「奇跡と幻滅の間で」ブリキの太鼓 sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
奇跡と幻滅の間で
久しぶりの鑑賞となったが、今回の方が初見時よりも色々な意味で衝撃が大きかった。
映画としての芸術性の高さや、内包する圧倒的な熱量から紛れもない傑作であることは間違いないのだが、手放しに賞賛できない問題を抱えた作品であるとも思った。
その個人的な見解は後ほど述べるとして、物語は3歳で成長を止めてしまったオスカルの視点で進んで行く。
とにかくグロテスクな描写の多い作品だ。
オスカルはもう生まれた時点で世の中のこと、大人の世界の醜さを分かっている。
母親の胎内に戻ることが叶わないと悟った彼の望みは、大人にならずに子供のままでいること。
3歳になったらブリキの太鼓を買ってあげるという母親の言葉だけを楽しみに、彼はとりあえず3歳までは成長する。
そしてブリキの太鼓を手に入れた彼はある日事故を装い、そのせいで成長が止まってしまったのだと大人たちに錯覚させる。
片時も太鼓を離さないオスカルは、それを取りあげようとする大人がいれば奇声を発してガラスを粉砕する。
これがオスカル少年が授かった力だ。
とても強力だが彼が壊せるのはガラスだけ。
後にそんな彼の力がとても無力なものであることを思い知らされる。
さて、オスカルの目に映る彼の拒絶する大人の世界とはどんなものか。
彼の母親のアグネスは従兄弟のヤンと料理人のアルフレートの二人に惹かれている。
実際に彼女が結婚するのはアルフレートの方なのだが、果たしてオスカルの父親がどちらなのかは分からない。
オスカルはアグネスがアルフレートに隠れてヤンと関係を持っている現場を目撃してしまっている。
それはやはり彼の目には裏切りと映るのだろうか。
時代がナチスドイツへと傾倒していく上で、アグネスが愛情の有無はともかくアルフレートの側を離れられなかったという事情には納得出来る部分もある。
アルフレートは熱心なナチス党員であり、ヤンはポーランドの血を引いているために抑圧される側の人間だった。
ユダヤ人でおもちゃ屋の店主であるマルクスは、密かにアグネスに想いを寄せており、彼女の味方になって色々とアドバイスを送る。
そんなマルクスにオスカルも懐いていた。
しかしマルクスは後にナチスによって殺害されてしまう。
アグネスが魚を食べ続けるという過食症によって亡くなるシーンも衝撃的だったが、彼女が耐えられなかったのはやはりオスカルへの罪悪感だったのだろうか。
ヤンも反乱軍に加わったために銃殺されてしまう。
そして力を持っていたアルフレートも、やがて戦況が大きく変わったことで窮地に立たされる。
そして最後は無惨な死を遂げる。
実はアグネスの死にも、ヤンの死にも、アルフレートの死にも、オスカルはかなり直接的に関わっている。
実はオスカルは死神のような存在なのではないかとも思ってしまった。
常に目を瞠るような表情が不気味なオスカルは、正直まったく可愛げがない。
これは演じるダーフィト・ベンネントが役にはまり切っていて見事なのではあるが、それがかえって複雑な気持ちにもさせられた。
一応映画の中ではオスカルは見た目は変わらないが年を重ねているという設定になっているが、演じる役者はずっと10代のダーフィト少年のままなのだ。
映画の中盤以降はかなり際どい性的描写がある。
特にオスカルの初恋の相手マリアとの絡みは、今なら絶対に許されないだろう。
確かに傑作を残すために自分の人生を犠牲にしてきた人たちはたくさんいるだろうが、それがまだ自分では人生を決められない子供のこととなると話は別だ。
ダーフィト少年の情報はほとんど知らないのだが、この作品以降に彼が目立った役を射止めたという記述はどこにもない。
事実は分からないのだが、この映画の印象があまりにも強すぎるために、その後にイメージを払拭するのは難しかっただろう。
マイノリティに対する偏見とも取れる描写もあるが、これは原作者のギュンター・グラスの生い立ちが影響している部分もあるのだろう。
今の時代だからこそ感じる複雑さもあり、これがもう二度と作られない傑作であることに敬意を表するものの、もう二度と作ってはいけないのだと考えさせられる作品でもあった。
個人的には冒頭でアグネスの母親がスカートの中に放火の常習犯を匿い、そのまま妊娠するシーンが一番印象に残った。