劇場公開日 1999年10月9日

「フルCGの映像表現に度肝を抜かれました。」ベオウルフ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0フルCGの映像表現に度肝を抜かれました。

2008年4月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 まず映像表現に度肝を抜かれました。フルCG作品というけれど、どう見ても実写に見えるのです。『ポーラエキスプレス』のときはフルCGらしいらしい映像でした。ところがこの作品は、実写と変わりません。
 仕掛けとしては、身体ぴたりとあった合成繊維のスーツを役者さんが着込んで、そこに無数のデジタルセンサーを取り付け、人体をモデリングしているそうなのです。
 撮影は、ボリュームと呼ばれる40台ものカメラが設置可能な箱形スペースで行われて3次元的に、演技内容が「記録」されたそうなですね。
 『パフォーマンス・キャプチャー』と名付けられたこの技術には、ゼメキス監督自身次なる進化を考えているようです。それはキャスティングした役者と似て非なるキャラクターを創作すること。それによっておそらく革命的な映像表現が可能となるでしょう。
 次回作も楽しみです。

 ストーリーは、イギリスの叙事詩が原典になっています。ゼメキス監督は、この詩にとりつかれ10年間も映画化を検討してきたそうです。
 この物語の面白い点は、勇者が決して勝利者でなく、その名誉には訳ありであったということです。そこに「呪われた勇者」という副題の謎が潜んでいます。
 特に原典にある、怪物グレンデルが冒頭登場したときなぜフローレンス王を襲わなかったのかとう見逃しがちなことも重要な複線になっていますから、ご注目を。

 それにしても、『指輪物語』の作者トールキンが再評価した原典と、『ロード・オブ・リング』のスタッフが再結集して製作しただけの作品とあって『ロード・オブ・リング』のファンにとっては、懐かしいテイストたっぷりの納得の1本でした。まさにファンタジーの王道をいってますね。

 お約束の、竜とのバトルになる、ラストの30分は、迫力全開で素晴らしい~!

●ここからネタバレ編(これからという人は、見ないでね!)
 原作と今作が唯一違う点は、アンジェリーナ・ジョリー演じる怪物グレンデルの母の存在です。原作では、怪物グレンデルは一度もフロースガール王国を攻撃しないで、苦しめているだけなんです。それは何故か?ゼメキス監督は、その謎に苦しみました。そしてグレンデルの父親は誰か?ふと沸いた疑問で、グレンデルの言動に筋道を付けることができたそうです。つまり原典にはないグレンデルの母親の存在を加えることで、単に辻褄を合わせただけでなく、物語に広がりを持たせました。

 彼女を"邪神"として描く事で、一介の兵士でしかなかったベオウルフが"王"に成り得たという設定を"契約"というで表現して、ベオウルフの勇者時代と王になった時代の断続した原典の二部構成を無理なく一本に取りまとめることに成功したのです。

 しかし、とかく原典に、新たな要素を組み込むとどこかに無理が生じてくるというものです。
 つっこみどころとしては、グレンデルの母親は、何故か子供を求め、勇猛果敢で優秀な遺伝子をもった英雄を好んで選んでいます。
 何故に彼女が子供を欲しがっているのかということもありますが、出来上がったに怪物よって、何故か人間界への対応が違うのです。
 グレンデルは人間界の宴の歓声や楽曲や煩しいという理由で殺戮しますが、ドラゴンとなるもう一匹は、「契約違反」により父王の愛する女性を殺そうとするといったように、出来上がった子供の行動に統一性がありません。
 グレンデルの母親の存在自体も謎のママ。(幸い演ずるアンジーのお腹はまだ出てませんでした)。

 ラスト30分は、ベオウルフとドラゴンの一対一の対決シーンです。ここはもうファンタジー映画の醍醐味を味わいさせてくれるシーンが凝縮していました。見ているだけで興奮を覚える最高に素晴らしい出来栄えです。全くCG臭さはありませんでした。そして畳み掛けるようなスピード感溢れるストーリー展開と迫力に満ちたアクションシーンだったと思いましたね。
 特に、ドラゴンのモデリングはリアルで素晴らしいです。躍動的で優雅な飛翔シーンが良かったです。

流山の小地蔵