っている事の意味を、ラスト近くでトリニティがネオに対して、預言者から言われた言葉としてつぶやいた言葉「私が愛したものが救世主」を聞いてから思い返すと、可能性の一つとして、預言者はネオを救世主だと分かっていて「あなたは救世主ではない」という嘘をその嘘の影響の顛末を描いた上で言っているのかもしれないと思い当たり、自分の日頃の言葉の使いようやものの聞きようについて少し考え直したほうがいいんじゃないかと思えてくるのだ。
次に今作の欠点であるが、強いて言えば、CG技術が今より劣っているため、思い出せる範囲では二箇所でリアリティの欠如を感じたくらいだ。
また、今作で気づいた点は、リザレクションでもそうだったが、劇の始まりに緑色の文字列が縦に流れていくシーンの文字はよく見てみるとカタカナが入っていることだ。外でも言われていることだが、これも監督による日本リスペクトかもしれない。露天市場で銃だが飛び交い野菜が乱れるシーンが攻殻機動隊をリスペクトされたシーンであることはそこらへんの知識を聞きかじっている人ならばわかるだろう。そしてもう一つ気づいた点は、全てのシーンが全体的に緑色のフィルターがかかって見える点だ。これは意図されたものなのかは知らないが、もしそうなら、リザレクションもそうだったかは覚えていないので、これも機会があれば見返したい。
印象に残った言葉は預言者による「救世主であることは恋をすることと同じよ」とモーフィアスによる「道を知ることと実際に歩むことは違う」
他にも今作でリザレクション後の人物について新たに疑問に抱いた事についてだが、エージェントのスミスが第一作ではマトリックス内にいる事を心底嫌だと言っていたのにリザレクション中ではマトリックス中での生活を楽しんでいた点。本音だと思うが、どういう心代わりかは自分は把握できていない。今後リザレクションや2,3作目を見る機会があればスミスを注目して見てみたい。
よく今まで観なかったな
いろんな考察がありますが、自分にとってはマトリックス世界は創作物の世界なのかなと。
創作の中にいれば楽ですし、現実よりもそっちに沈んでいたい人もいて、でも均整を保つために邪魔する人(スポンサー?)や、不自由だから不満になる人もいて…。
オタクとリア充の葛藤を描いてると感じました。
こんなどストライクな作品をよく今まで観なかったなって感じです。
真似して背中反らせたあの頃
"マトリックス" シリーズ第1作。
Netflixで2回目の鑑賞(吹替)。
斬新な設定とビジュアルで映画界に革命を起こした本作。今観ればありふれた描写ばかりだなと感じてしまいましたが、当時はかなり革新的だったのは間違い無く、パイオニアとしての輝きは素晴らしいものがあると思いました。
往年の香港映画のカンフーアクションやワイヤーアクションへの敬意が感じられるアクションシーンは、キアヌ・リーブスの切れ味抜群の動きも含めて見応えがありました。
バレットタイムのイナバウアーみたいな弾丸の避け方を、小学生の頃よく真似していたことを思い出し、懐かしくなりました。あんな風には出来なかったけれど(←当たり前)。
面白ぇ!んだけど
ちょいネタバレ有り?
前シリーズを観られた方には是非観て欲しい映画です次回作楽しみです。
個人的感想
アクションシーンは好きです。
ストーリーも好き。
がストーリー上の流れで仕方ないが、前シリーズのネオならもうちょいやれてたじゃん!余裕あったじゃん!いつ覚醒するんだ!?
とやきもきしながら観てました。
個人的にはキングダムハーツ2みたいな映画(色々理屈をつけてレベル1から始めさせる)だと思いました。
思い出したー!!初恋はネオ様だったこと
最新作前に過去作を見とこうと思って第1作目鑑賞。
そうそう思い出しました!
昔、ネオ様が両手をクロスして打ちまくるシーンをDVDで100回くらい見たこと。
ああ、カッコいい!
泣けるくらいキアヌがカッコいい!
大好きだー!!!
1999年の作品なのに古さをあまり感じない。
マトリックス最高ーーー!!
子供の頃の興奮には程遠く。
子供の頃、全然世代じゃないにも関わらず、
金曜ロードショーで見たイナバウアー銃弾避けを
良く真似していました。
若き日のキアヌリーブスの色気も後押しして
大好きな映画の一つでした。
やはり今は歳をとったということか。
前半1時間の世界観の解説でややこし過ぎて
睡魔をこらえるのに必死になりました。
あとから解説見ても世界観は理解できていたので
あんなに複雑に解説しなくても理解できるかと…
後半1時間、ネオに救世主の意志が目覚め始めてからの
アクションや映像観は1999年に作られたとは
信じ難いほどに見事で美しかった。
そしてインパクトのあるイナバウアーは懐かしい気持ち
にさせられた。少年の頃を思い出しました。
それ以外は自分にSFが合わないのもあるのか、
ストーリーには惹かれず、子供の頃の記憶で
とっとくべきだったかなと後悔。
終わり方も続編へという感じだったが、
そこまで気にならなかったので、
また時間に余裕がある時に見ようかな。
ただ若いキアヌリーブスとキャリーアンモスの魅力は
凄かった。
中学生くらいの時に必ずする妄想
子供の頃頭の中で描いてたことが目に見えるものになるとこんなにワクワクするなんて!
あんなに銃乱射されても当たらないし死なない人間たち
私もああなりたいもんですわ
預言者は敢えてああ言ったんだろうね、全てを知ってるからこそ
スプーン曲げのシーンも預言者の設定も正直よく分からなかったけどあのクッキーは非常に食べたかったしあのシーンが妙に心に残ってる
登場人物半分以上あっさりお掃除されててちょっち寂しかった
特撮と力業で押し通した映画
初公開当時は衝撃的だった(多分)のだろうが、今の目で見るとどうということはない。、同じ監督で失敗した『ジュピター』の世界観(人類はエイリアンの家畜である)は、この映画の世界観(人類は機械の電力源である)の延長にあったわけだ。その他、なぜキアヌ・リーブスが救世主なのか、とミラ・クニスがエイリアンの女王の生まれ変わりなのか、を全く説明していない点も同じ。絶体絶命のピンチの数々(一回死んじゃうもんね)を切り抜けるのもご都合主義が多くて話に説得性がない。★3つでもよいのだが、映画史的な意味で★半分だけオマケ。
The matrix has you... 世界を引っくり返したSFアクション!!
もうかなり昔の作品になりますが、今観ても面白い、文字通り世界を引っくり返した傑作です。この後にどれだけの作品に影響を与えたか計り知れません。まさしく「映像革命」の名がふさわしい。
当時は「兄弟」だったウォシャウスキー監督が、男子が格好いいと思う要素を全て注ぎ込んで作った作品。ウォシャウスキー監督も「姉妹」になってしまった後は作品に全くキレがなくなってしまい、本当に「マトリックス」一発屋になってしまっている事が悲しい!
キアヌ・リーヴスが若くてカッコいい!ローレンス・フィッシュバーンも若いですね。今ではお婆ちゃん一歩手前ぐらいのキャリー=アン・モスもこの頃はまだ若くて美人さんです。
前半戦はSF要素を入れつつもちょっとホラーチックでもあります。ヘソから虫が入っていくシーンとか子供に見せたらトラウマになれそう。そして、後半は「これでもかっ」というぐらいのアクションに次ぐアクション。画面の見せ方も独創的なので全く飽きずに見入ってしまいます。
流石に今観ると電話ボックス(きっと今の子は存在すら知らない)とか、パソコンの形とかに古さは感じますが、内容はいつ観ても全く古くならない革新的作品でした。
再鑑賞履歴
2021/12/5
再鑑賞履歴
2022/8/6
午前10時の映画祭にて
今となっては初めて観た時の感想は分からないが
1作目は設定も難解ではなく分かりやすいですし凄くスッキリして楽しめますよね
しかも凄いのが2015年に見ても作品として別に見劣りしてない事、勿論機材などは古いですが
映像表現として観ると今でも普通に見ていられる
改めて観ると残して置くべきキャラなども簡単に殺してる様に見えますね
何故か一人だけ白スーツが許されてる人とかとても気になる
ネオが現実世界に出るときも、その身体はコンピューター側が培養していた訳なので、モーフィアス達はワザワザ培養敵陣地に乗り込んでネオの身体を拾いに行った事になります
後のシリーズ世界観考えると凄い事してますね
しかしまぁ船が空中を飛んでるんだと初見で気付いた人居るのかな
自分は水の中だと思ってた
まさに『胡蝶の夢』
発想力の勝利とはこのことか。
わたし達の目にしているものが本当に現実なのか、脳内で神経回路が映し出している虚像に過ぎないのか、誰も知ることは出来ない。
世界観がとても良かった。アイディア勝負のSFで、この作品は上位に食い込むと思う。
裏切りのハラハラ度も、続きがとても気になるラストも良かった。
ただ、1つ言うとすれば、恋愛要素の根拠が不明だったので、そこの辻褄を合わせて欲しかった。トリニティーが何故そこまでネオに惹かれるのか、もっとネオの魅力を出して欲しかった。
予言者のネオに対する予言は、必要なことしか言わないという台詞から、きっとそういう風に言った方がネオの真の力が発揮されると分かっていたのだろうなと。そこはとても好きだった。
一番好きなのは、エージェントの、「人間はウイルスだ」という台詞。とてもしっくりきた。また観たい。
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