劇場公開日 1987年4月18日

「堕落後に回想しても復元できまい」ペギー・スーの結婚 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)

1.0堕落後に回想しても復元できまい

2017年8月3日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

1986年の映画『ペギー・スーの結婚』は主人公が1960年にタイムスリップしてしまうが、将来結婚する事になる恋人と、ダンスの後の車の中で、タイムスリップする前のペギーが、男に結婚するまで性行為はしないと言っていたのに、1986年の心を隠したペギーは、男に性行為を迫ってしまったため、今度は男のほうが怒りだす。この違いが、1986年と1960年の性倫理の感覚の違いであり、1986年には性倫理は崩壊しているのだが、1960年と1986年の間に性倫理を崩壊させた時期があったからである。ところが、1960年の男が結婚前は性行為しないと言う性倫理の中でも、ディープキスまでは何とも思わずしていた。実際には1986年に創作されたフィクションなのでそれも1960年当時していなかったかどうかわからないが、思い出すのは、今井絵理子参議院の発言の『一線は超えていません』である。沖縄県と言うのはアメリカに占領されていて、沖縄の事を悪く言うと非難ごうごうとされるのはわかりきった事だが、あえて言えば、今井絵理子は1960年から1986年を超えた時代の沖縄のアメリカ人だろう。神戸市の橋本歯医者は何人なのかとてもわからなくなってしまった。両者とも美しい日本人ではないはずだが、美しい日本人なんていなくなってしまったのかも知れない。アメリカの奴隷ばかりだ。アメリカの感覚の毒がわるく思えないのは私も染められてきた。もっとさかのぼれば性教育を指導したのもアメリカだっただろうに。良くても悪くてもアメリカのいいなりで真似しているだけか。アメリカが反省を終える頃には日本は性倫理崩壊したまま死んでいるわ。

Takehiro