「この特異な文字表現文学の映像化の難しさを目撃させられて…」まごころを君に KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
この特異な文字表現文学の映像化の難しさを目撃させられて…
若い頃に観た作品で、
かなり心に残っていたこともあり
再鑑賞を期待していたが、
これまでその機会がなかった。
ところが、今年になって
その原作本を読んだこともあって、
改めてDVDを探したら、
当時は「まごころを君に」というタイトル名
での上映だったものの、
現在は原作と同じタイトル名で
DVD化されていることを知り、
ようやく鑑賞出来ることに。
一方、ネット検索での「アルジャーノン…」では
他に映像化された作品しか出て来なく、
この“映画.com”では元の「まごころを君に」の
タイトル名での扱いだったことに戸惑った。
何十年ぶりかの今回の再鑑賞に際して、
当時は、「ソルジャー・ブルー」や「野のユリ」
も未見だったので、ラルフ・ネルソン映画
との認識も無かったし、
この作品でのヒロインの医師は、
私の生涯のベストテンの一作「ライムライト」
のヒロイン、クレア・ブルームであったこと
にも驚くことに。
しかし、この映画の出来としては、
原作がかなりの長編ということもあり、
上映時間の制約上、
やむを得ないことではあったろうが、
原作からの改編に無理矢理さを感じるばかり
で、また、何と言っても、
原作の“徐々に”感が無いことが
致命的に思えた。
この原作の優れているところは、
翻訳前の英語版でも似た表現なのだと
想像するが、
冒頭のまだ知的障害状態にある期間と、
再度その状態に戻っていく最終版の主人公
の台詞やモノローグが、
日本語翻訳では、全文ひらがなで、
例えば、小書きの“っ”等を省いたり、
“…は”を“…わ”と表現したりと、
主人公のその段階での障害程度を
文字力で表現すると共に、
その変化の“徐々に”感が、
その“文字”芸術として、見事に
表現されていることではないだろうか。
この映画でも、字幕スーパー上、
そんな手法を使ったり、
黒板を使っての描写で工夫しているものの
充分ではなく、
この特異な文学表現文学の映像化の難しさ
を目撃させられているような印象だった。
また、
多重映像などの手法にも安直さを感じたが、
そんな中でせっかく何ヶ所も
2画面手法を使いながら、
どうして主人公と鼠の迷路競争のシーンで
使わなかったのかが不思議に思えた。
元の知的状態に戻ることを確信した主人公が
恋人を突き放すラストシーンには
流石に涙を誘われたものの、
原作での、知的向上により希薄になる
人間関係への皮肉や、
人はどんな状態にあれども価値ある存在で、
それでも共に認め合う存在でもある等の
テーマに密接に絡む
「アルジャーノンに花束を」と伝言する主人公のシーンも台詞も無いことも
物足りない演出に感じてしまった原因だった
かも知れない。