「見事な逆転」ペパーミント・キャンディー 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
見事な逆転
物語はヨンホという男が陸橋を走る電車に身を投げるところから始まり、過去に向かって少しずつ後退していく。これがクリストファー・ノーラン『メメント』より1年前の作品だというから驚きだ。
物語序盤、つまりヨンホの人生の末期において、彼の性格はとても歪んでいる。憔悴している。苛立っている。すべてを失っている。そしてそれらの集大成として自殺がある。なぜヨンホはこのようになってしまったのだろうか?というプロセスへの疑問がこの映画のサスペンスとなって「過去」という名の未来を切り開いていく。
物語が列車のアレゴリーとともに過去へと進んでいくにつれ、ヨンホの性格は少しずつ精彩を取り戻していく。しかしどの時代区分においても彼の性格を歪ませる原因となるようなできごとが彼を襲う。その大抵が、彼本人の力ではどうしようもないようなスケールのものばかりだ。裏切り、仕事、兵役。
またそういったものに憔悴させられすぎたあまり、彼は取りこぼさずに済んだかもしれないものまで取りこぼしてしまう。些細な悪意から初恋相手のスニムとの関係に終止符を打ってしまったシーンなどはこちらまでやるせのない気持ちになる。
総じて見れば彼の性格は徐々に回復の一途を辿っているにもかかわらず、物語には常に暗澹たるトーンが漂っている。囚われた鳥がケージから飛び立とうとしたまさにその瞬間、振りかざされた網に捕らえられてしまうかのような歯痒い絶望感。
このように我々は時代を遡行するごとにヨンホの性格を歪ませてしまった原因を一粒一粒拾い集めていくこととなるのだが、これはヨンホの精神状態の推移とまるきり逆行している。ラストカットの清純たる彼の若い姿を見つめながら、我々はそのギャップにひたすら途方に暮れるしかない。
とはいえ最も印象深いのは、終盤で川べりの景色を眺めながらヨンホが放ったセリフだ。「この景色は前にどこかで見たことがある」。
この川べりの景色とは言わずもがな、映画の冒頭でヨンホが投身自殺を図ったあの陸橋と同じ場所だ。若きヨンホはそこで不可解な既視感に襲われる。彼がこのような感慨に至った理由は何だろうか?
身勝手な憶測とは承知の上だが、私はこれを現在と過去の位相転換であるように思う。
この物語は、現在のヨンホが走馬灯的に辿った追憶の軌跡だということができる。つまりそこで開陳される彼の過去というのは、あくまで現在の彼が思い浮かべる幻影に過ぎない。しかし過去の最後の一コマである若き日のヨンホは、一度も訪れたことのないはずの川べりで既視感に襲われる。あまつさえ意味深な涙さえ流す。まるで来たる未来における自分の死を予感したかのように。
回想される客体でしかなかった過去が、回想する主体である未来(つまり現在)を思い浮かべている、という逆転現象。いつの間にか物語の主導権が現在から過去へと移譲されている。
これによって出口のないこの物語の暗雲に一縷の光が差し込む。「救いようのない末路を辿る現在のヨンホ」が「過去のヨンホがなんとなく感じた幻肢痛」へと後退したことで、現在のヨンホのほうが非現実の存在となるのだ。そして記憶の中の、つまり過去のヨンホが現実の存在となる。平たく言えば「夢オチ」というやつだが、ここまで見せかたが上手いと肩透かしの感は微塵もない。よしんば夢オチだとして何が悪い?これは虚構なのだ。
見始めたときこそ「現在→過去という進行形式に必然性はあるのか?」と訝しげな私だったが、これでは否が応でも平伏せざるを得ない。韓国社会のリアルを抉り出す社会派映画であると同時に、物語位相を自由自在にコントロールする巧みなトリック映画でもあるといえるだろう。