炎のランナーのレビュー・感想・評価
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交わらなかった二つの走路。
○作品全体
この物語は、1924年パリオリンピックに出場した実在の選手たちをモデルにしている。ユダヤ系学生のエイブラハムスと、敬虔なスコットランド人牧師リデル。彼らの生い立ちや背景、そしてリデルが日曜開催の100m走を信仰のために棄権するという大事件まで、史実に沿って描かれている。異なる志を抱いた二人が、それぞれの信念を胸に努力し、強敵を破って栄光をつかむ…史実であるがゆえに、その達成には確かな重みがある。
だが、一本の映画として考えると、不完全燃焼だ。「頂点に立つ」というカタルシスはたしかにある。けれど二人の物語として考えると、「二人が交錯する」カタルシスがもっとあってもよかったのではないか。
ライバルという構図で見れば、二人の対決は一度きりで終わってしまう。天狗になっていたエイブラハムスを打ちのめすリデルの走りは、これからのせめぎ合いを予感させるものだった。ならば、その後エイブラハムスがどう巻き返すのか、リデルがどう応えるのか、互いの存在が相手をどう変えていくのかという「物語」がほしかった。だが史実通り、二人が再び相まみえることはなく、関係性のドラマも深まらないまま終わってしまう。
もちろん、「史実だから仕方がない」と言ってしまえばそれまでだ。しかし、この映画は随所でフィクションを織り交ぜている。史実に忠実であることを貫かないのであれば、オリンピック後の再戦を描くこともできたはずだし、たとえ再戦がなくとも、二人の人生がどこかで交錯する瞬間を描き込むことはできたはずだ。これは記録映像ではないのだから。
私がそう感じたのは、冒頭のアバンタイトルの存在が大きい。波打ち際をイギリス代表選手たちが並んで走るあのシーンだ。エイブラハムスも、リデルも、仲間たちも、皆が生き生きと走り、共にあることを喜んでいるように見える。そこは、異なる境遇と志を持った青年たちが偶然集えた奇跡の場所のようだ。だからこそ、彼らがどう出会い、どう衝突し、どう理解し合ってこの場所に辿り着いたのか。その道筋が語られなければ、あの場面は「ただ美しいだけのイメージ」に終わってしまう。もしくは、観客に「交錯の物語」を期待させておきながら、それを裏切るミスリードになってしまう。
さらに言えば、主人公を二人に据えたからには、その必然性がほしい。たしかに二人はともに短距離走者だが、物語上ではほとんど関わりがなく、その共通点も設定の域を出ていない。エイブラハムスはリデルの走りに衝撃を受けるが、リデルはエイブラハムスに視線を向けることもない。彼はひたすら自らの信仰と家族を見つめ、競い合うことすらしないのだ。
要するに、この映画は構成が欲張りに見えるのだ。反骨の学生の苦闘も描きたいし、信仰に生きる牧師ランナーの信念も描きたい。しかし史実の上では二人の接点は少なく、その点と点を結ぶことができない。それでも両方を描きたい、という制作側の欲が透けて見える。
異なる背景を持つ人間たちが交錯するからこそ、オリンピックは面白い。そして映画も面白くなるはずだ。しかし本作は、人物の個性やオリンピックという舞台装置に頼りすぎているように思う。たとえ交錯しなくても、彼らがそこに至るまでの軌跡を丁寧に追えば、もっと豊かな映画になったのではないか。
「炎のランナー」は、美しい音楽と美しいラストを備えた作品だ。だが、二人の主人公を掲げながら、その関係性が点と点のまま終わってしまう今の構成では、ひとつの作品としては不完全だ。
私は、波打ち際を共に走るあの青年たちが、どうしてそこに並んでいるのか。その物語を、もっと見たかった。
○カメラワークとか
・冗長なエスタブリッシュメントカットや、このシチュエーションならこうあるべき、というような「置きにいったカット」が多い。カメラを優雅にパンし、状況の全体像をゆっくり見せるカットがなければシーンが始まらないのか、と思うくらい、多くて、そして退屈だ。
人物の個性を語るでもない、ぼんやりとしたリデルのスピーチがあり、それに拍手する周りの人々、囲われてチヤホヤされ、地元の人と徒競走するリデル…みたいなシーンはその典型だった。リデルは人格者で、足が速いという設定を説明するのに多くの時間を割いていて、正直眠い。エイブラハムスがリデルに負けて打ちひしがれているとき、恋人へ悪態をつくシーンもだるい。ネガティブな方向へ行き、恋人にも悪態をつき、悪い方向へ向かう。その後あるポジティブな展開への布石として、あまりにも「置きにいってる」。そこに人物の掘り下げはなにもなく、その後に続く展開のためだけにあって、これまた眠い演出だった。
・エイブラハムスのコーチが、オリンピックで走るエイブラハムスを見られず、自室の窓から国旗が上がったことで歓喜するカットはとても良かった。直接は見ていなくてもエイブラハムスの勝利がわかる演出。帽子の頭を叩いて穴を開ける芝居も良い。このシーンだけはコーチの心情に語り過ぎずに寄り添った、とてもいい場面だった。
100年前のパリ・オリンピックにて‼️
1924年のパリ五輪に出場した実在の2人の長距離ランナー、エイブラハムズとリッデルを主人公に、それぞれの目的のために走る姿を描いた名作ですね‼️リッデルが出場する予選が日曜日で、その日は安息日。その安息日に "争い" のレースには出場できないと出場を拒否。皇太子らが説得にあたるが、国の権威よりも神の教えに従うところに強い感銘を受けました‼️競技の演出も正確で、スローモーションなどでごまかさず、正攻法で描き、当時の走法、フォームなどもよく再現されてます‼️ヴァンゲリスの有名なテーマ曲が流れる中、ランナーたちが海岸を走るシーンも印象的‼️
ジェシー・オーエンスが出現する12年前の話。
ジェシー・オーエンスが出現する12年前の話。
ユダヤ人に対する差別は、宣教師リデルにはなかったのか?安息日を走らない理由としているが、『ユダヤ人に負けられなかった』が真実なのではないか。映画ではエイブラハムのコーチがリデルの適正を見抜いたとしているが、ストライド走法とピッチ走法があることは分かっていたはずだから、エイブラハムのほうが100メートルには合っているとイギリス陸上界は分かっていたはずだ。
1924年と言えば、イタリアでムッソリーニがファシスト党で政権を取った二年後。また、イギリスもアヘン戦争を、とっかかりに中国へ乗り出す時期。また、インドは『リプトン紅茶』の看板が示す様にイギリス連邦の産業の要。つまり、世界史で習う『帝国主義』の時代。
さて、この3大会後に『ベルリン・オリンピック』つまり『民族の祭典』の時代になる。これから訪れる地獄の始まり。嵐の前の静けさと言った所だ。
製作のデビッド・パットナムは『小さな恋のメロディ』の製作者でもあったと記憶する。そう言えば、マーク・レスターがビー・ジーズの『ラブ・サム、バディー』をバックに走るシーンがあった。スローモーションを使った手法をこの映画は継承していると感じた。
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