プライベート・ライアンのレビュー・感想・評価
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映画の音、映画館の音響の魅力を意識するようになった作品
この作品をきっかけに同じ映画を映画館で何度も見る楽しみを知りました。映像が素晴らしいのはもちろんですが、戦場に放り込まれたような臨場感のある音響に魅了され、映画館でしか体験できない音があることを意識するようになりました。逆の言い方をすると、チープな音で本作を見てしまうと魅力が激減してしまうと思います。本作の画期的な音響デザインについては、ドキュメンタリー映画「ようこそ映画音響の世界へ」のなかで取り上げられています。
ライアンを探せ‼️
1998年公開。監督:スティーヴン・スピルバーグ。 戦争の悲惨と、任務を全うする兵士の運命を描いたヒューマンドラマでした。 第二次世界大戦の真っ只中の1944年6月。 参謀本部ではある話し合いがもたれていた。 それは、出征したライアン4兄弟のうち3人が戦死したとの報告で、 残る1人のジョージ・ライアンもまた、ノルマンディー上陸作戦で 行方不明になっている。 そこでマーシャル参謀総長は、 「残る1人の息子ジョージ・ライアンだけはせめても母親の元へ帰す」 そのミッションがミラー中隊長と6人の部下そして1人の通訳の、 8人の救出隊に特別任務が出されたのです。 公開当時、戦争映画は大の苦手でしたが、スピルバーグ監督作品で しかも評価も高かったので観た覚えがあります。 いきなりの戦闘シーン。 オハマビーチの戦いのシーンは20分以上続きました。 曇天で大時化の海を駆逐艦から20人乗り位のボートに乗り換えて 次々と上陸する数多のアメリカ軍兵士たち。 そこでドイツ軍が待ち構えていて、四方八方から銃弾を撃ってくる。 もう兵士の多くは弾除けみたいな存在。 本当に物凄い戦闘シーンでした。 ミラー隊の8人はジョージ・ライアンを闇雲に探しましたが、 本人が何処に居るのか? 生きているのか?も分からない状況。 ライアンという名の兵士を見つけても別人だったり。 でもようやく前線の橋に生き残りの部隊の中に見つかったのです。 3人の兄が戦死したこと、4番目の息子のジョージに 「無事帰還させよ‼️」との参謀総長直々の命令が下り、 連れ戻しに来た・・・と、ミラーは告げます。 ところが本人は途中で任務を抜けられない、任務を全うする、 と言うことをきかないのです。 責任感の強い青年だったのです。 仕方なくミラー隊の8人も、孤立した部隊と混成して 共に戦うことにするのでした。 ここからの後半の戦いが、初めの戦いより更に苛酷を極める。 ドイツ軍は戦車4台と兵士50人以上で近づいて来るのに、 こちらは戦車なし、砲丸や狙撃銃も少なく、断然に不利。 戦車を狭い場所に誘い込み、くっつき弾で抵抗する戦術です。 いやはや大変な戦いでした。 暫くしてようやっと支援の兵士と戦闘機が到着、 空から敵の戦車を爆破してくれました。 しかしミラー中尉は銃弾に倒れ、ミラー隊の生き残りは 通訳ともう1人のみ。 「プライベート・ライアン」はそんな映画です。 生き残ったライアンも、命を捧げて守ってくれたミラー中尉に、 一生涯、恩と共に助けられるに値する命だったか? を自問し続けました。 「本当に自分は助けて貰う価値のある人間だったのだろうか?」 誠実なジョージ・ライアンをマット・デイモンが演じました。 ミラー注意を演じたトム・ハンクスです。 トム・ハンクスは悩みつつ戦う高校教師を演じて素晴らしかったです。 (教師が天職なのに場違いな戦場で戸惑う誠実な男) リアリズム手法で描かれた戦争映画の傑作でした。
3時間近くの長尺のはずですが、一切緊張感が途切れず、固唾を呑んで観つづけられるのはスピルバーグ監督の力量ですね。
新文芸坐さんにてスティーヴン・スピルバーグ監督『プライベート・ライアン』(1998)を4Kの大スクリーンで鑑賞。 『プライベート・ライアン』(1998) ご存知スティーヴン・スピルバーグ監督が描く戦争映画の最高傑作と名高い一作。 公開当時、血しぶき、肉片が飛び散り、水面が真っ赤に染まるノルマンディー上陸作戦のリアルで凄惨な20分におよぶシーンに目を背けそうなりましたが、戦争の悲惨さを伝えるにはこれ以上ない衝撃を与え、以降の戦争映画に多大なる影響を及ぼしましたね。 任務でライアン一等兵を激戦地から見つけ出す8人の兵士の実話に基づいたストーリーですが、『七人の侍』(1954)のように最初から使命感に燃えるわけでなく、不条理な任務に不満気な兵士たちが戦地を共にすることで部隊として固く結ばれていく模様が熱く、そして多くの犠牲を払ってでも救出すべき価値のあるライアン一等兵をマット・デイモンが見事に演じていますね。 最初はライアン一等兵に反目していたライベン一等兵(演:エドワード・バーンズ)との距離の縮まり方も良いですね。 一番の白眉はジョン・H・ミラー大尉を演じたトム・ハンクス。 ラスト大尉が命を助けたドイツ兵の凶弾に倒れつつも、最後まで迫りくる戦車に拳銃を発砲するシーンは心揺さぶられます。 3時間近くの長尺のはずですが、一切緊張感が途切れず、固唾を呑んで観つづけられるのはスピルバーグ監督の力量ですね。
ヒロイックな戦争映画
私は、この映画を観たあとに反省をしました。ノルマンディー上陸作戦の迫真せまるサウンドが、この映画の肝で後は地味なストーリーでしょ・・・それはベルイマンの「野いちご」の冒頭夢のシーンだけ観て評価するようなものですかね。プライベート・ライアンですが、やっぱりノルマンディー上陸作戦後から、きちんと物語は積み上げられております。降伏するドイツ兵を容赦なく射殺する連合軍兵士🪖いぶかしげに見るミラー大尉(トム・ハンクス)これが後々の話につながっていくのですね。私は冒頭のノルマンディー上陸作戦の戦闘シーンより中盤のドイツ兵捕虜との、やり取りに一番ドキドキしました。 映像ですが最初は画像が粗い感じがしましたが上陸後のミラー大尉のアップではクリアな映像で4Kリマスターならではの美しさがありました。 当時のニュース映像を再現されたそうですが、そういうなのを感じさせない自然な映像表現には感心させられます。 撮影監督のヤヌス・カミンスキーは、さすがですね。ジョン・ウィリアムズの音楽も定番のファンファーレも無くティンパニーを主とした静かな音楽に好感が持てました。俳優陣はそれぞれ良かったですが真の主役は翻訳係のアパムさん(ジェレミー・デイビス)かな・・・
劇場で見れた事に感謝
午前十時の映画祭14で公開されると言う発表が有ってから待ち望んでいた上映でした、なんとかスケジュールを作り行ってみると劇場で見るべき映画、と言うのが分かっているからか朝の9時台にしては異例の6分ほどの入り グランドシネマズサンシャインさんも高音響のシアターを用意して下さり何度も何度も見た映画が見た事が無いと思わせるレベルで見入ってしまいました オマハビーチ虐殺は言うに及ばずOP、EDの星条旗の旗めく音、本編中常に遠くで響く砲撃の音、何気に気付かなかった様々な音に気付かされました。 公開後20年以上経って居るとは思えない程の極上の映画体験、やはりこの映画は大画面、音響の良い環境で見る映画だと思いました
兵士が人に戻るために
冒頭30分の上陸シーンは、その圧倒的なリアリティで映画史に深く刻み込まれている。戦争の無常さと残酷さをこれ以上ないほどに描き出し、まるで自分が戦場に立っているかのような錯覚に陥る。このリアリティ溢れる描写は、戦争の恐ろしさを私たちに突きつけ、戦場で生き残ることは運任せであることを痛感させる。 このシーンの強烈なインパクトは鑑賞中ずっと尾を引き、同じような絶望的な状況が訪れるのではないかと、見るものに緊張感を与え続ける。言葉遣いや銃器の種類、兵士の動き方など、細部にわたるこだわりが感じられ、まるでドキュメンタリーのように、当時の戦場が目の前に広がっているかのような錯覚すら覚える。 しかし、この映画の真骨頂は、壮絶な戦争の中で描かれる人間ドラマにある。目的を見失い、意味のない殺戮に心をすり減らしている兵士たちの姿は、観る者の心を深く揺さぶり、そんな彼らが、人としての繋がりを求め、救いを希求している姿に、共感せずにはいられない。上陸シーンの緊迫感は、主人公ライアンを救出するという任務の無常さを観るものや登場する兵士達に感じさせ、物語全体に強い影響を与え際立たせている。 しかし、ライアンとの交流を通して、兵士たちは次第に人間性を回復し、互いを思いやる心を思い出していく。この変化は、戦争の残酷さの中にあっても、人間の温かさが失われることはないということを教えてくれる。 この物語は、単純に戦闘の勝者を称えるような戦争映画ではなく、戦争の悲劇と人間の尊厳を描いた深い作品であることに気づかせてくれる。
戦時における人の命の重さとは?
映画ファンなのに今までなぜこの映画を見たことがなかったのか? ①トム・ハンクスがそんなに得意ではなかったから。 ②スピルバーグの映画は優等生だから。 そして今回午前十時の映画祭で見る機会を得たにもかかわらず最終日になってようやく重い腰をあげてテレビ、劇場を通じて初めてこの「プライベート・ライアン」を鑑賞してきました。 そして、この映画のパワーに圧倒されました。 冒頭のノルマンディー上陸の激戦はすさまじいものがありました。 アメリカ兵の上陸を必死に阻止しようとするドイツ軍の砲弾、銃弾が次々とアメリカ兵を殺傷していく。 ここの描写がエグイです。手足が吹っ飛んだり内臓が飛び出たり海が血で赤く染まったり。戦争の凄惨さが怖いくらいに伝わってきます。 こんな狙い撃ちされる中、突撃していくなんてもはや死にに行くようなものです。 多くの犠牲者を出して上陸した中、トム・ハンクス演じるミラー大尉は上層部から戦争で兄3人が亡くなったライアン二等兵を救出し本国へ搬送せよというミッションを受け精鋭7名を引き連れて部隊を離脱するのだが…。 ライアン二等兵を救出せよという命令に何人もの犠牲者がでることに対し、所詮戦時中の人の命なんて国家からするといかに軽いものか痛感させられます。 国家にとって都合の良い命は守りそれ以外は駒に過ぎないのだということを。 ようやくライアン二等兵を見つけ出したが(マット・デイモンだったので驚きました)、彼は残って仲間と共に橋を守るために戦うという選択をする。 ミラー大尉は迷います。彼を残して引き上げるか、一緒に戦って共に帰国するか。 そして右腕であるトム・サイズモア演じる軍曹に言われます。 「いつか振り返った時、この糞みたいな戦争でライアンを救ったことが唯一誇れることだ」と。そして共に戦う決断を下す。 途中、仲間同士の対立があったり、ミラー大尉が教師であったことなどそれぞれのキャラが立ってきてからの最後の戦闘シーンなので、冒頭シーンとはまた違ったハラハラ感もあり、そして絶体絶命となったミラー大尉が向かってくる戦車に拳銃で虚しく発砲し続けるそのとき、ようやく援軍が到着し形勢逆転するなか、まさかのラストシーンでした(泣) そしてようやく映画の冒頭で墓参りに来ていた人物が誰だかわかるというにくい演出で締めくくる。 いや、見応えのある大作でした。危うく見逃しかけましたが、この作品は見ておくべき価値ある映画でした。
久しぶりに観ました
もう冒頭の上陸から圧巻です。 圧巻ですが悲惨です。 あれで生き残ってるのが奇跡。 ライアンを探して帰国させる任務という、任された人達にとっては納得出来ない無駄な任務を遂行していく作品。 そのなかで戦闘であったり人間ドラマだったり、それぞれの心情が細か描写はされていくのですが、観た人がどんな風に感じ取るのか、どこにスポットを当てながら観るのかは、まぁそれぞれなのかなとは思います。 思いますが、結局戦闘シーン以外は微妙なところも多々ありました。 ひとつひとつのシーンにメッセージ性があるのかどうかがいまいち感じ取れなかったなーとは思いました。 小隊の1人が抜けると揉めたシーンはやっぱりね…と思ってしまいました。 あの時隊から抜けてたら、なんかリアリティあったような気もします。 大尉の小話で心情の変化があったのだと思いますが、ゆーてそれ程か?ってくらいの小話でした。 でもやはり戦争映画なので、戦闘シーンの残虐さが圧巻だと、戦争映画としては素晴らしいのではないかなと思います。 アメリカVSドイツの戦争ですが、そんな事は関係なく悲惨すぎて、観ていて吐き気をもよおすレベルでした。 アパムの心の葛藤が、結果的に仲間を見殺しにしてしまうシーンがありましたが、あのシーンは良かったなと思いました。 ご都合な展開ではなく、アパムという人物を最大限に表現したシーンのような気がしました。 戦争においてアパムという人物の行動、思想はマイナスでしかないとは思いますが、普通の人間であれば、ただただ戦闘を避けたい気持ちだろうなと思う場面をアパムが表現していたと思います。 それでも最後の最後に大尉を撃った敵のみを撃ち殺す… そのシーンが、その心情がとても深いものがあり、いろいろ感じました。 この話はライアンという人物は正直どうでも良くて、なんならライアン違いの人でも良かったのではって途中まで思ってたんですが、ライアンがそれなりに戦争における精神面でリスペクト出来たから、最後の戦闘シーンに繋がったので、やはり重要ではあったんだなと考えを改めました。 でもまぁ終盤での登場ではあったので、私にとってはあまり肩入れ出来るほどの人物ではないなっていう印象でした。
😉
最後ライアンが墓場で年取ってってなるんだけど お前の回想シーンだとしたら前半のライアンが居ない場面知ってる訳ねえだろ!って部分が最高のツッコミどころでラストに超大爆笑さへてもらったので完璧でした👌
語られることのない物語
死んでいった兵士にはひとりひとりに語られることのない物語があり、生き残った者にはそれを背負って生きてきた人生があった。 つくづくしあわせな国のしあわせな時代に生きていることに感謝。 正しい人生を送ってきたか。 見逃していたが、いつか劇場で観たいと思って配信やレンタルは我慢していた作品。 午前十時の映画祭ありがとう。
午前十時の映画祭で鑑賞。感無量。
今まで何十回と見てきた作品だが、やはりスクリーンで見るのは没入感が全く違った。 冒頭の血のオマハの臨場感たるや、もはや戦場の擬似体験とでも言うべき恐ろしい程のリアルさだった。 スクリーンの大きさはもちろんだが、やはり音響効果のリアルさが大きいのかもしれない。 実在感は、テレビ画面で見るそれとは桁違いだった。 作品の内容はもはや語るまい。 スクリーンで見る機会を用意してくれた事に感謝。 名作は色褪せない。
ことばにならないです
感動したと言う人や、アメリカのプロパガンダだと言う人や、ミッションの不自然さを指摘する人や、たくさんの意見があってどれもなるほどと思う。 でもそれを考え始めても、有無を言わせない爆撃でどこにも進めなくなってしまう。それが戦争なんだと、人らしく思考することを全て奪うことが戦争なんだと、呆然とさせるためにスピルバーグはこの映画を撮ったんじゃないかと思う。 わたしにはドイツがクソだとも、アメリカが人情味があるとも見えなかった。等しく無力だった。 何度みたかわからないけど、午前10時の映画祭で久しぶりにスクリーンで鑑賞。 感想とかない、言葉を失ってしまう。 プラトーンも、ダンケルクも、スターリングラードも、目に見えるストーリーのあっち側に、見なければならないものがあるんじゃないかな。
アメリカの「正義」が崩壊した今、改めて観ると封切り当時の印象が大きく変わる。
星条旗で始まり星条旗で終わる映画である。 1998年の公開。1978年の「ディア・ハンター」、1979年の「地獄の黙示録」以降、戦場を舞台とする映画はベトナム戦争ものとなる傾向が強くなっていた。ところがこの年、第二次世界大戦を取り上げた本作と「シン・レッド・ライン」が相次いて公開され、何故今頃になってと思った記憶がある。これはもちろん映画の企画時にノルマンディー上陸から50周年という節目があったから。そこで冒頭近くオマハビーチの戦闘シーンが長々と続く。これがかってないほど「リアル」であるというのが当時の売りだった。そして、ライアン二等兵を探しに行くというテーマがそもそもそうであるように、戦場に人間性を見出すドラマとしての位置づけも高く評価された。 でも果たしてそうなのか?この映画はよく知られているように1962年の「史上最大の作戦」を換骨奪胎した作品である。オマハビーチ、敵陣に降下した空挺師団、橋の奪い合いなどはいずれも「史上最大の作戦」そっくりそのまま。これらの場所をトム・ハンクス演じるミラー大尉が部下を引き連れて地獄旅を続けるという趣向。でもヒューマニズムを表現したい、もしくは反戦・非戦を訴えたいと言うことであれば、あれ程の残酷なシーンが必要なのか?「史上最大の作戦」レベルで十分ではないか?要するに見世物として迫力があればあるほど興行収入を稼げるでしょということでしかないのでは? もう一つ、スピルバーグが表現したかったこと、それはアメリカの正義である。そもそもヨーロッパの解放というものは、アメリカが神に代わってファシズムを成敗するというニュアンスである。 ユダヤにルーツがあるスピルバーグはそこをどうしても戦争から50年以上過ぎた時点で世界に思い起こさせたかったのに違いない。さらに彼が付け加えたのは家族愛や任務の貫徹といったアメリカ人の大切にしている倫理観。これらが例によってトム・ハンクスのどうにもくさい芝居で描かれる。 さて1998年というのはバックス・アメリカーナのほぼ最後の時期にあたる。この2年後に多発テロが発生し、続いてアメリカは大義のない中東での戦争を引き起こしていく。経済的な支配は続いているが、これは世界的な富の不平等に結びついている。また家族愛も、エゴイズムやレイシズム、非科学的宗教観などと強く結びついていることが分かってきている。 つまり今となっては、この映画はもはや素直には受け取れなくなっていているのが正直な印象である。「シビル・ウォー」の後で観たりすると特にね。
戦争映画が苦手なのでずっと避けてた作品。ついに劇場で観た。何という...
戦争映画が苦手なのでずっと避けてた作品。ついに劇場で観た。何というリアリティ、生々しさ、臨場感。特に冒頭の20分におよぶ戦闘シーン、映像と音でただただ圧倒されっぱなし。26年前の映画とは思えない。なんでもかんでもCG、デジタル編集の時代ではなく、実写とのバランスが絶妙に良かった時代かもしれない。理不尽な任務を遂行するため無惨に死んでいく兵士たち。命の重さとは。その後のノーラン『ダンケルク』、メンデス『1917』などにも確実に影響を与えた傑作。アカデミー賞監督賞(スピルバーグ)、編集賞、撮影賞、音響賞、音響編集賞の5部門受賞。
ライアンを救ったことが、このクソ戦争の唯一の誇りだ(ホーヴァス軍曹)
午前十時の映画祭14にて。 今も多くの映画ファンが戦争映画ジャンルのベスト・ワンにあげる、エポックを画した傑作。 ロードショー鑑賞時には、この臨場感に驚き、戦場では〝弾〟が飛んでくるのだと、当たり前の事を認識したのだった。 スピルバーグがロバート・キャパの戦場写真を参考にしたというのは有名な話。 キャパは戦場カメラマンとしてノルマンディー上陸作戦に同行し、多くの写真を残している。 戦争ドキュメンタリーのように描きたかったと、スピルバーグは当時語っていた。 この作品が後の戦争映画に技術的にもポリシー的にも大きく影響を与えたことは、言うまでもない。 「ママ、ママ」と泣き叫ぶ瀕死の負傷兵。 戦闘が終息したオマハ・ビーチに打ち寄せる血の波。 死んだ兵士がしたためた家族への手紙は生存兵に受け渡されていく。 今現在起きている戦争では、爆撃を受けた町の住民がスマートフォンで撮影した映像が世界中に流れる。我々は人のすぐ近くで爆弾が爆発する光景を目の当たりにする。 報道のカメラが見たものも短時間で配信される。血にまみれた子供たちの姿に戦慄しない人がいるだろうか。 兵士の体に装着されたカメラの映像が公開され、銃を人に向ける目線で戦場を見させられたりもするのだ。 わざわざ映画で見なくても戦争の残虐性は伝わる時代だ。 そんな時代においても、スピルバーグが訴えようとした人の命の尊さは、色・形を変えて世に問われ続けなければならない。 紛れもなく、戦争は〝殺し合い〟なのだと。 アメリカ国防省の「ソウル・サバイバー・ポリシー (生存者のための特別分離政策)」という指令は軍の規則になっていて、実際に兄弟が戦死したために帰還命令が出され除隊した兵士は何人もいるらしい。 この映画では、戦死した兄弟の残された最後の一人は生死も所在もつかめていないため、そのライアン二等兵(マット・デイモン)を探して連れ戻すというミッションがミラー大尉(トム・ハンクス)に下される。急遽組成された8名の中隊がたった一人の二等兵救出に命を懸けることになる。 物語の根幹であるこの作戦の他にも、大小のパラドックスが散りばめられている。 例えば、指令遂行を第一とするなら迂回すべき敵の砲台を、後続の味方部隊のために破壊しようとして隊員を失ってしまう。 例えば、降伏した敵兵を殺さず放免した指揮官が、後に自軍に戻ったその敵兵に撃たれてしまう。重ねて、その敵兵の銃殺を止めた男が、再び降伏したその敵兵を撃ち殺す。 つまり、ライアン救出指令のパラドックスをどう受け止めるかは重要ではない気がする。 戦争そのものが矛盾の上に成り立っているのだから。 戦場が人に狂気をもたらすことは、いくつかの名作が語っている。しかし、本作の登場人物たちはみな正常に思考しているのだ。 降伏したドイツ兵を銃殺しようとする兵士も、中隊長の指示に反発する部下に銃を向ける軍曹も、民間人の子供に自分の兄弟を重ねて助けようとする兵士も、それをやめさせようとする隊員たちも、誰もが戦場の、戦争の矛盾の中で思考し、行動している。 そして、神経と肉体を削っていくのだ。 改めてこの映画を観て、印象に残った場面が2つある。 1つ目: ライアンの母親が3人の息子の戦死の知らせを受ける場面。母親は訪れたのが軍の幹部だと分かっただけで用件を聞く前にその場に崩折れてしまう。その後姿を家の中から逆光で捉えた胸に迫るシーンだ。 台詞がないというだけでなく、母親が用件を聞かずとも何の知らせかを理解する戦時下の極限状態を表現している。 2つ目: 人違いで別のライアン二等兵が兄弟の死を告げられる場面。人違いだと分かっても、小学生の弟たちが無事なのかが急に心配になって帰りたいとその兵士は泣き出すのだ。 ミラー大尉が彼に余計な心配事を背負わせてしまった、不条理で切ないシーンだ。 映画の最後に、年老いたライアン二等兵がミラー大尉の墓地の前で、自分の人生は良いものだったか、自分は正しく生きたか、と問う。 何人もの兵士の命を背負って、彼は戦後を生きてきたのだ。 私の記憶が確かなら…………… この映画公開の時期(?)に、ロバート・キャパの写真展が全国(?)を巡回したと思う。 私は地元の千葉そごうの催事場で鑑賞した(たしか)。 そこで、あのオマハ・ビーチを撮った何枚もの写真に、この映画のPRスチールと見紛うほどだと感じたのだった。
かなり本格的な戦争映画
午前10時の映画祭14での鑑賞。 冒頭のノルマンディー上陸作戦の描写は生々しくて本当にすごい。実際に戦争に行かれた方の評価が高いので、ほぼリアルに近いのであろう。そして本物の銃撃音を録音してだけあって銃撃音が非常も素晴らしい。 3時間はさすがに長いかな?と思っていたのですが、あっという間の3時間でした。 プライベート・ライアンのプライベートの意味が良くわかっていなくて、てっきりライアンの秘密の素性に関する映画なのかな?と思っていたら兵隊さんの意味だったんですね。 アメリカ陸軍参謀総長の命令と言えども何十万もいる兵士に中からなぜ彼だけ優遇されて帰国を許されたんですかね?そこがちょっと良くわからないところでした。
映像は圧巻
まるでその戦場にいるかのような臨場感。 音響効果も相まって迫力満点の映像はさすがスピルバーグ。 だがここまでの高評価に対しては正直疑問。 トム・ハンクスとマット・デイモンが居たから、最後まで見ることができた。 兄弟が亡くなったから、弟は母親のもとに帰れ?そう総司令部が指令を出した?米国ではそういう配慮が当たり前だったのか。戦争とはそういう残酷なものではないのか。 ラストの「無駄にするな、しっかり生きろ」は胸に響かなかった。それは前半から見ていて感じたことだ。 映画館で、しかもやっと初鑑賞出来たが、今の時代はこのような作品を3時間も見ることさえ辛い。 21世紀になっても人間は過ちを繰り返す。見るのが遅すぎたのかもしれない
戦場に引きずり込まれる3時間
初見は公開当時に観賞。 部活仲間と田舎の映画館に見に行った記憶。 苛烈極まりない冒頭のノルマンディー上陸作戦。 気づいたら売店で買ったフライドポテトを食べる手が止まったままだった。 戦争に行った4兄弟のなかで唯一生き残った末っ子を帰国させるべく、米軍トップから「ライアン二等兵」を救出させる作戦を言い渡されるトム・ハンクス率いる少数精鋭のチーム。 甘ったるいおとぎ噺のような設定という世評もあったようだけど、徹底したリアリズムでヨーロッパ戦線を描いたスピルバーグは観客に二度と忘れることができない戦場を刻みつける。 3時間近い上映時間があっという間だった。 友人たちと「あんな所行きたくないわぁ」「衛生兵~」「狙撃のジャクソンかっこよかったなぁ」「衛生兵~」「アパム、お前もか」とさっきまで観ていた地獄絵図を振り返りながら映画館をあとにした。
シリアス
昔小学生の頃よく遊びに行く友人宅にライフと言うアメリカの雑誌があり報道写真(当時はベトナム戦争)はこの映画さながらでショックを受け初リリース時にはプライベートライアンは怖くて観に行けませんでした。今回歳を経て、又スピルバーグので未だ見てないから行き又ショックですが今現在ウクライナや中東は戦闘の最中、決して目を反らしてはいけないと思い行って良かったです。 それとは別にトムハンクス、マットデイモンや友人のベンアフレックの若き頃がアメリカ映画を長く見て来たので懐かしかったです。エンドでミラー大尉は瀕死から生還するのかと?期待は裏切られていつもと違うアメリカ映画だわと思いつつ主役はライアンだから?と少しquestionでした。 しかしながら、いつ見てもスピルバーグはone of the great directors!
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