「この世界を重層的にたとえ話で描いた作品」マトリックス parsifalさんの映画レビュー(感想・評価)
この世界を重層的にたとえ話で描いた作品
「マトリックス」シリーズは、私にとっては最高に面白い作品です。ウォシャウスキー監督は、東洋思想、日本のアニメ等に造詣が深く、ドラゴンボール、攻殻機動隊、ブルースリーの映画などからのアイディアが散りばめられているだけでなく、キリスト教、パソコンの知識、哲学等の視点から、重層的にストーリーが展開するように見えて、色々と解釈ができるように思えるのが秀逸です。
キリスト教のイエスが、殆どを譬え話で語ったように、このストーリー全体が、譬え話になっていると自分は思っています。
この映画の肝は、現代の人間自体が、あのポッドに培養されているような人間になっていないかという問いかけなのだと。現代人は、自分で情報を自由に選択していますが、実はマトリックスのように、仮想現実を見せられているだけではないか?(現実は、国際金融資本や政治家、金持ち連中やマスコミ等が自分たちに都合がよくなる情報だけを流しているのではないか)という問い。実際、私たちが口にしている食べ物も、添加物等で味を調節されている。個々の人間が、マトリックスのように、巨大なシステムに頼り切り、与えられるもので満足している姿は、正にマトリックのあのマシンシティで培養されて生きているのと同様ではないのか。システムに反するものは、すぐに異端とみなされ矯正、排除されているのではないか。(実際に、アメリカでは一般市民の電話やメールも盗聴、検疫を受けているはず)実際、アメリカは、0.1%の富裕層が、下から90%と同量の富を所有しているわけですし。巨大なシステムを操るものは、人間から効率よく財や労働を搾取するように、情報をコントロールし、現実に気づかせないように娯楽を与え、搾取したものが自分たちに集まるように社会を作っている。そんな現実の社会のシステムに気づき、作り変えることを、この譬え話を通して促しているとみることができます。陰謀論者の人たちに、この「マトリックス」が崇められるのも理解できます。
キリスト教の視点からは、NEO→ONEのアナグラム=THE ONE→唯一の存在、救世主を待つ預言者、トリニティ→三位一体(ネオ、モーフィアス、トリニティ=神・精霊・子)、一度死んで復活して伝説となる等など。詳しくは、解説本を読むとわかります。
PC的な視点からすると、ソースへの遡行、エグザイル、プログラム、
ウイルス(システムを妨害する者)とウイルスバスター(エージェントやセンチネル)、バックドアなどなど。
哲学的な視点からすると、私たちが見ている者自体、感覚器を通してみ見えているものであり、本当の現実が顕れているわけではなく、仮想現実なのだという視点。そして、東洋的な思想、因果論からすると、自由意志ではなく、カルマという因果に縛られているのであるという視点。この世界は、陰陽のバランスが取れて、完全になるという世界観等など。
更に、日本のアニメ(攻殻機動隊、ドラゴンボール)やカンフーなどの影響も受けているわけだ。
そこに、ワイヤーアクション、ブレットタイムが加わるわけなので、これを重層的なストーリーとして理解しようと思うと、本当に複雑になってしまう。