「二つに挟まれて翻弄される叙事詩的物語か」ブリキの太鼓 parsifal3745さんの映画レビュー(感想・評価)
二つに挟まれて翻弄される叙事詩的物語か
この物語が描かれるダンチッヒは、現在ポーランド領であるが、ハンザ同盟の都市であり、プロイセンの貿易港として発展した都市。ポーランドとドイツの力関係で、領有が行ったり来たりした都市で、複雑な事情を抱える街。一方、この主人公オスカルの家系も、祖父は放火犯の犯罪者であり、そこから生まれた母は、料理人のマツェラートと従兄弟のヤンとを天秤にかけ、どちらにも色目を使っている。国の事情と相似の関係にも見える。オスカルは、色と欲が横行する大人世界に嫌気がさして、3歳の誕生日に自ら成長しないことを望み、階段から落下する。父マツェラートが地下室への扉を閉め忘れたのをなじった母アグネスは、その後、従弟のヤンと不倫関係に陥る。人間の欲望が充満して、破裂すると戦争が起きるっていう繋がりなのかもしれない。
オスカルは、この映画では、この映画では狂言回しの役でもあり、事件や人の死のきっかけを作っている。アグネスとヤンとの不倫関係、母アグネスの死、ヤンの死、父の死、コリヤイチェクの死など。悪気のない悪戯に見えるが、悪魔的にも見えるところがあった。
成長を止めたことで、オスカルは人間関係から隔絶されて、客観的でシニカルな視点で、この第二次世界大戦前後のダンチッヒを描き出している。
性的なシーンも多く、砂浜で漁をしていた漁師が牛の頭蓋骨を餌にして、ウナギを引き上げるシーンは、特に記憶に生々しく残る。戦争のあった時には、大きなウナギが上がるということは、人間の死体を食らったウナギが肥え太って上がるということか?これは、戦時の贅沢な食事は、犠牲者によって賄われているという比喩か。アグネスが、それを見て吐き気をもよおし、その後、自暴自棄になって死んでしまうのが印象的だった。自分たちのグロテスクさに耐えられなくなったかのよう。
オスカルは、同じく小人のマルクスなどと気心を通じさせて、彼ら独特の世界を作るのも狂気じみていた。体の大きさが、色と欲の大きさを表しているかのようで、小人たちは、人を喜ばせる道化を演じながら、決して大人のような汚い世界には生きないと宣言しているかのよう。戦時下において、純粋さを守るためには、別な世界を作る必要があるのか。
父の死によって、カシュバイ人の縛りがなくなったオスカルは、自ら受け入れて、成長することを選び取る。カシュバイ人は、著者ギュンター・グラスの母の出身地とか。「ブリキの太鼓」は、彼の成長とともに感じた心理面を映し出した小説なのかもしれない。