劇場公開日 2023年3月31日

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「ゴードン・イズ・アラ~イブ! 徹頭徹尾バカだけど、誰も傷つけない愛すべきおバカ映画。」フラッシュ・ゴードン じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ゴードン・イズ・アラ~イブ! 徹頭徹尾バカだけど、誰も傷つけない愛すべきおバカ映画。

2023年4月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

くっ、くっだらねえええ……(笑)
だれだよ、こんなひどい映画つくったの。
(もちろんディノ・デ・ラウレンティスだがw)
でも、最近仕事で心がすっげえ疲れてたんで、
なんか超ほっこりしたよ!!
どこか救われた、まである。

クイーン!! クイーン!! クイーン!!
やっぱ、この曲はあがるねえ。
主題歌自体は、人生を通じてそれこそ死ぬほど聴いてきたけど、
映画のほうはどうせ「おバカ映画」だろうってことで、未見のまま放置。
きっとこのまま観ないで一生を終えるんだろうな、と漠然と思っていたが、
まさかのリバイバル上映!!(なんでだよww)
いやあ、映画館でかかるなら、こりゃいっぺん行っとかないとだめでしょ。
ギュワワンギュワワンする電子音がどう響くのか。
音空間を3Dで飛びかう音や台詞が、映画館でもぐるぐる回るのか。
というわけで、映画が観たいというよりは、
ある種の「クイーン劇場体験」の一環として行ってきた。
いや、とことん脳たりんな映画すぎて、逆に愉しかったです。
あと、クイーンの主題歌にサンプリングされてる「台詞」が生で聴けたのにも、超燃えた。
「ホァット・ドゥー・ユー・ミーン? フラッシュ・ゴードン・イズ・アプローチング」
「ゴードン・イズ・アラ~イヴ」
うーん、マジ最高!

さっき『フラッシュ・ゴードン』は観たことがなかった、と書いたが、
実は遠い学生時代に、『フレッシュ・ゴードン』(76)というポルノを観たことがある。
もはや筋もへったくれも何も覚えていないが、「フレッシュ」というのは「肉体」のことで、チンポコ型ロケットに乗ってセックス光線を放ちながら乱交するような話だったかと。昔はそういうくだらないパロディ・ポルノが山ほどあったのだ。
よく覚えてるのでは、『ジェロニモ』のパロディで『ジ・エロニモ』ってのがあって、邦題考えたやつはマジ天才なんじゃないだろうかと、当時はその恐るべき才能に猛烈に嫉妬したものだ(ちなみに原題は『GERANALMO』!どっちにせよひどい)。僕のなかでは『亀甲マン』『過糞症の女』とならぶ、今も忘れられない名コピー・ポルノタイトルのひとつだ(中身はすっかり忘れたけど)。
なお勘違いしがちだが、製作年を見ればわかるとおり、『フレッシュ・ゴードン』はラウレンティス版より「先に」撮られた映画であり、パロディとしては30年代の旧映画版のほうが元ネタである。
この旧映画版の大ファンだったジョージ・ルーカスが、リメイクを志したものの版権をラウレンティスに抑えられていて断念、代わりにオリジナル作品として『スター・ウォーズ』(77)を作ったというのは有名な話。で『スター・ウォーズ』の大ヒットを見たラウレンティスが「すべての面でスター・ウォーズ以上の物を作れ」と大号令をかけてつくったのが本作『フラッシュ・ゴードン』(80)というわけだ。

で、いざラウレンティス版を観たら、たいしてポルノ版と内容変わんないのな(笑)。
とにかく、チープ。
ダサい特撮。しょぼいアクション。
悪い夢でも見てるような、適当な展開。
大根役者と怪優の珍演、あとはお色気。
でも、音楽とサイケデリックな色彩感覚だけは一級品だ。

てかこれ、70年代の感覚でいっても、「わざと」くだらない映画にしようと思ってつくってるでしょう。
出だしの「地球を襲う恐るべき災害」がダリオ・アルジェントの『サスペリア・テルザ最後の魔女』並みにショボいのとか、地球をターゲッティングする宇宙船の災害発生装置(英語で「地震」「隕石」「竜巻」みたいなボタンがついてる)の究極的ダサさとか、完全に「狙って」やってるとしか思えない。
要するに、これって「古くなったからダサくなった」のではなく、
80年の時点で、かなり狙って「おバカ映画」を目指してたってことだ。
『オースティン・パワーズ』とか『ピンク・パンサー』シリーズとか。
もともと「ゆるくて」「古いSFファンが笑ってくれそうな“あるある”で構成されてる」映画、それが『フラッシュ・ゴードン』なのでは?
『バーバレラ』(68)をさらに笑える感じにしたくらいの。
というか、このあいだ会社の近くのカレー屋でかかってた『スーパーマン』の1だか2だか4だかで、ジーン・ハックマンがビデオゲームみたいな装置でスーパーマンを攻撃するシーンが流れてて、あんまりにひどい特撮とひどい演技とひどい演出すぎてひっくり返ってしまったのだが、「80年代のSF映画って、もともとそういうバカなノリを志向してた」のでは?

でもまあ、おバカさ加減がどこまでが「狙ってて」どこからが「天然」なのか判然としないのは、ラウレンティス映画のちょっとおそろしいところだ。
とくに、どこからどう見てもIQの低いうすのろのポルノ男優にしか見えないブロンド&マッチョのフラッシュ・ゴードンが、敢えて狙ってこういう造形なのか、マジでカッコいいと思ってコイツを配役してるのかは微妙なところだ。まあ、中でフットボールの真似事やらされてるのとか観ても、ある種「アメリカン・カーストの最上位としてのフットボーラー(ブロンドヘア)」をおちょくったカリカチュアなのかな、とは思うんだけど。

怪人フー・マンチューか麿赤児かといった恰好で、悪の皇帝ミンを熱演してるマックス・フォン・シドーに関しては、よくもまあこんなアホな役しれっと受けたなってふつうに感心する。手抜きすることなく、バカをバカとして楽し気に演じ切っているのは立派だ。
僕にとってマックス・フォン・シドーは、最初に認識したのが『エクソシスト』(73)のメリン神父と『ペレ』(87)の老移民で、そのあとはもっぱら「ベルイマン映画の常連」として観てきたので、『ネバーセイ・ネバーアゲイン』や『コナン・ザ・グレート』みたいな娯楽映画でクセの強い役を引き受けているのをみると、逆に不思議な気分がする。

ティモシー・ダルトンも、ハン・ソロを猛烈にダサくしたような役を熱演していて、逆にふっきれてて楽しそう。『007リビング・デイライツ』(87)や『007消されたライセンツ』(89)を観たときは、この人ボンド役オファーされるくらいカッコいいかなあ??と疑問に思ったもんだけど、7年前だとふつうにイケメンだったんだな。

ヒロイン二人は、かなりの美人さん。エロコス七変化も含めて実によい。
うすのろフラッシュ・ゴードンとティモシー・ダルトンの円形闘技場バトルより、よほどメス猫二人のキャットファイト・アクションのほうがキレも迫力もあるってのは、いったいどういうことだ??(笑)
あと、「穴開け虫」で姫様拷問って何よ。エロネタだよね? エロネタ!!
うーむ、われらが『フレッシュ・ゴードン』のほうには出てきたのだろうか、穴開け虫? 記憶を保持できないわがポンコツ脳が憎い……。

それと、鷹人間(ホークマン)は飛行が強みの種族なのに、筋肉デブばっかりなのはちょっと笑う。とくに愚鈍そうなリーダーのヴァルタン公はクセが強くて味わい深い。
モンゴの兵との肉弾戦では、どうみてもホークマンのほうに損耗が激しいように見えるが、力押しで押し込んでいくあたり、直近のロシアの闘い方をちょっとほうふつさせる。

まあはっきりいって、映画としてはぶっちゃけろくでもない。
大筋に関しては予定調和、細部のストーリーラインはメチャクチャ、ファッションは珍妙、セットは俗悪、アクション指導は投げ槍……。

それでも、みんな楽しんでバカな映画作ってるのは、なんとなく伝わってくる。
マックス・フォン・シドーもティモシー・ダルトンも至極楽しそうだし、
女ジャーナリストもサディストツンデレ王女も、素人感は強いけど学芸会のクイーンのように輝いている。
結構血腥い、侵略と粛清、拷問と裏切り、戦闘と殺戮のドラマであるはずなのだが、漂ってくる雰囲気は総じて気楽で鷹揚、のんべんだらり、のほほんとしている。
春の陽気のなかでうたた寝をして見た壮大な夢のようだ。

そもそも、アメフト選手がそのまま手作り宇宙船で悪の異星人のところまで飛んでくとか、ノリの感覚としてはSFっていうより、ほぼ『ほら吹き男爵の冒険』みたいな「御伽噺」に近いものなんだよね(あれは「月」だけど)。
あるいは、幽体離脱しては火星に飛んで行く、ウイリアム・ライス・バローズのジョン・カーターもの(『火星のプリンセス』シリーズ)とか。
SF仕立てでありながら、剣と魔法をもとにした「ヒロイック・ファンタジー」の要素がメインなのも実にバローズっぽいし、異星人が貴族社会を形成していてやれ王女だやれ王子だと高貴な血統がけっきょく話を左右するあたりも、女性キャラはなんだかんだでお色気担当なのも、『火星のプリンセス』とそっくりだ。そしてもちろんながら、これらの「SFを偽装したヒロイック・ファンタジー」というコンセプトは、もろに『スター・ウォーズ』へと引き継がれている要素でもある。
その意味では、中身が「おバカ」なのは「おバカ」で間違いないのだが、正統なアメリカの「ヒロイック・ファンタジー」の系譜にはちゃんと乗っかった作品なわけだ。

それに、少なくとも『フラッシュ・ゴードン』の笑いは、人を傷つけない。
ダサくて頭の弱い自分を見せて人に笑ってもらう、自己責任の笑いだ。
特定の対象に対する攻撃性や、くだらない社会批評や、生々しい現実の風刺などとは無縁の、ひたすら子供の観ている夢(「俺、宇宙に行って悪いヤツやっつけてヒーローになるんだ!!」)を具現化したような映画だ。
バカでゆるんゆるんだけど、ロマンと親しみとノスタルジィにあふれている。
で、目(色彩)と音(クイーン)の快楽としてだけ見れば、間違いなく一級品だ。

だから、俺は嫌いになれない。
むしろ、いとおしくすら思う。
大の大人が大枚はたいて何くだらない映画撮ってんだよとは心底から思うけど、今のくたびれたオヤジの俺にとっては、デトックス効果があってほっこり心を癒してくれる「よいおまぬけ映画」だったとしか言いようがない。大人が遊べる知育玩具みたいな(笑)。
世間的にも、ある種の「カルト」として熱烈なファンがいるってのは、きっとそういうとこなんだろう。ダメさ加減の「塩梅」がよくて観てるほうもバカになり切れるから、童心に帰って「凝り固まった脳がほぐれる」というのか、そういう「効果」がこの映画には間違いなくある。

ニュアンスは違うけど、ある種の「キッチュなおバカヒーローのアイコン」を真正面から演じきって、それでもなお大衆を魅了しつづけてきたのがフレディ・マーキュリーだったことを考えると、製作者サイドはよくぞクイーンに音楽を発注したな、と本気で感心する。
で、クイーンの側も、あのどうしようもない直球ストレートの歌詞と3Dで駆け回るチープな電子音によって、見事に『フラッシュ・ゴードン』のキッチュで子供じみたテイストに寄り添い、「ドンピシャ」の音楽を提供してみせたわけだ。
あの「ド、ド、ド、ド、ド、ド、ド、ド」って地響きみたいなイントロが全編でうまく使われてて、「何か大変なことが起こりそうな予感」を掻き立てまくるんだよね。
ちなみに本作のサントラは全編クイーンの作曲で、「フラッシュのテーマ」を作曲したのはブライアン・メイだが、フレディもロジャー・テイラーもジョン・ディーコンも作曲に参加している。インストゥルメンタル楽曲の多くは、作曲者のクラシカルな素養がビンビンに感じられる仕上がりで、クイーンというバンドの特異性を改めて感じさせる。デイルとミン皇帝の結婚式シーンでは、ブライアン・メイによるワーグナーの「結婚行進曲」のギターソロも聴くことができる。
シングルカットされた『フラッシュのテーマ』には映画内の台詞がサンプリングされ、アルバムのほうにもあちこちに台詞が挿入されている。サントラとは言いながら、ちょっとオペラのようなコンセプトアルバムに仕上がっていて、彼らの本気度が伝わってくる。

クイーンのメンバーもまた、このバカでどうしようもない『フラッシュ・ゴードン』って映画のことが、心底好きでたまらなかったんだろうなあ(笑)。

じゃい