「跳梁するミザンセーヌ」フルスタリョフ、車を! 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
跳梁するミザンセーヌ
常に喧騒が画面を囲繞している。老婆が叫び犬が鳴き、車が走り鳩が舞う。それら被写体の動性に誘われるようにカメラが回り出し、フレームが形を変える。「長回し」という映像技法が歴史的に孕む退屈主義とは一切無縁の、言うなればオーソン・ウェルズやアルフレッド・ヒッチコックに先祖返りしたかのような、運動に満ち溢れた長回し映画だった。
道の真ん中で急に開く傘とか、カメラの動きに同期して飛び立つ鳥たちとか、非人間的なオブジェクトが不意にフィクションを背負う瞬間が何度もあってドキッとした。
人間の力ではどうにもならないもの、あるいは人為性を介入させるべきではないものを、いかに「映画」化できるかが監督としての正念場だが、その点アレクセイ・ゲルマンの手腕に淀みはない。
ソ連を覆い尽くす雪との巧みな戯れは言わずもがな、森林を浸す濃霧や機関車の吐き出す黒煙でさえも、まるでそう流れることを予め運命づけられたかのようにミザンセーヌとして完全に調和していた。
物語の筋は徹頭徹尾意味がわからなかった。しかしそれこそが本作を観ることにおける最大の僥倖だった。頭の中で筋道を立てたり、何が何のアレゴリーであるかを推察したりといった労苦から解放され、ひたすら画面上を乱れ舞う動きの連鎖に耽溺するという体験はしようと思ってもなかなかできるものではない。己の歴史的無知に乾杯!
少将が車のドア越しにカラスと目を合わせるシーンが本当によかった。ネコを風呂の中にバチャバチャ沈めるみたいな横暴さもよかった。動物を雑に扱う映画って倫理を犯しているだけあって映像的な面白さが割と担保されてるから最高なんだよな。エミール・クストリッツァ『白猫・黒猫』、ロベール・ブレッソン『バルタザールどこへ行く』がそうであるように。