幕間

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幕間

解説

「巴里の屋根の下」などで知られるフランスの名匠ルネ・クレールが、キャリア初期の1924年に手がけたダダイズムの短編映画。

画家フランシス・ピカビアによるバレエ公演「本日休演」の幕間に上映するために制作された作品で、20世紀の音楽に多大な影響を与えた作曲家エリック・サティが音楽を手がけ、ピカビアとサティに加えてマン・レイ、マルセル・デュシャンといったダダイズムの芸術家たちが出演。

「シュルレアリスム100年映画祭」(2024年10月5日~、ユーロスペースほか)上映作品。

1924年製作/22分/フランス
原題または英題:Entr'acte
配給:トレノバ
劇場公開日:2024年10月5日

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映画レビュー

3.0おっちゃんたちがとにかく楽しそう! ダダイストの稚気があふれるアヴァンギャルドの精華。

2024年10月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

シュルレアリスム100年映画祭、3本目その1。『貝殻と僧侶』と併映にて鑑賞。

というか、『幕間』は昔、何かの展覧会に合わせて観たことがあったのだが、このあいだのルネ・クレール・レトロスペクティブのときに大幅なリマスターが行われたのか、異様に画面が綺麗になってて、びっくりした!!
ほとんど、去年撮られたって言われても違和感ないくらいの、瑞々しい映像美だ。

20分強の、面白ドタバタ・アヴァンギャルド映画。
シュルレアリスム、というよりは、その前段のダダイズムの結実。
名匠ルネ・クレールの駆け出し時代の作品(2本目。商業公開された1本目)であると同時に、ダダイストの有名芸術家たちが総出で出演している貴重な映像記録でもある。
クラシック・ファンのあいだでは、あの「ジムノペディ」の作曲家エリック・サティが音楽を担当しているのみならず、冒頭の大砲ダンスに出演して、ぴょんぴょん楽しそうに飛び跳ねていることで名高い。あと、本作は「曲ピタ」を前提に作られた最初期の映画でもある。
サティの相方としてぴょんぴょんしているのが、本作の原案・脚本も担当したフランシス・ピカビア。屋上でチェスをやっている二人組がマン・レイとマルセル・デュシャン。いずれもダダの運動に参加した名高い芸術家たちだ。
おっさんたち、とにかくメチャクチャ楽しそうで何よりです(笑)。

一応、屋根から落ちた男の葬儀という筋らしきものはあるのだが、基本は実験的な映像を数珠繋ぎにしただけの特殊撮影&スラップスティック集で、1920年代の「映画で出来る遊び」をやり尽くしたかのような愉快な前衛映画だ。

冒頭、昔見たときには記憶になかったサル(コモンマーモセットに見える)の映像から始まってドキっとする。正規のフル・ヴァージョンは大砲の前段があったのか!
サル、煙突、曇り空。
屋上から見る街の風景。
勝手に屋上を走り回るキャノン砲(まるでシュヴァンクマイエル!)。
両横からスローモーションで飛び出して来るサティとピカビア。
発射される大砲のアニメーション。
逆位のカメラでとらえた屋根や煙突のショット。
顔が膨らんだりしぼんだりする、何かの乗り物(観覧車?)に乗る三体の人形(黒人?)。
足元から透明ガラス越しに撮られたバレリーナ(エッチ!)。
土曜ワイド劇場のOPみたいな光の明滅ショー。
街の風景にオーヴァーラップするボクシングのグローヴ。
またもシュヴァンクマイエルのように蝟集してくるマッチ棒のアニメーション。
頭の上で燃え上がるマッチ棒。
屋上でチェスに興じるマン・レイとマルセル・デュシャン。
折り紙の船と放水をオーバーラップさせた洪水の幻視。
じつは髭面のバレリーナ。
水流で噴きあがる種(卵?)。
それを狙い撃つガンマン(振付師のジャン・ボルラン)。
核から生まれ出たハトと語らうガンマン。
だが彼は、屋根に現れたピカビアによって撃ち落される……。
……と、ちょうどここまでが前半だ。

後半は、落ちた男の葬列(みんなでスキップ&ジャンプ!)と、ジェットコースター、魔術師と化したガンマンの「復活」といった調子で、えんえんと映像的実験が続けられる。
ポイントとなるのは、

その1 サティの前衛らしからぬ愉快なサロン音楽。
なんか野球の応援でもしているようなチャッチャラチャ! チャッチャラチャ! のリズムが、だんだん脳内を汚染してくる。

その2 リズミカルで楽し気なノリ。
扱われているネタはじつは「暴力」だったり「死」だったりするのだが、とにかく陽気で溌溂としているのが良い。

その3 ふんだんに使われる特殊効果。
ジャン・コクトーではないが、トリック撮影やオーヴァーラップなど映画の「技巧」を用いるのが楽しくて楽しくて仕方がない感じ。

その4 文士劇のごとき仲間内の内輪ノリ。
バレエ「本日休演」にかかわったダダイスト、音楽家、振付師が、まさに「幕間」に流す映画として企画した「悪ふざけ」を、みんな揃って全力でやり尽くしている。

ダダイストとは結局のところ、
いたずらっ子のようなものだ。

彼らを衝き動かしたモチベーションとは、おそらくなら、既存の社会への不満や政治的な怒りなんかよりも、まずは「なんでもいいからちゃぶ台をひっくり返してみたい!」という、強烈な「稚気」であり、「悪戯心」だったはずだ。
既存の芸術を破壊し、既存の美の規範を破壊し、既存のアカデミズムを破壊する。
ダダの精髄は、旧来的な「美」の概念から「芸術」を解放して、「びっくらかし」の衝撃までもその範疇に含めた部分にある。

『幕間』には、映画という生まれたばかりの新しいメディアを前に、噴出する遊び心を抑えられない、ダダイストたちの興奮と昂揚がしかと刻印されている。
エネルギーを持て余す芸術家たちの、やりたい放題。
既存の物語なんて要らない。既存のキャラクターなんて要らない。
とにかく面白いことがしたい。みんなをあっといわせたい。
『幕間』には、そんなダダイストたちの「若気の至り」が充満している。

1920年代の欧州におけるアヴァンギャルドは、60年代NYのそれに匹敵するか、むしろ上回るほどにぶっ飛んでいて、破格に壊れていて、それでも未来への根拠のない希望で満ちあふれていた。『幕間』は、そんな「前衛」の時代の空気を今に伝える、抜群にいかしたタイムカプセルのようなものだ。

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じゃい