マスクのレビュー・感想・評価
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Syamu_gameとジム・キャリー
Syamu_gameというYoutuberがいる。この人はそのあまりのつまらなさ、言動のちぐはぐさから主にインターネットの露悪界隈を中心にカルト的な人気を集めているのだが、彼が愛好してやまない映画の一つが本作だ。
実際、彼の所作に注目してみると、走り方だったり笑い方だったりにジム・キャリー的な誇張性が表れている。笑い方などは特にそうで、斜め上を向きながら「アッアッアッア」と断続的な発声を行うさまはもはやジム・キャリー本人であるとさえいえる。
ここからはSyamu_gameの動画を渉猟したうえでの私見なのだが、おそらく彼は軽度の知的障害を抱えている。彼は発語や行動原理に一貫性がなく、他者世界というものを基本的に理解できていない。視聴者に何か指摘された際に的外れな反論でさらなる批判を招くことも多々ある。
さて、我々は彼のもたらすこうした無意識のコメディを単に面白おかしく消費しているわけだが、それは彼の人生を取り巻く窮状がまったくの他人事だからに他ならない。
しかし当事者であったならどうか。少なくとも私は窓のない牢獄に閉じ込められたような絶望的な気分になると思う。もっと自由に動きたいのに、喋りたいのに常に何かが自分自身を阻害している感覚。これほどもどかしいことはない。
本作『マスク』はこのような状況のまさに対極にある。冴えないサラリーマンのジム・キャリーは、マスクを被れば無茶苦茶で自由闊達なカートゥーンキャラに変身できる。彼の身体はゴムのようにグニャグニャ曲がって銃弾を避け、その口から発せられる冗談は絶世の美女さえ瞬く間に虜にする。やろうと思えばなんだってできるし、なんだって叶う。要するに精神世界と物理世界が地続きに繋がっている。
Syamu_gameが『マスク』を愛好する理由はおそらくここにあると思う。思考が現象に変換される過程で何らかの邪魔が入ってしまう彼にとって、精神世界がシームレスに物理世界へと繋がっている『マスク』の世界観は大いなる憧憬の対象だ。
これは完全に私がSyamu_gameに慣れ親しんだうえで本作を見たせいなのだが、ジム・キャリーがマスクの力で徐々に人生が好転していくさまを興奮気味に見届けながらも、ままならぬ人生を送り続けるSyamu_gameのことが頭の片隅に思い浮かんでしまってなんとも言えない気持ちになった。
ただまあSyamu_game本人はそのようなペシミズムには陥っていないようなので安心だ。彼にとっての「マスク」がなんとなくそれとなく見つかりますように、と密かに願う次第だ。
ゴムゴムの体
昔見た‼️❓悪夢‼️❓
マスクのかわり
本作品は私にとってとても大切な映画です
落ち込んでいたり悩んでいたりした時にこの映画を見て元気を取り戻せる
あまり深く考えずただ眺めているだけで大笑いしてすっかり塞ぎ込んでいた気持ちがどこか宇宙の彼方へ飛んでいく感じなのです
若い頃の話ですけどね
今回、久しぶりに見て思ったのは、「けして軽いおはなしじゃないのだ!」
そう思えたのは新しい発見
自分に自信のない若者がマスクの力を借りて思いのままに行動する、悪い面も少なからずありますが彼の場合は自分に素直になり臆せずに行動に出る
そんな勇気をマスクからもらえたのでしょうね
私に置き換えてみると「マスク」のかわりはなんだろうか
手っ取り早いのがお酒
お酒の味はこだわらず何でも飲みます
お酒が入ればふわふわして細かいことはどうでもよくなってしまう
いつのまにかニコニコして楽しくなるんですよ
だから今までやけ酒とかの経験は無いんです
だって楽しくなるんだから
長年、飲んでますけどいまだに酒の味がよく分からないのはそのせいでしょうね
たまに少々お高いサラッとした悪酔いしないお酒なんかを飲むととても残念な気持ちになっちゃうんです
たいして酔いもしないから高くて美味いけどつまんないな〜ってね
自分の力で楽しく生きたなら美味い酒のありがたみがわかるんだろうな〜
ほぼ頭空っぽで観れるギャグ作品。下ネタもそんなに気にならない。マイ...
キャメロン・ディアス絶頂期
キャメロン・ディアスに魅了された
カートゥーンと実写の融合表現
率直に言って面白かった。最後まで休憩せず見ることができた。それでいて、
マスクになった時のスタンリーが相手を小馬鹿にしながら陽気に自分のパワーを披露していく様がかっこいい。SMOKING!!!
この作品は日本で1995年に公開された。自分が子供の頃であり、この作品についてはCMやビデオ屋でインパクトのある緑の顔とコミカルなCG表現が印象深く、子供ながらに興味をもっていたのは覚えている。しかし内容が上品で無い事をこどもながらに感じていたのか、緑の顔が少し怖かったのか、どういう経緯か不明だが、結局今に至るまで見る事はなかった。他にも子供の頃見たかったが結局見ていない作品は思い浮かぶ。そういうのを今後も見ていきたいと思う。
先日バックトゥーザフューチャーを見た時に、創作物にはテーマ性がなければ価値は無いと自分は思った。が、この作品を見て、視聴者の気分を上げて最後まで楽しませてくれる面白さに触れることにより、テーマ性がなくとも他の何かがぶちぬけていたらその作品は価値あるものとなるなと思い返した。まあ、そうは言ったがこの作品はテーマ性が無いわけではないし、主人公の成長もある作品である。すなわち、この作品のテーマは人間社会において人がかぶる『マスク』についてであって、おたくでイケてない主人公スタンリーはマスクを手に入れることで自分の本音を周りにぶつけながら様々なトラブル、綺麗な女性と出会い、その中で自分の本音を回りにぶつけてもいいんだという事に気づき、本音で生きる方法と理想の女性を手に入れることとなる。
キャストについて思ったのは、スタンリーを演じるジム・キャリーが声優宮野真守に似ている(ただ感情表現豊かな顔をしているというだけかもしれないが)と思ったことと、キャメロン・ディアスが美しいなと思ったこと。キャメロン・ディアスについては年老いた彼女の印象しかなかったが、これが彼女のデビュー作らしく、そんな映像で見ることができる一番若い彼女の体ははちきれんほどの健康的でグラマスなボディでこれぞ米国で求められる魅力的な女性の理想像だと思った。
作品の設定でなるほどと思った点は、マスクがロキという北欧の神に通じるものであるという設定である。こういうふうに、古典や神話に結びつけると特にファンタジーやSFは物語に深みと説得力を与えてくれると思う。
人間はみんな仮面をかぶっている
主人公(ジム・キャリー)は不思議な仮面を手に入れ、かぶると別人になってしまう。
ナイトクラブの歌姫(キャメロン・ディアス)に一目惚れするが・・・。
笑いはワンちゃんが引き受け、キャメロン・ディアスのキュートさに胸をときめかせる。
キャメロンディアスが綺麗すぎる
変顔、元祖。 頭を空っぽにして観るが良し。
コテコテのギャグ。
そうか、『バッグズ・バーニー』とか、あのカトゥーンの世界か。倫理観なんてタンスにしまってみればいいのか。
と、最初はノリについていけず、お腹を抱えて笑いつつも戸惑うばかり。
でも、後半ぐっと面白くなりましたね。特にラストが好き♡。
ジム・キャリー氏の”顔芸”とあるけれど、緑のゴムマスクで、地なんだか演出なんだか、そこも戸惑うばかり。
でも、『マスク2』の予告と比べると、マスクになった時の大仰な振り付け、行動から行動への間とか、こちらのマスクの方が秀逸。(『マスク2』の皆さんごめんなさい。『マスク2』本編は未鑑賞)
古くは『メリーポピンズ』とか、アニメと実写を融合させた映画はあるけど。
まだ、CGもそんなに精巧ではない、この制作年代に、こんな作品を作ろうと発想したそのアイディアがすごい。
さらに凄いのは実際に観るに耐える映画にしちゃったところ。こういうのってアイデア先行で空回りしちゃうのが多いのに、アイディアだけで潰れていない。
コメディアンの笑いだけに、アイディアだけに頼らなかった所がすごい。
ペルソナ。日本でいうなら、人に見せる顔と自分だけの時の顔。
それを”マスク”を使って、こんなふうな映画にするなんて。
「どっちが自分?」「好きな人にどっちで会えばいい?」なんて普遍的なテーマが軸。
鉄人28号的なハラハラ、わっはっはもあり、
最終的にマスクの行方は?の落としどころも、まあ、そうね。
と、人物も、物語の筋もそれなりにちゃんとある。
周りが戸惑いながらもまきこまれていくとことか最高!!!
ヒロインぽいのが二人出てきて、さあ、と思ったら、意外な展開。
刑事さんがちょっぴりかわいそう。まじめにやっているのにねえ…。
それらを、おバカさ満載で、そのおバカさを俳優陣も楽しく成りきっている。
これだけ、幾重にも重奏されていて、すばらしい作品にならないわけはない。
とはいうものの、私的には、購入して手元に置くほどではないかなあ。
ちょっとドタバタしすぎているんです。そこがこの映画の良い所で、ドタバタなくしたらつまらない映画になっちゃうのだけど。難しいですね。
ただ、
キャメロン・ディアスさんが壊れやすい砂糖菓子みたいで、ため息出ます。
ディアスさんの演技では、『バニラスカイ』での女性が好き。恋する女性の切なさを演じていて(怖い役でもあるけど、本当に切ない)とても惹き込まれます。『私の中のあなた』ではヒラリ―・クリントンさんみたいな役を熱演されていて印象的でした。
でも、この映画のディアスさんも好き。出だしは悪役っぽいのだけど、まだ内面の暗さも強さもなく、ただただキラキラしている。観る価値あります。
マイロも最高!動物好きなら必見だと思います。
最高!!
「本当の自分」論争
周囲に気を遣ってばかりの、うだつの上がらないサラリーマンが「マスク」を手に入れることで自己を解放していく話。ここでのマスクは、「ペルソナ(社会的な役割)」、または「ペルソナを気にしすぎるペルソナ」を解放するモノとしての役割を果たす。
この映画を観るのは二度目で、数年前はよく理解できなかったが、改めて観ることで色々と発見をすることができた。
初見の際には、「仮面の自分」と「本当の自分」という二項対立で、最終的に「本当の自分がやっぱり素晴らしい」という陳腐なメッセージ性しか持たない映画なのかと思っていた。しかし、今回の視聴では「ある1シーン」に着目することで、全く違う印象を抱くことができた。
それは、主人公がヒロインの女性とデートの待ち合わせをする前に、社会心理学の教授と対話するシーンで、主人公は教授に対し、マスクをした自分と、マスクをしない自分、どちらでデートに行けば良いか尋ねる。すると、教授は、「どちらも素晴らしい君だ。マスクとしても、君としても会え。」と答える。これは、教授が半ば投げやりに言った言葉として取ることもできるが、「本当の自分などというものは存在せず、人間はさまざまなペルソナの集合体である。」と解釈することもできるのではないだろうか。
そうすると、この映画からは、「本当の自分vs仮面の自分」という二項対立ではなく、あらゆる自己を肯定するメッセージを読み取ることができる。
一点気になる部分としては、マスクの自分が起こした過ちに対する自己批判が足りないのではないか?と感じた。(エンディングで「マスク」と決別するシーンこそあったものの、物足りなかった。)
しかし、ジムキャリー演じるイプキスやペットのマイロくんのコミカルな演技が小気味よく、最後まで楽しんで鑑賞することができた。
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