「人間らしく、あるために」プライベート・ライアン つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
人間らしく、あるために
初めて観た時は、当然ながら戦闘シーンの苛烈さに度肝を抜かれたし、「戦争の醜さ・恐ろしさ」のような事を訴える映画なのだと思っていた。
わずか8人で敵地の真っ只中を行軍し、生死不明の二等兵を探すあてどない任務の不条理さ。
上陸までに大半が戦死、空挺部隊も目的地にはたどり着けないものが大半で、なぜライアン二等兵だけが生還する価値のある人間なのか。
20年経ち、久しぶりに観てみて私が感じたのは「胸を張って故郷に帰る」事の重大さだった。
ミラー大尉は言う。
「一人殺す度に故郷が遠くに感じる」
戦争は恐ろしい。人を殺すことが目的であり手段である。普段は決して行ってはならない禁忌でありながら、戦争では正当化され、讃えられる。
国を想い、故郷を想い、愛しい人を想えば想うほど、恐ろしい行為に身を委ねる。
自由のために、仲間のために、生き残るために、誰かの息子を殺す。
そして顔つきまで変わるほど、「故郷から遠ざかった」とふと気づく。
ライアン二等兵を見つけ出し、母の待つ家へ帰すこと。「それだけがこのクソッタレな戦争で唯一誇れること」だから。
これは上層部に示された任務だが、同様の「誇り」はカパーゾの手紙という形でも表現される。
ウェイド、ミラー、そしてライベンと託されていく手紙。これをカパーゾの父に届けることが「胸を張って故郷に帰る」のに必要なものだ。
そしてライアンにとってはミラーの言葉がこの役目を果たす。
地獄から帰還するための切符。それが「ムダにするな」というミラーの一言なのだ。
人は大義だけでは自分を許せない。
戦場という残酷な世界に置き去りにしてきた仲間を想い、心乱れた時に支えとなるもの。
ライアンを帰還させること、手紙を父親へ届けること、良い人間として生きること。
それを淡々と、押し付けがましくもなく描いているからこそ価値がある。
若い頃にはわからなかった、本当の勝利がそこにはある。