ペパーミント・キャンディーのレビュー・感想・評価
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希望に満ちゆく物語が、私たちの心を暗転させる“逆再生の妙”
絶望の淵に立つ男が、迫りくる電車を目前に「帰りたい!」と咆哮する――まさに衝撃的、そして不可解さに満ちた場面で幕を開ける本作。7つのエピソードに分け、キム・ヨンホの20年にわたる人生が描かれていきます。
“逆走する電車”のモチーフが象徴するように、本作は「現在→過去」という手法によって紡がれていきますが、これがかなり痛切な描き方。20~40代をひとりで演じきったソル・ギョング(圧巻の芝居!)の表情には、ストーリーが進む内に“希望”が満ちていきます。しかし、これは裏を返せば、その“希望”が時間の経過によって失われていったということ。幸福を“獲得”しているはずなのに、私たちはそれらが“剥奪”されることを知っている。物語は“明るさ”を取り戻していくのに、私たちの“心”は暗転していく。「逆再生スタイル」は、他作品でも事例はありますが、何よりも演出&脚本が素晴らしいです。思わず唸ります。
また「現代→過去」という構成上、各場面で「何故こんなことをしたのか?」という疑問を抱くはず。鑑賞者はその問いを携えて、過去へ過去へと突き進んでいきます。勿論、これらの疑問の真相は、きちんと明かされます。「何気ない仕草は、この時代から来たものなのか」「このアイテムには、こういう思い出があったのか」等々。単なる伏線回収――と言ってしまえば、それまでですが、キム・ヨンホの人生を「過去→現在」で捉え直すと“時が経過しても、残っていたもの(or残ってしまったもの)”という意味合いが生まれ、妙に物悲しくなってしまうんです。
余談:キム・ヨンホの20年は、韓国現代史とともにあります。その中には「光州事件」の存在も…。近年では、この事件を題材とした「タクシー運転手 約束は海を越えて」という傑作も誕生したので、そちらも是非チェックを!
主人公と共に走馬灯を観る
キム・ヨンホという男の人生が巻き戻されていく映画。彼の人生をぶち壊した「道連れにしたい1人」(本人は絞れないと言っているが)は一体誰なのか。彼の20年分の走馬灯を共に観ながら考えさせられる仕掛けになっているのだが…。
彼の人生が「壊れた」のは、どの瞬間なのか…。うまくいっている様に見えるあの場面の時点で、本当はもう壊れているのではないか…。というより、そもそも彼の中に、自分の人生を選択しようという気持ちは存在していたのか…。
象徴的な「犬」の描き方と相まって、観ている内に次々と膨らんでくる疑問は、そのまま「おのれの人生はどうなのだ?」と、自分への問い返しとして跳ね返ってくる。
「自分の力が及ばない(ように感じてしまう)、社会情勢や組織や神などに対して、私は、あきらめや隷属や冷笑以外、どのような振る舞いをすればよかったというのだ!」
ファーストシーンで「帰りたい」と叫ぶ主人公の心のうちでは、そんな疑問が渦巻いていたのではと思わされる。
この後、「オアシス」や「シークレット・サンシャイン」につながるイ・チャンドンらしさの原点を見た思いだった。
近現代韓国史を深く知るには良い作品
今年424本目(合計1,074本目/今月(2023年12月度)25本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
本作品も見たくて、日替わりで復刻上映されているミニシアターまで行ってきました。
1999年だったか2000年だったかを「出発点」として、主人公視線で時代が「逆戻り」していく中で、現代(韓国史(1948~))の陽の部分と陰の部分とに視線があたります。
映画の趣旨としてどうしても、「当時の作品」であるために、1980年のパートの事件が何であるかは明記されませんが、描写から見て明らかに「光州事件」です。韓国映画は日本でも人気ですが、1948年以降の韓国の一部の歴史について「あえて触れない」フシがあるのは2023年「現在」においてもそうで(実際、2023年の映画でも光州事件を想定できるが「フィクションのお話です」と出ていた等)、この点いわば、「スープとイデオロギー」のように「日本に住む当事者からの立場」から描かれることが多いです(ただし後述)。
ただこの点、映画の作成時期を考えると、当時の韓国では完全な表現の自由は報道されていなかったのは事実で、それもそれで仕方がない、と思えます。そうした「韓国の特殊な事情」まで考えると本映画は精一杯の努力をしたといえ、減点なしの扱いにしています。
なお、映画そのものがフィクションのお話ですが(光州事件が想定できる描写もあくまでも何も固有名詞等出てこない)、1948年の韓国の成立以降の韓国の主要なクーデターほか色々なことを知っていると理解度がかなりあがります。
採点に関してはそうした点が気になるものの光州事件を固有名詞をもって描けなかった点に関しては仕方がないと思うし減点なしの扱いです。
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(参考/減点なし/韓国(大韓民国)の成立とそのあとのできごと)
韓国成立は1948年8月15日です。これと同じくして済州島4.3事件がおきましたが、「事件の勃発時点では」アメリカ対共産主義の戦いで韓国軍は関与していません(途中から関与するようになります)。少なくとも「最初から関与している」と考えるのは誤りです(最近何かと韓国に対するヘイトが大きいものの、歴史は歴史として正しく認識する必要がある)。
一方、同じく迫害事件として1948年10月19日の「麗水・順天事件」は明確に韓国軍のみの関与です(アメリカは関与していない)。この2つの事件はどちらも、命からがら日本に逃れる人が出てくるようになった事件ですが、「かかわった勢力が異なる」という明確な違いがあるので注意が必要です。
なお、朝鮮戦争以降から現在(2023年以降)に関しては、特段の事情がない限り韓国としての意思決定になります(朝鮮戦争勃発時~休戦協定まで一時期韓国のコントロールがきかず、アメリカがかかわっていたものは除く)。換言すれば「何でも韓国のせいにすればよいのではない」ので注意が必要です(特に済州島4.3事件に関しては「韓国軍は途中からかかわった」のであり、4.3の時点で韓国という国が存在していない点に注意です。
20年の時を経たピクニック
<映画のことば>
俺の人生を壊した奴は多すぎて、一人選ぶのは大変だ。
一人の青年・ヨンホをすっかりねじ曲げてしまったもの…。
それは、おそらく軍事政権下という特異な事情もあったと思うのですが、ヨンホにとっては人間的な自然な情愛の通じがたかったであろう軍隊での生活(人間関係)や、その後にヨンホが身を転じた、およそ法の執行機関と呼ぶに値しないほど腐敗しきった警察組織とであったことは、疑いのないことと思います。評論子は。
もともとは、花を愛でる気持ちを持ち、草花の写真を撮ることを夢にみていた一人の純真な青年が、ねじ曲げられ、完膚なきほどにまで人格を破壊され、ここまで荒(すさ)んで無軌道にすらなってきたプロセスが、何とも心に痛い一本になりました。評論子には。
そして、その変化・変遷は、20年前と、20年後との2回のピクニックに、端的に象徴されるのでしょう。
映画作品としても、現在から過去に向かって、だんだんと時間軸(因果)を遡るという構成は、ヨンホの人柄が静かに、しかし確実にねじ曲げられてきた過程をありありと描くには、優れた手法であったと思います。
加えて、一見では爽やかなイメージのお菓子である邦題の意味が、しっかりと回収されるという点も、映画作品の構成として、素晴らしかったと思います。
本作は、別作品『オアシス』が素晴らしかったイ・チャンドン監督の手になる一本ということで、鑑賞することにしたものでした。
そして、その期待は、少しも裏切られなかったと言うべきでしょう。
文句なしの秀作であったと思います。
後味は苦いけど、傑作
イ・チャンドン監督の出世作を初見。製作当時の1999年から、過去20年間の韓国現代史(光州事件、民主化運動、漢江の奇跡、IMF危機)を背景に、一人の男の人生を描く。
まず何よりも、現在から過去へ順々に遡っていく構成・脚本が秀逸。主人公の境遇や言動、人間関係、さらにはキーアイテムの存在も、なぜそうなったのかを解き明かしていく逆再生ミステリーの趣向。
その映像化を可能にしたのが、主人公ソル・ギョングの演技力。青年時代の気弱さ、刑事の頃のキレ方、羽振りが良いときの横柄さ、やさぐれた現在と、境遇に応じて変化しつつも、芯の部分では一貫性を感じさせ、説得力をもって演じきっている。
女性陣も、それぞれの役柄を素直に表現して、好演。個人的に一番好みなのは、群山の飲み屋の女の子。
さらには、イ・チャンドン監督の演出力。見せ場での長回し、しとしと降る雨、闇の中で体を合わせる男女など、70年代の日活映画(神代辰巳、藤田敏八など)を思い起こされた。
男が最後はどうなるかわかっているだけに、後味の苦みはきつい。しかし、本作が傑作であることは間違いない。これまで敬遠してきたが、イ・チャンドン監督の他作品も観てみたい。
ペパーミントキャンディーは青春の味。
1人のしがない韓国人男性の半生を、走馬灯で振り返る作品。「1999年春のピクニック」と「1979年秋のピクニック」を、時系列で続く一本の線を鉄道片山線路)に見立て、韓国の現代史を基本軸に個人のトピックを重ねていくアイディアはお見事。
それにしても、あの時代の韓国警察の苛烈さには直視できない。
シリアスなストーリー!
シリアスなストーリー展開でかなり重いです。シリアスなストーリーは実写は仕方ないみたいな所が、多分あります。ペパーミントキャンディーを観てからオアシスと2本続けて観るか、考えましたが、、、また今度にしました。スニム役のムン.ソリさんキレイだなぁー。
幸福への意志
過ちをきっかけに自分は幸せになってはいけないと、どこか信じてしまったのだろう。幸せになろうとする意志は大事だ。何度もやり直せるタイミングはあったが全て自分で台無しにしている。
人生の美しさに涙を流すような純粋さが国家や時代に翻弄されたとも言えるが、常に大事な局面で腹が座っていない。いつもフラフラし片足を引きずり過去を言い訳をしているようだ。
その場その場で女性に甘えているのも腹が立つ。コーヒー代払え。
鈍臭いやつに銃を持たせると本人も周りも不幸。途中までは楽しめたんだけど。あんな事件起こしたらもっと人生に責任持て。
映画の構成や逆さに走る車など、映画としては楽しめた。
容赦ない
国民を分断する暴力装置としての国家権力に翻弄され、ひとりの男がこうやってすり潰されてゆくのだということをこれでもかと描いてみせた。時系列を20年も遡ってひとりの男がどのようにすり潰されたのかを子細に観てゆくのはツラい…
そして行き着く先には光州事件が…韓国の方々にとってアレがどれ程の黒歴史なのかとも思い知らされる。
まぁ歴史改ざんしたりされていない分某国よりはマシとも言えるが。
それにしても20年遡って演じてみせた役者の方々、特にやはりソル・ギョングには脱帽…
しかしイ・チャンドンは容赦ねぇや…
ノワール映画じゃない。
イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K、にて観賞。
こめかみに拳銃を当ててる画像から、ノワールっぽい裏社会モノかなと思ってたら、思ってたのと違った(笑)
でも面白かったです♪
ノワールってより、ロマンスですね。
根底に流れてるのは。
ネタバレになるので、あまり言いたくないんだけど、
時間軸を戻す時の演出は秀逸、素晴らしいと思った。
この監督が巨匠だと言われるのが分かった気がした。
映画全体で捉えた評価は70点ぐらいかな?
オススメです。
PS.このレビューを書きながら、あれは、それは、最後は、そうゆう事だったのか?と、いろいろ気付きました。考察系です。
納得いかない
映画「メメント」が面白かったので、そのレビューで同じようにストーリーをさかのぼっていく映画を紹介している人がいて、その中の1本。この映画をずっと見たいと思っていた。
で、見た感想は。やはりストーリーの展開は面白いと思った。オープニングとラストがクロスオーバーするところは特に感動的とも言えるくらい。全体を通して伏線を回収していくところも。
でも、主人公の人生、ターニングポイントがいくつかあった中で、結局彼自身が選択したわけで、誰からも強制されたわけでない(兵役を除けば)。刑事の仕事なんて、なんで選んだの??って感じ。一番の間違いはスニムを選ばなかったことだろう。なぜ彼女を選ばなかったのか。最大の謎。
【”人生は美しかった筈・・。あの頃に戻りたい・・。”真面目だった兵士、刑事だった男の転落の人生を近代韓国の闇多き20年間を背景に、韓国の名優、ソル・ギョングが見事に演じきった作品。】
ー 私が、ソル・ギョング氏の存在を知ったのは、2017年公開作の「名もなき野良犬の輪舞」(お客さん、私一人・・・。)と、「殺人者の記憶法」(お客さん、私一人・・。)である。
特に、「殺人者の記憶法」でのソル・ギョング氏の(当時のパンフを読むと)極限まで減量した姿に”誰だ、この俳優は!”と思ったモノである。
それ以降のソル・ギョング氏出演の作品は、総て劇場で鑑賞する事に決めた事を思い出す。
そして「シルミド」を始めとした彼の作品を、配信にて少しづつ鑑賞している。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作の作品構成の見事さには舌を巻く。
冒頭の、ソル・ギョング演じる人生が破綻した男が、且つての級友たちとのピクニックに乱入するシーンと、彼が夢溢る若き日のピクニックとの連動シーンとの見事さ。
ー ”あの頃・・”と絶叫するソル・ギョング演じるキム・ヨンホの列車が近づく中での姿。-
・そして、物語は1999年のピクニックシーンから邂逅するスタイルで描かれる。
ー キム・ヨンホが若き,兵士だった時の光州事件(作中では、事件の名前は出ない)から始まる韓国の近代の負の歴史を背景に、キム・ヨンホが自国の体制について疑問を抱き、安寧なる道を捨てて、悪なる道に身を委ねていく過程。
重ねて書くが今作では、当時の韓国の政治体制に対するメッセージは明らかには描かれない。が、それ故に真面目だったキム・ヨンホの転落の人生を描く今作の監督、イ・チャンドンの手法が光るのである。ー
・「ペパーミントキャンディー」の劇中での使い方も絶妙に巧い。
ー 幸せだったキム・ヨンホが恋人で、後に妻となる女性に与えたペパーミントキャンディー。彼の人生を象徴するアイテムである。ー
<今作は、韓国の近代の光州事件を代表とする負の歴史に、正面から敢えて光を当てずに、それらの事件に人生を狂わされた、国の為に真面目に生きて来た男の生き方にスポットライトを当てた見事なる作品である。>
苦しい
・タイトルのペパーミントキャンディだけが、主人公にとって唯一の良い思い出の象徴で、とても寂しくなった。それが、韓国ではどういう位置付けの物なのかわからないけれど、多分、安価な駄菓子とかそういう感じな気がする。それが、最初に悲しみの象徴にかわり、どうなるのかなと思ったら、幸せの予感の象徴へと戻った。とはいえ、そういうのがあるだけ羨ましくなった。
・タイムリープのような事なのか、そうではないのか、そう見なくていいのか、少しわからなかったけれど、とにかく、運命というか人生ってこういう事だよなって気持ちになった。良い人生を目指して、どう転ぶがわからないっていうのか、、、。
・主人公のキムの変わってから戻るまでっていう普通とは違う反対の変化が、何か新鮮だった。
・キムは結局、誰かを殺したのだろうか、そして、新たに始まったと思われるラストから人生は美しいと実感できる人生を歩んでいるのだろうかと想像を掻き立てられる。
・若い時の判断というのか、それが悉く悪い方へ展開していっているような展開で確かに、若い時の漠然としたものって全然外れているから共感しかない。若い時にこの人が最高の人だろうと結婚するも浮気してるシーンと若い時に恋してるシーンとか、色々なシーンがリアルで複雑な気持ちになる。色々、見落としてる気がするけど、そういう話が多かった気がした。
苦しい、切ない
映画の構成と演技が素晴らしかった。今を生きる主人公の哀しさ、でもそれは昔からではなく、若く愛のある時代からどう導かれたのか、胸が苦しくなるほど切なかった。若かりし頃から現在まで、喜びから悲しみ、それらを演じきった俳優の演技力に脱帽。
2回以上見るには苦しい映画だが、一生に一回は見ておきたい映画。
見事な逆転
物語はヨンホという男が陸橋を走る電車に身を投げるところから始まり、過去に向かって少しずつ後退していく。これがクリストファー・ノーラン『メメント』より1年前の作品だというから驚きだ。
物語序盤、つまりヨンホの人生の末期において、彼の性格はとても歪んでいる。憔悴している。苛立っている。すべてを失っている。そしてそれらの集大成として自殺がある。なぜヨンホはこのようになってしまったのだろうか?というプロセスへの疑問がこの映画のサスペンスとなって「過去」という名の未来を切り開いていく。
物語が列車のアレゴリーとともに過去へと進んでいくにつれ、ヨンホの性格は少しずつ精彩を取り戻していく。しかしどの時代区分においても彼の性格を歪ませる原因となるようなできごとが彼を襲う。その大抵が、彼本人の力ではどうしようもないようなスケールのものばかりだ。裏切り、仕事、兵役。
またそういったものに憔悴させられすぎたあまり、彼は取りこぼさずに済んだかもしれないものまで取りこぼしてしまう。些細な悪意から初恋相手のスニムとの関係に終止符を打ってしまったシーンなどはこちらまでやるせのない気持ちになる。
総じて見れば彼の性格は徐々に回復の一途を辿っているにもかかわらず、物語には常に暗澹たるトーンが漂っている。囚われた鳥がケージから飛び立とうとしたまさにその瞬間、振りかざされた網に捕らえられてしまうかのような歯痒い絶望感。
このように我々は時代を遡行するごとにヨンホの性格を歪ませてしまった原因を一粒一粒拾い集めていくこととなるのだが、これはヨンホの精神状態の推移とまるきり逆行している。ラストカットの清純たる彼の若い姿を見つめながら、我々はそのギャップにひたすら途方に暮れるしかない。
とはいえ最も印象深いのは、終盤で川べりの景色を眺めながらヨンホが放ったセリフだ。「この景色は前にどこかで見たことがある」。
この川べりの景色とは言わずもがな、映画の冒頭でヨンホが投身自殺を図ったあの陸橋と同じ場所だ。若きヨンホはそこで不可解な既視感に襲われる。彼がこのような感慨に至った理由は何だろうか?
身勝手な憶測とは承知の上だが、私はこれを現在と過去の位相転換であるように思う。
この物語は、現在のヨンホが走馬灯的に辿った追憶の軌跡だということができる。つまりそこで開陳される彼の過去というのは、あくまで現在の彼が思い浮かべる幻影に過ぎない。しかし過去の最後の一コマである若き日のヨンホは、一度も訪れたことのないはずの川べりで既視感に襲われる。あまつさえ意味深な涙さえ流す。まるで来たる未来における自分の死を予感したかのように。
回想される客体でしかなかった過去が、回想する主体である未来(つまり現在)を思い浮かべている、という逆転現象。いつの間にか物語の主導権が現在から過去へと移譲されている。
これによって出口のないこの物語の暗雲に一縷の光が差し込む。「救いようのない末路を辿る現在のヨンホ」が「過去のヨンホがなんとなく感じた幻肢痛」へと後退したことで、現在のヨンホのほうが非現実の存在となるのだ。そして記憶の中の、つまり過去のヨンホが現実の存在となる。平たく言えば「夢オチ」というやつだが、ここまで見せかたが上手いと肩透かしの感は微塵もない。よしんば夢オチだとして何が悪い?これは虚構なのだ。
見始めたときこそ「現在→過去という進行形式に必然性はあるのか?」と訝しげな私だったが、これでは否が応でも平伏せざるを得ない。韓国社会のリアルを抉り出す社会派映画であると同時に、物語位相を自由自在にコントロールする巧みなトリック映画でもあるといえるだろう。
よかった
過去にだんだんさかのぼっていく構成。みんな楽しそうな河原でのバーベキューに主人公が一人だけ全く違う空気で存在していたのが面白い。ビニールハウスで生活している人を初めて見た。いざとなったらそういうのもありではないか。
優しい手
過去に遡ってそこに劇的なものがある訳ではなく、たださりげない温かさだけである。この辺りがイチャンドンらしく感じる。優しさを置く場所を見失った男が、公権をかざして未成年相手にその握り拳でマウントして、鏡に向かってポーズする劣化具合。滑稽であるが自我が遠のく名シーン。従軍時の事件は光州事件設定とは知らなかった。尋問のシーンといい最近の韓国映画にも通づる。しかしあのビンタは役者稼業といえども辛かろう。
あの日
国家権力の手先として、少女を殺してしまったあの日。あの日に帰れば、まともに人生をやり直せる。光州事件で権力の犠牲になったのは、銃を向けられた側だけではなく銃を向けたヨンホ達もです。これは、日本人でもアメリカ人でも戦争に行った人なら必ずPTSD、自暴自棄になった構図と同じです。つまり、圧政も戦争も権力以外の人間には必ず強い傷が残るのです。
盧武鉉や文在寅がこの民主化側で闘っていたことも凄いことですよね。やはり、時代は必ず変わる。盧武鉉がイ・チャンドンを文化観光部長官にしたから、世界で勝負できる気骨ある映画が沢山出てきているのだと今更ながら思いました。パラサイトもそうでしょう。映画をはじめとする様々な文化が素晴らしいのは、今を生きている人も故人の影響を受けて次世代に受け継がれるところなんですよね。
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