劇場公開日 1973年6月23日

「世界中の人々がフランチェスコのように生きたら、戦争も、環境破壊も、格差社会も無かったか…」ブラザー・サン、シスター・ムーン KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0世界中の人々がフランチェスコのように生きたら、戦争も、環境破壊も、格差社会も無かったか…

2022年8月19日
スマートフォンから投稿

先日、ロベルト・ロッセリーニ監督の
「神の道化師、フランチェスコ」を
再鑑賞した上で、その前日譚物として
「ロミオとジュリエット」の
フランコ・ゼフィレッリ監督のこの作品を
初鑑賞した(キネマ旬報第3位)。

教皇からの布教の許可を得て
故郷に戻ってきたという、
「神の道化師…」の冒頭までのストーリーで
2作が見事につながった。

フランチェスコの、屋根の上で
小鳥と触れ合うエピソードは、
トルストイ原作映画「太陽は夜も輝く」が
思い出される。
その物語では、主人公が立木に向かって
「おいで」と語りかけると
花びらが掌に舞い降りたことにより
神の存在を信じたとのシーンがあった。
もっともその主人公は途中で愛欲に溺れ、
修道士としての道を踏み外すものの、
ある奇跡を目の当たりにして
再び信仰の道に歩み出すのだが。

さて、この作品、
フランチェスコが、
王冠を戴いた姿よりも裸のイエスこそが
己の目指す姿との気付きや、
ただただ自然と触れ合い生きることが
神の教えと悟る前半は、
史実はどうだったのだろうと悩ませる程の
爽やか過ぎてあからさまなのだが、
充分に感動させる見事な演出に思えた。

ただ気になったのが、
後半の冗長さとクララの扱いだ。
フランチェスコは、
布教活動で従える仲間の数も合わせる位、
何かとイエスの布教を踏襲しようと
していたように思える。また、
クララもかなりの聖人だったようなので、
単にフランチェスコに想いを寄せた女性
としてだけではなく、
マグラタのマリアと同じ位の存在として
最後まで登場させて欲しかった。

評価は、前半🌟5、後半🌟3、のトータル🌟4とさせて頂きました。

KENZO一級建築士事務所
ジョニーデブさんのコメント
2022年9月7日

コメントありがとうございます。機会があったらぜひ「神の道化師、フランチェスコ」を見てみたいと思います。

ジョニーデブ