劇場公開日 1947年6月25日

「親として必要なこと」ブルックリン横丁 根岸 圭一さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0親として必要なこと

2025年5月18日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

 家事や教育に日頃から口うるさい母親ケイティよりも、優しくて愉快な父親ジョニーや伯母の方が、子供たちに人気があるのは当然のことだ。だが母親のケイティの口うるささは、親として成さねばならない面倒なことを彼女が一身に引き受けている以上、当然の部分もある。逆に父親のジョニーが優しいのは、そういった面倒なことを母親に押し付けて、自分は口うるさく言う必要が無いからでもある。言い換えれば、母親は嫌われ役を買って出て、父親は美味しいとこどりしている様にも見える。

 だが、一見すると駄目なジョニーや伯母(ケイティの姉)の言動には、教育の本質を捉えている部分もある。例えば伯母の「厳しいだけじゃ駄目」というケイティへの忠告は、親の視点ばかりで子供の視点を忘れた妹に対する、深い意味が込もった言葉だった。ケイティには、表面的にはこの言葉の意味が理解できても、腑に落ちてはいなかったはずだ。だが、ジョニーの死により、自分が父親と母親の役割を両方担わなければならない立場になってみて、ケイティはようやくこの伯母の言葉の意味を本当に理解したのだろう。自分は忙しさを言い訳にして、娘の作文すら読んでいなかった。今までの自分は、子供たちに対して一方通行な接し方をしていたのだと。彼女は親として本当に大切なことを学んだのだった。

 私見では、厳しい教育って一定以上は意味を成さないような気がする。厳しい教育が意味を成すのって、教育を受ける側が教育者に尊敬の念を持ち、その厳しさから学ぶ意思があるという条件付きなのではないだろうか。そして、教育を受ける側のキャパシティや成長意欲も人それぞれなので、厳しさが必要な度合いも人によって変わってくると言える。その、相手が教育を受け入れる下地を作るのが、ジョニーのように子供(相手)の視点を持った日頃のコミュニケーションだと言える。これが無いと一方通行なやり取りになりがちで、厳しい教育もあまり意味を成さないように思う。

 福山雅治主演の『そして父になる』という邦画があるけれど、テーマ的にはそれの母親版みたいな映画だなと思った。あと、前回観たときはそんなに印象に残らなかった今作だが、多分前回観たときより成長したのか、家族の絆を丁寧に描いた感動作だと感じる鑑賞となった。今作が『波止場』のエリア・カザン監督なのも知り、彼の他の作品にも興味が出てきた。

根岸 圭一