「リザレクション視聴後に見直してみた。」マトリックス 葵須さんの映画レビュー(感想・評価)
リザレクション視聴後に見直してみた。
リザレクションをそんなに楽しめなかった自分として、マトリックスの最初の作品を見直してみたいなという気分が高まってきていたので再度視聴し直してみた。放映当時、映画館で見たかどうかは覚えていないが、2,3度は見ている作品だ。見た後の視聴後感は爽快だった。そして、見ていく中でトリニティに対して忘れていた事(具体的に言うと、彼女がネオが救世主になるキーパーソンであったという事)があった事を思い出し、見た後の思いとして、この第一作を見た後にリザレクションを見ていれば評価はいくらか高まったかもしれないという事だ。
今作で良かった点は3つある。一つ目は下品で直球な言い方だが、ネオとトリニティのビジュアルだ。ふたりとも若い。リザレクション後に見るとこんなに若かったんだというのと、トリニティについては特に、透明感ある白色の肌に薄い青の瞳で感動した。そして、ヒーロー物の主人公やヒロインは綺麗でないと感情移入できないのだろうということも感じた。
2つ目は、今作を見ていると、微妙に曖昧なニュアンスが視聴者に主人公ネオへの共感を催させ、没入感の中で覚醒していく体験をより臨場感と共感を持って体験させていくことに成功している点だ。どうせただのガス抜きで視聴後には皆映画の事なんか夢として忘れて現実に舞い戻る、と思うのだが、一時のガス抜きではあっても、逃避的指向(それこそマトリックス的な)を示しはしつつも、今作は自分の成長を願う視聴者に対して小さくともカンフル剤としての役割をもっていると信じている。
3つ目は預言者の予言の与え方と受け取り方についてだ。預言者は自分が言葉を相手に与える事によって、相手の人生を変えてしまう。これは予言が嘘であっても本当であっても預言者の言い方と予言を受ける側のその言葉への対応の仕方で変化する。これは預言者の自分の言葉の力の理解と相手への理解、そして相手の予言への先入観と意識の持ちようによって変化する。それがこの作品を見ていると、自分の理解がさらに深まった。預言者はネオにあなたは救世主ではないというが、モーフィアスがネオを信じていると言っている。そして、ネオに対して「だから彼女は好きに」という言葉を言っている事の意味を、ラスト近くでトリニティがネオに対して、預言者から言われた言葉としてつぶやいた言葉「私が愛したものが救世主」を聞いてから思い返すと、可能性の一つとして、預言者はネオを救世主だと分かっていて「あなたは救世主ではない」という嘘をその嘘の影響の顛末を描いた上で言っているのかもしれないと思い当たり、自分の日頃の言葉の使いようやものの聞きようについて少し考え直したほうがいいんじゃないかと思えてくるのだ。
次に今作の欠点であるが、強いて言えば、CG技術が今より劣っているため、思い出せる範囲では二箇所でリアリティの欠如を感じたくらいだ。
また、今作で気づいた点は、リザレクションでもそうだったが、劇の始まりに緑色の文字列が縦に流れていくシーンの文字はよく見てみるとカタカナが入っていることだ。外でも言われていることだが、これも監督による日本リスペクトかもしれない。露天市場で銃だが飛び交い野菜が乱れるシーンが攻殻機動隊をリスペクトされたシーンであることはそこらへんの知識を聞きかじっている人ならばわかるだろう。そしてもう一つ気づいた点は、全てのシーンが全体的に緑色のフィルターがかかって見える点だ。これは意図されたものなのかは知らないが、もしそうなら、リザレクションもそうだったかは覚えていないので、これも機会があれば見返したい。
印象に残った言葉は預言者による「救世主であることは恋をすることと同じよ」とモーフィアスによる「道を知ることと実際に歩むことは違う」
他にも今作でリザレクション後の人物について新たに疑問に抱いた事についてだが、エージェントのスミスが第一作ではマトリックス内にいる事を心底嫌だと言っていたのにリザレクション中ではマトリックス中での生活を楽しんでいた点。本音だと思うが、どういう心代わりかは自分は把握できていない。今後リザレクションや2,3作目を見る機会があればスミスを注目して見てみたい。